第11篇 『朝食×獣の角』
お題『朝食×獣の角』
かくて私は山を登る。
「本当にそんなものがあるというの?」
「我が輩を疑うというのでありますか! はははっ! うら若き乙女に信じてもらえないというのはなんとも心が痛むことですなぁ。しかし、それがどこか快感でもあり、実に人間の感性とは不思議なモノです」
「うーるーさーい」
私こと夜仲実乃梨(よなか・みのり)は早くも後悔をしていた。
すべては朝食。そう、朝食のためだ。
その為に私は狩りに出かけたのだ。
その日のトオルくんは実に体調が悪そうだった。
朝、学校に出てから彼は青ざめた顔をして、虚ろな目で自分の座席に座った。
「どうしたの?」
「実は最近、あまりいい朝食を食べてられなくて」
「あー、それは辛いね」
「まあ、親が共働きだから仕方ないね」
「そんなこと言って健康を崩したら元も子もないよ」
「ありがとう。ここは自分で朝飯を作るしかないか」
「そうだよ。親に頼ってばかりじゃだめだよ。共働きならどうせ適当な冷凍食品しかないんでしょ」
「うぐぐ」
痛いところを突かれたなぁ、とますます青ざめた顔が歪んでいくトオル君。
「そうだ! 明日は私が朝食代わりに簡単なサンドイッチ作ってきてあげる」
「え?」
「サンドイッチくらいなら教室に来てからすぐ食べられるでしょ」
「マジかよ。いいのか、夜仲? そんなことされたら惚れちまうぞ」
「口説いてんのよ! ばぁか」
こんなやりとりなどがあり、私は明日サンドイッチを作るために狩りに出かけたのだ。
――おかしい。おかしくない?
「ちょっと待って? なんでサンドイッチ作るために山へ? これでも私、現役の女子高生なんだけど!」
「はっはっはっ! これは異な事を! 愛する若君のために手ずから手料理を振る舞おうとしたあなたにいたく感激した私のばっちりなアドバイスのおかげですぞぉ!」
野太い笑い声に私ははっと我に帰る。
「そっかあの時私は――」
そう、学校の帰り道にサンドイッチの食材を買いにスーパーへ行ったところ、驚くべき事にパンがすべて売り切れていたのだ。
仕方なく私はコンビニへ向かった。
だが、やはりパンは売り切れていた。
私は地団駄を踏みつつ、駅前のパン屋に向かった。
しまっていた。水曜日は定休日だった。
仕方ないのでステーションデパートの食品売り場へ向かった。
すべてのパンは売り切れていた。
キレてSNSで「パンが売り切れてるんですけどぉぉぉ」と呟くとすぐさま色んな人から「当たり前だろ」「ニュース見ろ」「今時パンが買えるわけないだろ」となにやら心ないレスが大量に張り付いてきたので私は怖くなってスマホの電源を落とした。
どうやら今のご時世、パンが売り切れているのは当たり前らしい。
今更ニュースサイトを見に行くのもなんか負けたみたいで悔しい。
さっきちらっと見た時はSNSの通知が500件を越えていて色々と「あ、これはダメだ」と悟ったモノだ。きっとネット上ではモノを知らない自称女子高生の馬鹿な発言としてやり玉に挙げられていることだろう。
――だがまあ、そんなことはどうでもいい。
「ああもう、パンはどうすればいいのよ」
「お困りですかな、お嬢さん」
「私は何故――あの時おかしいと思わなかったのかしら」
「ははっ! なにをですかなぁ! 私はただ事実をあるがままに伝えただけです。
パンを手に入れる方法があると」
かくて冒頭に戻る。
学校の裏にある山道を突き進むと裏山の中腹にたどり着く。
そこから先はハイキングコースとなにやらよく分からない獣道があり、私は獣道を進んでいた。
とてもとても怪しげな何かと共に。
「いいですかな! 我が輩は生まれてこの方嘘をついたことがないのが自慢です。我が輩のヒゲに誓って、本当に嘘がないのだとお伝えしましょう!」
「ヒゲ、ないでしょ」
「いやいやいやいやいや、お嬢さん。ありますよ。ほら、ここ。首の下辺りににょろっと突き出た妙に長いのが一本」
「…………」
私は何かの戯れ言を無視して獣道をさらに進んだ。
「目的地は?」
「近いですぞ! 奴らの生息地はもはやすぐそこ」
草木を掻き分けながら進むとそこにあったのは――。
「ふわっ」
清廉な空気の漂う泉だった。
先ほどまでの雑多で鳥の声のうるさい乱雑な森とはかけ離れた、なにやら神聖な空気の漂う泉。
その一角に、こぎれいな小屋があった。
「……祭壇だ」
私達はおそるおそる、足音を立てないようにそっと小屋へと近づく。
「ここが?」
「そうですとも。山の神の住まう祭殿ですな。祭壇ではありませんぞ」
「どっちでもいいよ」
「よくはないでしょう。今からここで神殺しをするのですから」
なにかの囁きに私は思わず頭が真っ白になる。
今、何かおかしな事を聞いた気がする。
「おっと? 我が輩の言葉をちゃんと聞こえませなんだかな? もう一度言いますぞ。
神殺し。山の神を殺すのです。
さすればその膨大なエネルギーを持って世界法則を書き換え、再びこの世界で容易にパンを手に入れるようにすることが可能でしょう。
ここまでくると歴史改変をするしかありませんぞぉ!」
「う、うぅぅぅぅ」
何が、起きているのか。
頭が重い。
うめきながら、額に手を当て、呼吸を整える。
「ひゅうぅぅぅ、うぅぅうう」
かすれた風切り音のなりそこないみたいな音が出る。
「ん、んんん?」
「分からない? 何を異な事を! 古今東西、自らの願い事を叶えるのには神を殺すのが何よりも手っ取り早い!
