第2話

 既に過疎化の波が押し寄せていたこの村で、僕と和子の誕生は多くの村人の祝福を貰った。数年間、子供が生まれることのなかった村では、希望にも近い思いがあったのだろう。よちよち歩きを始めた頃には、二人は揃っては村の行事に駆り出されていた。祭りなどで綺麗な服を着せられると、まるで雛飾りのようだったと、母から聞かされたことがある。僕の親は都会を捨てて田舎暮らしを選んだ、いわば部外者であったが、数週間違いで生まれた僕らによって、和子の親たちとも村の年長者達とも親交を深めていった。僕の記憶には、五歳頃からの断片的なものしかないが、母は昨日のことのように話を聞かせてくれた。互いの家を行き来し、一緒にお風呂に入ったり、仲良く並んで寝息を立てることもあった。それらは写真や記憶の中にしっかりと焼きついている。村立の小中一貫の学校に入る頃には、僕の記憶も鮮明になっていた。

低学年の頃は、誰でもするようなおままごとに興じ、意味も分からずに将来を誓ったこともある。

「わたしはお母さんで、たっちゃんはお父さんね」おままごとのフレーズはいつの時代でも同じだろう。そして帰るときには、

「わたし、たっちゃんのお嫁さんになるの、じゃあね~」と、手を振って家路についていた。

暖かい時期には、村の中心を流れる小川で裸になって水遊びをし、泳ぐ魚を追いかけたりした。村で唯一の神社で虫取りに夢中になり、体中に虫刺されの痕を残したものだ。しかし、そんな時代も長くは続かなかった。

常に一緒だった和子とは、兄妹のように仲が良かったが、ある時期を境に互いを意識し始めた。それは思春期だった。

この思春期は誰もが通る道であり、どこに住もうが関係がないようだ。そしてその時期は和子のほうに早く訪れたようだ。繋ぐ手も小さく振るえ、頬は紅潮していたように見えた。今思えば合点の行くことも、当時は全く理解できていなかった。

「どうしたの,寒いの」僕は小さく震える和子に尋ねた。記憶によれば九歳頃だったろうか。

「ううん、なんでもない」和子は恥ずかしそうに下を向き答えた。

「でも、震えてるよ」そんな態度の和子を見たことがなかった僕は、本当に心配な気持ちでそう訊ねた。

「な、なんでもないったら」和子は繋いでいた手を振り払い、一人校門から飛び出し家へと帰っていった。

僕らの家は村の中でも両端に位置していたため、手を繋いで下校するのは、いつも校門までだった。それでもその短い時間が僕は好きだった。ところが訳も分からずにその時間を和子が奪った。当時は本当にそう思っていた。

「な、なんだよう」僕は怒りの混じった感情で呟いた。

それからと言うもの、下校時は一緒に普段どおりに会話が進むのだが、和子は手を繋ぐことを躊躇った。

その気持ちが分かったのは、更に二年後のことだ。僕にもその時期が訪れたのだ。和子は手を繋がないだけだったが。僕は会話さえも出来なくなっていた。顔を見るのが恥ずかしいのだ。そうなると、今度は和子が積極的になった。

「ねえ、今日は家に遊びに来ない?」離れて下校する僕に、和子が言った。家に遊びに行くことは慣れていた。

いままで何度もお邪魔した家だ。けれども和子の誘いに僕は即答できなかった。昼間は和子の家は和子だけなのだ。

遅い時間まで忙しく仕事をする父と、三年間も入院している母との三人暮らし。祖父母はとうに他界していた。その状況が、否が応でも僕の気持ちを乱していた。

「べ、別にいいけど……」僕は気のない返事をした。それで諦めてくれと思いながら。ところが和子は僕の手を取り、さっさと校門から自宅方面へと歩き出した。その手が震えていたのを、僕ははっきりと覚えている。

それでも盗み見た和子の表情は、何かを決心したように強くたくましくさえ見えた。和子の部屋には、家族の写真に混じって僕の写真も多くある。小さいときから一緒だったからこその物語だ。

ジュースを両手に部屋に戻った和子は、真っ赤な顔をしていた。その顔を見た途端、僕の顔も真っ赤になったことだろう。

ジュースを机に置くと、和子がベッドに腰掛ける僕の隣に腰をかけた。そして僕を見つめ、ゆっくりと唇を重ねてきた。

僕の期待と不安がばっちりと的中した瞬間だった。ところが、僕は和子を跳ね除け、カバンを掴んでは自宅へと向かって猛スピードで走りだしてしまった。頭が混乱していたのだ。走って胸が苦しいのか、今の出来事が理由で胸が苦しいのか、僕にはそれさえも理解出来ずにいた。その後の和子の態度は変わりはしなかったが、僕の態度は一変した。意識的に和子を遠ざけた。

「ねえ、たまには一緒に帰ろう」暫くそんな関係だったが、和子が下校時にそう言ってきた。

「な、なんで?」

「みんなが言うのよ。仲がよかったのに喧嘩でもしたのか?って」確かに僕らは人目に晒されていたのかもしれない。

「い、いいよ」和子の困った顔を見て、僕はそう言った。和子は自分のことは後回しにする性格だからだ。

これも、周りの人のためなのだと、自分に言い聞かせているようにも見えた。

だからと言って、全てを見られるほど人口は多くない。校門を出て暫くすれば、人の姿もほとんどないのだ。

数少ない商店の並ぶ中心地は、学校からも離れているからだ。やがて小さな時に良く遊んだ小川にかかる橋を越えたとき、和子が振り向いた。

「もういいよ。誰も見てないから」そう言って繋いでいた手を離した。その時は二人の手は少しも震えてはいなかった。

「ああ、じゃ、僕は帰るよ」和子の言葉に、少々気落ちしたように感じたが、僕は振り向いて家へと向かい始めた。

「待って」和子に呼び止められて振り向いた僕の口に、和子の口がぶつかってきた。前回のときと違って、この時のは僕はとても幸せな気持ちを感じることが出来た。たぶん、和子も同じだったのだろう。頬を赤く染め照れ笑いを浮かべ、自分の家に向かって走り出した。途中で振り向き、小さく手を振った姿は、僕の記憶から消えることはないだろう。

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