第15篇『美少年×お気に入り×ドーナツ』

お題『美少年×お気に入り×ドーナツ』


 死のう。

 もうおしまいだ。

 私は何もかもが嫌になって駆けだした。

 夜の街を駆け、街の明るさに嫌気がさし、ただただ走り抜けた。

 気がつけば――闇の中。

 町外れの、よく分からない場所。

 私はどこに来たのだろうか。

 ここはどこなのだろうか。

 不意に。

「みーみーふぁそー、そーふぁみーれー、どーどーれーみーみぃーれれー♪」

 美しい歌声が聞こえてきた。

 静かな夜に優しい歌声が染み渡る。

 私は歌声に導かれるように郊外の雑木林を歩いた。

「みーみーふぁそー、そーふぁいみーれー、どーどーれみ・れーどどぉ♪」

 声。

 ただ声だけが私を導く。

 森の闇を抜け先に、少年がいた。

 大きな岩に腰掛け、月を見上げていた。

 月明かりにさらされ、ただひとりぼっちでどこかで聞いたことがあるような歌を歌っている。

 ――歌、というか歌詞じゃなくて音階だけど。

「あ」

 少年と目が合い、歌が中断される。

 それがとても気に入らなくて、私はついねだってしまった。

「続けて」

 私の言葉に少年はふっ、と優しくほほえむと続きを歌ってくれた。

「れーみど、れーみふぁみーどぉ、れーみふぃみーれぇ、どーれーそぉ♪」

 その歌声は川のせせらぎのように、ただただ静かに私の心に染みいり、癒やしてくれた。

 彼の歌声に聞き惚れているうちに、いつの間にか歌は終わっていた。

 私は満ち足りていた。

「やあ、お姉さん。こんな夜更けにどうしたの?」

 月明かりに照らされ、青白く反射する少年は浮き世離れした何かを感じさせ、まるで妖精か何かのようだった。

 年の頃は十二・三と言ったところだろうか。

 中性的で、ほっそりしていて、私よりも三歳くらい年下のはずなのに、見ているだけでちょっとどぎまぎしてしまう。

「それは――君こそこんな夜更けになにしてるの?」

「見ての通り、歌ってるのさ。

 ここの畑はお爺ちゃんのものでね。家で歌うと迷惑かも知れないし、散歩ついでに歌っているんだ」

「迷惑だなんて。そのおじいさんは見る目がないのね。いや、聞く耳がない、かしら」

「叱られたことはないかな。ただ、お爺さんの眠りを邪魔したくないんだ。日が暮れたらすぐ寝てしまうからね」

「そっか」

 話題が途切れる。

 虫の羽音が、鳴き声が夜の闇の向こうから聞こえてくる。

 不思議な光景だ。

 月明かりに照らされて、ただの雑木林が妖精の森か何かのごとく輝いて見える。

「えっと、何歌ってたの」

 なんだか沈黙が怖くなって、私は再び口を開いた。

 私は何をしてるのだろう。

 さっきまで死にたかったのに。

 さっきまで辛さに押し潰されそうだったのに。

 なんで、こんな場所でこんな美しい少年と――。

「運命」

「え」

 少年がぽつりと呟いた言葉に私は心臓が一段跳ね上がった気がした。

「運命て曲で有名なベートーヴェンの『よろこびの歌』だよ。『第九』とか言われるやつ。学校で習わなかった?」

「えー? そうかな? どうだろう。忘れちゃった」

「そっか。大したことじゃないもんね」

 少年の言葉に私は思わず首を振る。

「そんなことない。

 なんかすごかったもの。忘れない。よろこびの歌、ね。覚えた。

 きっと一生忘れない!」

 何故か必死に叫んでしまい、再び少年に笑われてしまう。

「――そんなに力込めなくても」

「忘れたくないもの」

「ありがとう」

 少年は座っていた岩の位置を少し横にズラしてスペースを空けた。

「座ってよ、お姉さん」

「え?」

「立ち話もなんだしね」

「そ、そうね。あ、ぁぁありがと」

 私は少年に誘われるままいそいそと彼の隣に腰掛けた。

 肘がちょんと触れて、それだけで心臓が破れるかと思った。

 ――なんでこんなに緊張してるの!?

