第19話 アイデンティティ

二発目を外したクロエはもう動揺していなかった。

黒い瞳はじっとシエルを捕らえ、

シエルが一体何をしているのか観察しているようだった。

そして何かを確信したように向かいのボートからシエルに、


「緑の瞳に、銀色の髪、そして風を自由にあつかうモノ。オマエハ【風の谷】のものカ?」と大声で尋ねる。


訊ねられたシエルは瞼を開いて首を横に振る。


「私はマルタイの民、風の微笑む島出身のシエル・レギナよ。【風の谷】なんて場所、私は知らないわ。お喋りはそれくらいにしてそろそろ決着をつけましょう。クロエ。」


それを聞いたクロエは桃色の唇を少し上げて微笑む。

「これは一騎打ちの途中に失礼しタ。アナタがどこの誰であるか、いまカンケイないわネ。アナタは強い、エルフの戦士としてあなたとこうして一戦交えれて光栄ヨ。これで最後よ。受けて止めてちょうだイ」


そう言ってクロエは弓を上空に向ける。

クロエがぶつぶつと何かを唱えると黒い紋様が彼女の前に現れて、

そのまま彼女はそのしなやかな腕を使って矢を上空に打ち上げる。


「おいおい。あのダークエルフの姉ちゃん。人への直接攻撃はナシだってこと忘れてないか?」


キースが上空を見上げて呆れた声で言う。

私も同感だと思いながら、上空を見上げる。

クロエが打ち上げた一本の黒い矢は破裂すると、そのまま分裂して

私達の頭上に無数の黒い矢の雨を降らそうとしていた。


クロエとシエルの一騎打ちは、一体いつから私達の命を賭けたものになったのだろう?

あんな物が降ってきたら私達は間違いなく死ぬではないか?


私とキースが絶望に浸っている横で、シエルは緑色の瞳を輝かせてクロエの

【black rain】(黒い矢の雨)を見上げていた。


「さすがはクロエ。綺麗な攻撃ね。」と呟く幼馴染の感性を私はこの時、心底疑っていた。


私達はそのクロエのな攻撃に串刺しにされようとしているのだ。

そんな私の疑いをよそにシエルは右手を上げて、ゆっくりと空をかきまぜるように、右手を回す。


私は今「かきまぜるように」と言ったがシエルは実際に空を、

私達がコーヒーにミルクをかきまぜるように意図も容易く空をかきまぜていた。


徐々に上空を回る風の勢いは強くなり、上空ではサイクロンに似た現象が起きていた。シエルが作ったサイクロンがクロエの【black rain】を飲み込んでいく。


「なぁ。お前は本当に一体何者なんだ?そろそろ話してくれてもいいんじゃねぇか?」

ボートに座り込んでいたキースがシエルの顔を見上げて言う。


少しぶしつけな質問だったが、キースの気持ちもわかる。

これだけの力を見せつけられたら、それを聞かないのも不自然だった。

シエルは五歳の頃に私達の島に旅に者に連れられて来た。

私達はそれより前のシエルを知らない。シエルが一体どこから来て、

何故私達の島に住む必要があったのかを知らない。

ただの好奇心ではなく、仲間としてキースはシエルの抱えているものを知っておきたいのだ。


シエルはしばらく黙って風をかき混ぜていたが、やがてその小さな口を開いて、


「あなた達を信用していないわけじゃない。でも私はまだマルタイの民のシエルでいたいの。マルコとキースとこうして馬鹿をやっていたいの。いつか打ち明けるから、その時は幼馴染としてしっかり受けとめてよね。」

と言って笑った。


「ああ。」と私とキースの声が揃う。


「そろそろ、決着をつけてやれよ。悪戯に戦いを長引かされるのは、戦士にとっては屈辱だぜ」


キースがそう言うとシエルは頷いて、

手のひらを広げてそれをクロエの乗っているボートに向ける。


突風がダークエルフ達のボートを襲って彼女たちのボートを転覆させる。

耳が割れそうな程の歓声が響く中、

私達のボートはそのままベラルーシの水路を駆け抜けていく。

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