第10篇『胡乱×明晰夢×タピオカ』

お題『胡乱×明晰夢×タピオカ』


「つまりこれは夢だな」

「なんと。どうしてそう思う」

「鹿のバケモノがしゃべってるから」

 俺は裸足で町中に立っていた。

 コンクリートの上で、裸足で、部屋着姿。

 そして、目の前にはふわふわと逆さまに浮かぶ巨大な鹿の生首。

「人の想像できることはすべて現実に起こりえる、という言葉を知らないだろうか。

 君は世界の限界というものを甘く見ている。

 どんなことでも、起こりえるんだよ」

 ふしゅるぅ、と鼻息を荒げながらも鹿の生首はまるで何かの賢人かのように語る。

「そうか。仮にこれが現実だとして、どういう状況なんだ。お前は何者なんだ?」

 夢の中だからか普段より強気に発言する俺。

 もしこれが現実だったのなら、俺は鹿の生首を見た瞬間に気絶している。

「ああ、私は君の恋人さ」

「は?」

 一瞬、記憶が飛ぶ。

 何を言ってるのか。

「恋人。お前が」

「いかにも。私は君の恋人であり、麗しき愛の象徴だよ」

「んな馬鹿な。何が愛だよ。俺に愛はない。死ね」

「暴言はよくない。愛しき人よ」

「巨大生首がすり寄るんじゃねぇぇぇぇぇ!」

 部屋着が鹿のよだれでダラダラになってしまう。

「しかもくっさ! え? なにこれ! くっさ!! メチャクチャ奈良県の臭いがする!」

「は? 待ちたまえ。若人よ。奈良県を馬鹿にしてはならぬ。全人類はすべからく奈良県を崇拝せねばならぬ。それが奈良時代からのしきたりぞ」

「なんだそのしきたり。絶対奈良県限定のしきたりじゃねーか」

「人と! 神が交わした約束だ! これを違えることあいならぬ!」

 ふしゅるふしゅると鹿の生首の鼻息が荒くなっていく。

「本性を現したなバケモノめ」

「喝! 私は君の恋人なのだ。なればこそ、間違いは正さねばならぬ!

 努々忘れるでないぞ。

 敬意だ。

 敬意を払うのだ。

 奈良県に」

 鹿の生首の声がエコーバックし、反響していく。

 ――あ、これは夢が覚める奴だ。

 不思議と自覚した。

 目覚めの時は近い。

「ったく、俺に恋人が、しかもあんなバケモノだなんて、まったくひどい悪夢だぜ」

 俺の立つ街の風景が揺らぎ、薄れていく。

 かくて。




「よかった! 起きた!」

 目が覚めると柔らかな感触がした。

 ――?

 状況がつかめない。

 寝ぼけ眼でぼぅ、と周囲に目をやる。

 遠くに俺のマンションが見えた。

 黒い煙を放ち、めらめらと今も燃え上がっている。遠くからカンカンカンカンカンカンカンカンと耳障りな音がする。

「あれ?」

 俺はだるだるに伸びてこぼしたラーメンのシミの付いたTシャツにトランクスという部屋着姿として完全体のまま、誰かに抱きしめられていた。

「……え? と、え?」

 俺は急速に現実に引き戻されるのを感じる。

「ちょっ、えっ!? 何? え? これどういう状況!?」

 すっとんきょうな声を上げ、俺は俺の身体を抱きしめる誰かを引きはがそうとしたが意外と強い力でびくりとも出来なかった。

「ダメです! まだ安静にしてないと! 危うく死にそうだったんですからね!」

 幸い血を流したりはしてないようだが、なんだか身体がとても重い。

「けっほ、けっほ」

 口から黒い煤が煙となって吐き出された。

「これは一体何が」

「タピオカが――」

「え? タピオカ?」

「すいません。忘れてください」

 思わず聞き返した俺に対し、俺を抱きしめるやたら柔らかい感触をしたもちもち肌の女の子が沈痛な面持ちで首を横に振った。

「いや、ちょっと。ごめん。教えてよ。何があったの?」

「分かりますよね。タピオカですよ。ここまで言ったら、その、ねぇ?」

「うぉーいおいおいおい! なんだその、ちょっとエロい感じ! というか君は誰なの?」

「私は――逆鹿恋子(サカシカ・レンコ)とお申します。

 初めまして、裏浦新太(ウラウラ・ニッタ)さん」

 ここにきて要約ぼやけていた頭が鮮明になろうとしている。

 長い黒髪を後ろで縛る、垂れ目で、やや肌の浅黒い、おどおどした印象の少女だった。状況はまったくつかめないが、抜群にカワイイ。どういうことだ。なんで突然俺はこんな美少女に抱きしめられてるんだ? すごくくノ一みたいな格好してるのが気になるが、彼女がカワイイのでやっぱり全く気にならないぞ。

「その、レンコさんと言いましたか。一体俺に何があったんですか」

「それはその……タピオカが、いえ……やはり知らない方が」

「……おいなんでタピオカで言いよどむの? どんな変なことが起きたの? タピオカが爆発でもしたのか」

「いえ、確かに爆発もしましたが――あ、そうです。タピオカが爆発しただけのことです」

「うぇぇえ! ちょっとちょっと! ますます気になる! タピオカが! 爆発する以上の、え? 爆発する以上の何かひどいことが起きることなんてありえる?」

 俺はただただ驚き戸惑いそして――。

「う……ぐ……うわ、なんだこれ」

 思わず鼻を押さえる。

 ――くっさ!!!! 耐えがたいほどの悪臭! なんだこれ! びっくりするほどやべぇ刺激臭がこのエロくノ一からする!

