第17篇『赤い繭×解毒剤』

お題『赤い繭×解毒剤』


 暗闇の中、鈍く光る繭があった。

 血のように赤い繭がただただ静かに脈動している。

「赤いね」

「不思議だね」

「生きてるね」

「生まれるね」

 静寂の中、声を潜めて幼い二人の声が響く。

「何が生まれるの」

「何が出てくるの」

 おそらくは双子なのだろう。うり二つの顔を持つ少年と少女が顔を見合わせ、視線を繭の向こう側へと放つ。

 ここは実験室だった。

 白衣を着た幼い双子の見つめる透明なガラスケース。

 その中央で赤く光る謎の繭。

 対するは、痩せぎすの、無精ヒゲの白衣の男。

「――分からない」

 白衣の男の言葉は明快だった。

「なにそれ」

「仕事してるの?」

「分からないから調べてるんだよ。知ってることなら放置している」

「なるほど」

「ごーりてき」

 研究者の言葉に双子達はごもっともと頷く。

「――でも、もしかしたら」

 思わせぶりに研究者は言葉を切る。

「もしかしたら?」

「もしかすると?」

 双子の男女が左右対称に首を傾げる。

「この繭が破れた時、世界は終わるのかも知れない」

 神妙な面持ちで呟く研究者に幼子達はきょとんとする。

「なんで?」

「どうして?」

「「頭おかしくなったの?」」

 双子らしいコンビネーションからのハモり声に研究者はいささか傷ついた顔をする。

「研究者はみんなおかしいよ。いつだって。どこだってね」

「ごまかした」

「ずるだ」

「「せつめーほうき!」」

「君ら、意外と難しい言葉知ってるね。パパさんの影響か?」

 研究者はため息をつく。

「この繭が破れた時、中から出てくるのは今までの地球には存在しなかった完全なる未知なる存在だ。それがもたらす厄災を僕らは何も予想出来ない」

「じゃあ潰そう」

「じゃあ殺そう」

「まてまて、早まるな」

 すぐに結論を急ぐ双子に研究者は首を横に振る。

「未知の存在が悪影響だけを残すとは限らない。場合によっては――世界を救う希望になるかも知れない」

 研究者の言葉に双子達は目線をぶつけ合う。

「考えすぎでは?」

「思い込み激しいのでは?」

「この繭は――宇宙から来た。普通じゃないのは確かだよ」

 それきり研究室に言葉が途絶える。

 再び静寂の中で、ただただ繭だけが赤く光る。

 光る繭など――あきらかにおかしい。

 月面探査船が月の裏側の凍り付いた海の中から発掘した、謎の生物の氷塊。

 それを回答した途端に繭は赤く発光しはじめ、脈動をしはじめたのだ。

 だがいつ生まれるというのか。

 少なくとも、研究者の側に居る七歳の双子達が生まれる前からずっとこの繭を赤く光り、脈動を続けている。

「あ」「あ」

「ん?」

 双子達が声を上げ、研究者の意識は回想から現実世界へ引き戻される。

 そして気づく。

 研究室は完全に闇となっていた。

「光が――」

「消えた」

「消えたね」

 どっと汗が噴き出した。

「ツインズ、そこを動くなよ。システム――ライトオン」

 研究者は懐から専用のスマホ端末を取り出し、命令する。

「…………」

「…………」

「………………つかないね」

「………………そうだね」

 どくん、と大きな音が響いた気がした。

 それはどうやら自分の心臓の音だったらしい。

 突如けたたましいほどに心臓が早鐘をついてくる。

 おそるおそる、ガラスケースへと手を伸ばす。

 が、いつまで経っても研究者の指先はガラスケースへと到達しない。

 ――落ち着け、気が急いて手が伸ばせてないだけだ。ビビるな俺。もっと手を伸ばせ。

 そしてふわりとした柔らかな髪毛の感触が指先で感じられた。

「……どしたの?」

「……頭触られた」

 双子の片割れの声。

 ――まさか。

「ガラスケースがなくなっているだと?」

 思い切ってガラスケースがあったはずの場所に両手を伸ばし、無秩序に両手を暴れさせるが、何も触れない。

 ――ない。

 さきほどまであったはずのガラスケースは完全に消失していた。

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 なにか硬い歯車が強引に回されたかのような、耳障りな音が聞こえてくる。

「なにかな?」

「なんの音かな?」

 研究者はとっさに前へ飛び出し、そのまま双子を抱きかかえて倒れ込んだ。

ヒュイン

 何かの風切り音が背後で響いた。

 ――くっそ、なんだ。何が起きてる?

