第3話

 僕は家に帰ってからも、落ち着かないでいた。

「なにかあったの?」食事時に母が聞いてきたくらいだから、きっと心ここにあらずな顔をしていたはずだ。

その夜はいつまでも眠れずに、和子の唇の感触を思い出しては身体が熱くなり、なびく髪の匂いを思い出しては、耳まで赤くしていた事だと思う。

二人の結びつきは、小さい頃以上に固く結ばれたと僕は思っていた。いつも手の届くところにいる存在。それが手を伸ばせば抱きしめることさえ出来る存在になったと思っていた。会話の片隅に将来の夢など出始めたのもこの頃だった。僕よりも勉強の出来た和子には、沢山の夢があった。今はその夢の中から、何を選ぶかと迷っているように見えた。和子ならば、きっと本当の夢を見つけ、実現するだろうと、僕は漠然と考えていた。

ところが、そんな矢先に入院していた和子の母が亡くなった。

長い闘病生活の末、力尽きてしまったのだ。和子も和子の父親もすっかりと意気消沈し、家全体が暗い靄に包まれているようだった。和子はそんな母の死のショックに耐えること難しかったのではないだろうか。

僕はおろか誰とも口を利かなくなったのだ。目が合えば僕にだけは小さく微笑むが、言葉までは発しようとはしなかった。

周囲の人間は、そんな和子の気持ちを理解していたのか、『そっとしておきましょう』と、決して責め立てる者はいなかった。

やがて二人は隣町の高校へと進学したが、校内で会っても軽く頷く程度であった。『あの子、暗いな』和子に対するそんな非難の声も聞こえ始めた。『お前、出身同じだろう?何とかしろよ。暗すぎるぜ』と僕にもその矛先が向けられ始めた。『関係ないよ、あんな奴』と、そんな言葉を振り払うかのように、僕は勉強とクラブ活動に明け暮れた。和子の寂しそうな姿を見るのも耐えられなくなっていた。

和子との距離が開けば開くほど、僕の気持ちに大きな変化をもたらし始めた。逃げ道だった勉強が面白くなり、大学進学も視野に入れ始めた。そして明るい将来を夢に見始めたのだ。『和子は単なる幼馴染』と自分に言い聞かせるうちに、その言葉が本心になったかのように錯覚していた。和子も決して僕と関わろうとはしてこなかった。今にしてみれば、和子は全てわかっていたのかもしれない。関われば僕に迷惑がかかると……。やがてすれ違いだけの高校生活も残り僅かになった。


 その日は、高校の卒業式前夜。

僕は都会の大学に進路が決まっていた。この時期は授業もなく、卒業を待つだけの日々。

やることもなく、ただ、見えぬ未来を、自分好みに想像するだけの日々だった。

初めての一人暮らしの不安さえも凌ぐほど、期待だけが膨らんでいた時期でもあった。既に大学近くにアパートも借りて、最低限、生活出来る荷物は運び終えていた。嫌でも夢は大きくなるばかりだ。

都会といっても、最寄の駅から特急に乗れば二時間もかからない。いつでも行き来の出来る距離だ。それ故、両親も大して心配もしては居なかった。男だから、と言う理由もあるだろう。その日もトラック輸送では心配なものを、アパートまで大事に抱えて持っていった帰りだった。

しかし、それが単なる口実でしかないことも、自分自身でもはっきりと理解していた。気持ちは既に故郷を離れていたのだ。

家路へと続く坂道に差し掛かった時には、辺りは夕闇に包まれ始めていた。

この坂の左手には神社があり、長い石階段を登らなくてはならない。村の中心部からは離れた奥地で、年に一度のお祭り以外は、夜ともなれば怖いほどの静寂が訪れる。そんな静寂が今にも始まるころ、誰かが、階段の下にある街灯の下に立っていた。近づくとそれは和子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る