 とはいえ、さすがの俺も女の子に対して気絶しそうなほど悪臭ですよ、と指摘するのは憚られる。辛い。なんだこれは。

 状況を整理しよう。

 俺はどうろで部屋着で倒れていた。

 横にはエロいくノ一の格好をした美少女がいる。

 だがそのくノ一はやばいくらい臭い。

 遠くで俺の部屋は爆発四散してるらしく、今も消防隊で消火活動をしている。

 そしてタピオカ。

 一体何が――。

「はっ」

 その時、俺の脳裏に気絶していた間の夢の記憶がすべて蘇った。

 逆さまに浮いた鹿の生首、俺の恋人、奈良県に敬意。

「タピオカがないじゃねぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁぁ」

「ああ! もうダメですよ! タピオカについては触れては!」

 先ほどの明晰夢が何かの手がかりになるかと思いきや、あの鹿の生首はタピオカについては一切触れなかった。

 ――しっかりしてくれ。予知夢なりお告げなら、もっとちゃんと分かりやすいヒントくれ。

「忘れないでください。大事なのは――」

「……敬意?」

「そうです! 敬意ですよ!」

 ――うわ、くっさ。

 俺の言葉に美少女くノ一がまぶしいばかりの笑顔を向けてくれるが、それよりも鼻を突く悪臭が顔を歪めてくる。

 ――もうなんなんだよ。夢の通りならたぶんこの子俺の恋人になったりするヒロイン的な子じゃないの? すごくかわいいし、柔らかいし、くノ一の衣装がとてもエロいのに、何故こんなに臭いの?

「新太さん! 敬意ですよ! 敬意!」

「……タピオカに?」

「馬鹿っ!」

 ぱぁん、と頬に強烈な張り手を喰らう。

「きゃ、ごめんなさい」

 目を白黒させながら俺はがっくりと首を落とす。

「嘘だろ。俺何かダメなこと言ったか? なんで俺殴られたんだ?」

 頬にじんじんとくる痛み以上に張り手をされたという事実に心がただただ痛い。ガラスのように打ち砕けそうだ。

「もうやだ。帰る」

「帰る家は爆発四散してますよ!」

「だぁぁぁぁっ! 知っ!てっ! ますっ! よっ!」

 分からない。何も分からない。

 タピオカ。

 奈良県に敬意。

 その時、俺の脳裏に何かが浮かび上がろうとしていた。

 ――ああつまりそういう。

「落ち着いてください。私がついてあげますから」

「うわくっさ!」

 すべてが繋がりそうだった瞬間、くノ一の子が優しく寄りかかってきて思わずその悪臭にすべてが消し飛んでしまった。

「え? やだ? 私……そんな……え? 」

 一方、くノ一の子は俺の発言に大層傷ついた顔をし、自分の身体のにおいを必死でかごうとする。が、自分で自分の臭さは分からないのか首を傾げる。

「いや、うん、ごめん。俺が悪かった。その、においについてはきっと俺の鼻が馬鹿になって――くっっっっっさっ!」

 彼女に謝る為に近寄ろうとしたらあまりの悪臭に思わず後ろに飛び退いてしまった。

「……そんな」

 くノ一の女の子はこの世の終わりみたいな最高に傷ついた顔をする。

「ごめん。その、今の俺の鼻はかなりおかしくなってるみたいだ。

 っていうか、ちょっと、え? さっき何か思い出しかけてたのに全部消し飛んでしまったぞ?」

 確かに何かをつかみかけてる感覚があったのにすべて吹き飛んでしまった。

「ごめんなさい。でも、その、仕方ないの。これはそういう運命なのだから」

「運命と来ましたか」

 なんか色々とバカバカしくなってきて投げやりな声を放つ。

「…………はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 俺は大きくため息をついてその場に座り込んだ。

 色々と、考える。

「ごめん。俺を助けてくれたのは君なのか」

「……はい」

「そうか、ありがとう。何も分からないけど、君は俺の命の恩人だ」

 ――くっっさっ。

 台詞ではない。彼女の悪臭がである。

 だが、耐えよう。俺は男なのだから。

「ごめんよ。結局俺は何も思い出せない。今も鼻がおかしくなったままだ。

 教えてくれ、俺の危機は続いてるのか? その、また何かに襲われたり爆発したりするのか?」

「いいえ、大丈夫なはずです。すべては終わりました」

「…………じゃあいいや。俺は知るのをやめる」

 俺は投げた。

「とりあえず、病院に行こう。やっぱり身体が重くて動かないからあのマンションの周辺に止まってる救急車のどれかに話しかければ乗せてもらえるだろう。

 せっかく助けてくれたけど、俺は君には何も返せない。帰ってくれ」

 俺の言葉に彼女は首を横に振る。

「いいえ、最後までお供させてください」

「そうか、ありがとう。君の優しさには敬意を表するよ」

 俺の言葉に彼女は頷くと、肩を貸して俺を立ち上がらせてくれた。

 不思議と、さっきまで感じていた悪臭は消えていた。

「ところで、新太さんは恋人とかいます?」

「いないね。俺に愛はないよ」

「そっか。そうなんですねぇ」

 何故か彼女は嬉しそうに笑う。

「なんでそんなに喜んでるんだ」

「ちょ、別に喜んでませんよぅ」

「いや、ほら、笑った。今メッチャ笑った。すげー嬉しそうじゃん」

「違いますよ。ほら、ともかく救急車に行きますよ! はい!」

 かくて俺たちは訳の分からないまま肩を寄せ合い歩いて行く。

 でも不思議と悪い気はしなかった。




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