 我ながら意味の分からない衝動に惑われさながら、ちらちらと隣に座る少年の横顔を見下ろす。彼はただ月を見上げていた。

「えっと、名前は――」

「人に名前を訊ねるなら、まずは自分から名乗るのがマナーじゃないの?」

「なにそれ」

「漫画とかでそんな台詞聞かない?」

「分かんない。うちの親、そういうのに厳しくて、何も見せてくれないもの」

「じゃあ、知っておくといいかもね。ボクの名前は宮藤星詩<くどう・せいじ>。

 お姉さんの名前は?」

「――私は、遠葉しずる」

 いつのまにやら少年――星詩くんにリードされて私は口を開く。

「しずるさん、いい名前だね」

「ん。私も好き」

「それはいいね。自分の名前が好きって事は、それだけで幸せだよ」

「君は嫌いなの」

「まさか。大好きだよ。だから、ボクとお姉さんはお揃いだよ」

「そっかな」

「きっとそう」

 彼の優しい言葉に首を振る。

「そうだといいんだけど、私は君と違って、家族が嫌い」

「どうして?」

「束縛する。なんでも否定する。押しつけてくる。

 母さんが欲しいのは、私じゃなくって、きっと、なんていうんだろう――お人形が欲しいのよ。しずるって名前をした何でもいうことを聞く人形が」

「大変だね。ボクには母親がいないからよく分からないや」

「……ごめん。変なこと聞かせて」

「いいよ、夜は長い。いくらでも話を聞いてあげる」

 これではどちらが年上なのか分からない。

「優しいのね」

「何も知らないだけだよ」

「そう?」

「ボクは、ボクの世界しか知らないからね。お爺ちゃんが優しくて、何でも聞いてくれて、何でも話してくれて、それと同じ事をお姉さんにしてるだけ」

「いいお爺ちゃんね」

「ありがとう」

「なにそれ」

「お爺ちゃんを誉めてくれる人少なくって」

 初めて見せた少年の困った顔に思わず私は吹き出した。

「あっはっはっはっはっ」

「そんなに笑わなくても」

「なにそれ。じゃあきっと、君の前以外では絶対偏屈爺さんだよその人」

「気むずかしいところはあるかもね」

 あれほど大人びてどこにも弱点がなさそうな少年が、祖父のこととなると頼りなく弱々しい子供に見えた。

「でもよかった」

「?」

「初めて笑ったね」

「そう? 私はいつもニコニコしてるつもり。ニコニコしてないとお母さんに殴られるから」

「どうかな。少なくとも、さっきまではずっと泣いてたよ」

 少年の言葉に私は不意に、何故家を飛び出したのかを思い出した。

 母とケンカした。

 いつも以上にケンカした。

「どうしよう」

「何が?」

「帰りたくない」

「帰らなきゃダメだよ」

「そうかな」

「でも――そうだね。帰る場所がそのお母さんのところじゃないのかもしれないね。子供を殴るなんて、よくない」

「そう、よくない。絶対よくない。やっぱり私は間違ってない」

 少年の言葉に勇気がわいてきた。

「これからどうする?」

「パパに会いに行く。連絡先は知ってるもの。離婚したけど。知ってるから、たぶんたどり着ける」

「よかった。じゃあ、これは餞別」

 そう言って彼は側に置いてあった紙袋からドーナツを一つ取り出す。

「君のおやつでしょ。受け取れない」

「でも、お腹すいてるんじゃない?」

「え、なんで?」

「さっき、お腹鳴ってたよ」

「え、嘘!? うそうそうそ。そんなはず――」

「うそ」

 にこりと笑う少年にんもぅっと私は怒気を上げた後、また吹き出した。

 月明かりの下、二人で腹を抱えて笑い合う。

「じゃ、半分こで」

「そうしよ。そっちの大きい方ちょうだい」

「貰えないって言ってたのに」

「お腹が鳴っちゃったもーん」

 私は開き直りながら彼から渡されたドーナツをさくりと口の中にほおばった。

「なんていうか、ありがとね」

「大したことはしてないよ。ボクはここで、お気に入りの歌を歌ってただけさ」

「それ、気になってたけど、歌ってないよね。それ、ドレミを言ってるだけだよね」

「歌詞は覚えてない」

「ダメダメじゃないっ!」

 そんなくだらないやりとりをしているうちにドーナツを食べ終わってしまった。

「じゃ……行くね」

「うん」

「また会えるかな?」

 私の言葉に彼は首を傾げる。

「さあ。ただ、月が綺麗な夜は、きっとまたここでボクは歌ってると思うよ」

「そっか。じゃあ、また月の綺麗な夜に会いましょう」

 手を振ると共に私は森を降り、街へと進む。

 不思議と、生きる気力に満ちていた。

 私が死ぬことはないだろう。

 きっと、またあの場所で、月の綺麗な夜にあの少年と再会するはずなのだから。




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