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 再び軋んだ歯車の音。

 今度は足下から。

 やけくそ気味にその場から真上へジャンプする。

ヒュオン

 何かが通り過ぎていく。

 ――なんだ。まずいぞ。

 間違いない。

 彼らは明らかに『攻撃』を受けていた。

「なにしてるの?」

「なにすればいいの?」

「黙ってろ!」

 両脇でのんきに首を傾げてるらしい双子を怒鳴り、研究者は神経を張り巡らせた。

 よく分からないが、少なくとも、あのキチキチキチという音が聞こえてきたら、その時は全力でその場から逃げなければならない。『攻撃』が来てしまう。

――けど『攻撃』ってなんだ? さっきまでガラスケースにあった光る繭は指先サイズだぞ。それが『攻撃』してきたからって、人間に致命傷を浴びせるほどの攻撃が飛んでくるはずが――。

 不意に、双子を抱きかかえる腕の肘が暗闇の中テーブルらしきモノに当たる。

 すると、テーブルはぱたりとそのまま倒れてしまった。

 ――おかしい。

 五トンの動物の死体を載せてもつぶれないはずのテーブルがあっさりと倒れた。ということは――暗闇の向こうでテーブルは先ほどの一撃で両断され、床に落ちたということなのだろう。

 ――なんて『殺傷能力』だ。ステンレスと鉄で出来た金属製の強固なテーブルを両断できるだけの『パワー』が相手にはある。

 彼は科学者だ。何も分からなくても、既に起きた事実から推論を立てなければならない。そうやって生きてきた。常識は捨てるが、理性を決して捨ててはいけない。

「あ」「なんか音が」

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 双子の言葉と共に男は後ろへ飛んだ。

ヒュオン

 再び何かの風斬り音。

 ――くっそなんだってんだ。なんで俺が当直の時に『生まれた』んだよ。いや、この場合は『完全変態した』か? なんでもいい。誰か助けてくれよ。

「おい、生まれた奴。地球の言葉分かるか? 攻撃をやめてくれ。俺は敵意とかはない!」

「そーだー」

「たたかわないぞー」

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 研究者の宣言に対して返ってきたのは軋む音。

 一か八かで右に跳んだら、左の方でヒュオンと風斬り音がした。

 ――仮に。もとの質量が繭と変わらないなら、相手の質量は200gほど。スッカスカで、もともとは全長50mmほどだった。それがどうにか凶暴な生命体に変わったとしてもミツバチくらいのものにしかならないはずである。

 とはいえ、金属を切断するほどの斬撃を放つミツバチもどきだ。物騒なことこの上ない。

 ――つってもこの仮定は相手が地球の生命体と同じ物理法則の中で生きてるって前提だ。宇宙生命体特有のなんらかのチート能力を持っている可能性だってある。

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 研究者の思考を中断するかのような軋む音。

 研究者は破れかぶれで跳び、再び風切り音が通り過ぎていった。

 命がけのデスゲーム。

 相手の場所は見えず。攻撃方法も分からない。

 そもそも、何故ガラスケースはなくなっていたのか。

 ぱきっと足下で何かがつぶれた音がする。

 感触からすればガラスだろうか。

 おそらく、さなぎから出てきた時に、破壊したガラスの破片だろうか。 

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 軋む音。回避行動。風切り音。

 暗闇の中、よく分からない鬼ごっこが続く。

「あ、そうだ」

「どうしたの?」

「お菓子」「なるほど」

 ――何がなるほどなんだ?!

 双子達のやりとりに研究者は叫び声をあげそうになるがぐっと我慢する。

 よく分からないが、大声をだしてしまうとすべてが終わってしまいそうな気がする。

 不意に、双子が同時に何かを投げた。

 一泊遅れて軋む音と切断音。

ぴぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ

 そして何かの悲鳴。

 やがて。

 しばらくするとひとりでに研究室の灯りが付いた。

 周囲のデスクかテーブル、実験器具や本棚などが切断され、床の各所に落ちている。

 しかし、それだけだった。

 先ほどまで研究者達を襲っていた何かの姿は一切なくなっていた。

「……お前達、何を投げたんだ?」

「解毒剤」

「風邪薬」

「ミルク味のやつ」

「おかし代わりに隠し持ってた」

「……そんなもんで?」

 彼らの親が特別に作ったミルク味の解毒剤を両断したら謎の宇宙生命体が消滅した。

 意味が分からない。

「いざという時はこうしろってママが」

「うっそ、これ想定内の出来事だったの?」

 どっと疲れて研究者は地面に倒れた。

「なんにも分からないけど――解決したのならそれでいいや」

 かくてよく分からないままに赤い繭は消滅した。

 けれども、後で分かったことだが実験室の窓は両断され、開きっぱなしになっていた。

 もしかしたら、あの宇宙生命体は、地球に放たれてしまったのかも知れない。

 その結果何が起こるかは――今はまだ誰もしらない。




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