さあさ、お嬢さん! 壊すのです! 祭殿を! 今すぐに!」
「ひゅぅぅぅぅぅぅ」
気持ち悪い。何か吐きそうだ。
自分が自分でなくなるような、意味の分からない感覚。
そして――。
「あ」
私は凍り付く。
神聖なる泉に映った自分の姿に。
――悪魔。
脳裏に浮かんだ言葉に唾を飲む。
私の頭に大きな大きな獣の角が生えていたのだ。
「さあさ、叶えましょうぞ! 我らの願いを! すべては朝食のために! 美味しい朝食でサンドイッチを作るために! 神を殺すのです!!!」
泉に映った角の生えた私が野太い声と共に叫ぶ。
おそらくは、SNSで炎上してから。
あの時から記憶が混濁している。
「しまった……スマホ経由でウイルスに感染しちゃったんだ」
思わず私が呟くと泉に浮かぶ鏡像がけたたましい笑い声をあげる。
「なんと愚かな! いやはや女子中学生とはかわいいものですなぁ! スマホ経由でウイルス感染とは最近の若者は実に信仰心がなく、心は隙だらけ」
泉に浮かぶ鏡像が手を伸ばすと現実の私も手を伸ばす。
「――な」
「支配権も大分こちらに委譲されましたかな! ああよきかなよきかな。我が輩、自慢ではないですが、あなたぐらいの小娘の肉体は実に好物でしてね」
そのまま私の身体は万歳をして頭に手をやる。
がっしりとした獣の角の存在感。
「嘘でしょ」
「何が嘘なものですか。手のひらの感触を感じてください。このざらつきを。そこにあるのです」
「やだやだやだ。意味が分からない。あんたはなにものなの? どうして私に取り憑いてるの?」
「おっと聞いてくれますか? 問いかけてくれますか。ならば答えねばなりませぬなぁ!
ちょっと長話ですが聞いていただきたい。
私はかつてちんけな猟師だった。
何年前だったか。数百年前だったか。
ある時、この山に狩りに入り――」
すぽっ
「あ」
「あ」
悦に入る何者かと私の声がシンクロする。
なにやら絶頂と共に叫んでいた何かだが、私ががむしゃらに頭に生えていた角を引っ張ると、びっくりすることにあっさりと角が外れたのだ。
途端に制限されていた動きが戻り、身体の自由が取り戻される。
「え?」
「え?」
先ほどまで聞こえていた悪魔の声が手元の角から聞こえてくる。
「……えいっ」
「ちょまっ――」
私が獣の角を投げ捨てると獣の角はばしゃーん、と派手な音を立てて山の神の泉の中に沈んでいった。
「……なんだったの」
意味の分からないまま山を下りた。
スーパーに行くと普通に食パンが売っていたので買った。
スマホの電源を入れると別に炎上はしていなかったし、なんなら「パンがどこにも売ってない」という発言すら私はしていなかった。
「…………いつから」
私はただただ首をひねるばかり。
なんにしても、パンが手に入ったのだ。
明日は愛しい彼のためにサンドイッチを作ってあげよう。
きっと喜んで貰えるに違いない。
それが私にとっての何よりの朝食だ。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます