第7篇『腹痛』
お題:『腹痛』
ついにこの日がやってきた。
ボクは意気揚々と手にした錠剤をゴクリと飲み込む。
すぅーっと身体の中でナニカが弾けて混ざる感覚を得た。気のせいだけど。
後は一時間もすれば、その時が来るだろう。
その時までボクはただ、じっと待つだけだ。
いいや、まずはおめかしだろう。
ボクはいつもの学ランを脱ぎ捨て、丁寧に折りたたむと、押し入れの中にしまった。そのほか、部屋の中にある男っぽい要素の感じられる鞄やジャケットの類いを次々に折りたたみ、片付けていく。
そうして、おそらくぱっと見て男らしい要素のモノがなくなったのを確認すると紙袋を取り出した。
中に入っていたレースの入ったカワイイ下着、シャツ、カラフルなジャケット、スカート、アンクレット、カチューシャ、ウィッグ、靴下などをいそいそとベッドの上に並べていく。
男の一人暮らしの六畳間があっという間にかわいいお洋服で満たされる。
うきうきと鼻唄を歌いながらボクは上着を脱ぎ、トランクスを脱ぎ、一糸まとわぬ姿になるとふぅぅぅぅぅ、と大きく息を吐いた。
そして柔らかなショーツを手に取り、すぅぅぅっと足の上へ上げていき、手を離す。ぱちっと小気味よい音が部屋に鳴り響く。
そしてブラに申し訳程度のパッドを載せた後、こぼさないようにそっと上に持ち上げつつ、ヒモを背中に持っていく。パッドが滑り落ちないように慎重に慎重にブラ紐をカチリと背中で止めた。
「よし」
会心の笑みを浮かべ、思わずガッツポーズをとる。
が、すぐさま我に返って手を下ろす。ガッツポーズはかわいくない。
「ともかくささっと行こう」
そうしてシャツの袖に腕を通し、しゃっと身体の前にボタンを持っていく。普段と違いやや盛り上がった胸元ににやけながらボタンを一つ一つ締めていく。男物と違ってボタンの向きが逆なのでちょっとボタンを留めにくいが、一つ一つ、丁寧に締めていった。
部屋の隅にある立ち鏡を見て、ちょっとポーズをとる。
「……よし」
ナニカを得たボクはニーソックスを手にしてすぅぅっと膝上まで伸ばす。ゴムの締め付けがなんとも気持ちいい。
そしてベッドの上にあるスカートに手を伸ばし、ごくりと唾を飲んだ。
何故か今更緊張をする。
意を決してスカートを腰に巻き、サイドでボタンをぱちぱちと留める。
後はカラフルなジャケットを羽織った。
「じゃぁーん」
再び立ち鏡の前でポーズをとる。
「ピースピース」
ちょっと思いついてジャンプしてみる。
ふわりとスカートが跳ねた。
「……いいねぇ」
ボクはにやけるのを自覚しつつ、机の上にある化粧品に手を伸ばす。
顔全体を化粧品で少しずつ調えていき、眉毛を引き、最後に薄赤い桜色の口紅を丁寧に横へと伸ばす。
そして長髪のウィッグを付ければ――。
「素晴らしぃ」
あまりの素晴らしさに思わず噛んでしまった。
そこにいたのは紛れもない美少女だった。
背が低いのが良い感じにフィットし、小柄で、髪の長い、胸の控えめな、高校生くらいの美少女がそこにいる。
「すごい……これがボク。やっぱり、イケると思ってたんだよね」
これはとあるアニメのキャラクターのコスプレグッズである。ある日、とある通販会社のバーゲンセールで見かけて衝動買いしたモノの、男のボクが手にしても意味がないと後で気づいたのが先週の話。
しかし、三日前に気づいた。
――いや、背格好だいたい同じだからボクでもいけるのでは?
かくてボクは女物の下着なども追加で購入し――今日に至る。
なんにしても――。
「ふふふ、きゃわいい」
胸の前で手を合わせぶりっこポーズをとる。元ネタのキャラは一切そんな仕草をしないのだが、女っぽい仕草のバリエーションがボクの中で少ない為、とっさにありきたりなポーズをとってしまった。だがそれでも――。
「かわいい」
――すごい。すごいぞボク。これは"成って"しまったね。
どんなにダサいポーズであろうと許されてしまう。それがカワイイと言うことなのだ。
まるで天にも昇るような気分でおしりをふりふりとしてしまう。
と。
ぴんぽーん
「はっ」
頼んでいたものが来たのか。
いや、もう頼んでいたものはないはずだが。
化粧品も錠剤も例のブツも全部届いているばずだけど。
――もしかして何か受け取るのを忘れていたのかもしれない。
今から着替えるか。
いや、今のボクは完全なる美少女。イケる。宅配のお兄さん程度軽くだませる。
むしろ、何も知らない人にかわいいね、て言われたい。
絶対に言わせるべきだ。
初めての女装に気が大きくなっていたボクは結局コスプレ姿のまま、意気揚々と玄関へ向かった。
「はーい、奈河(なか)でーす」
精一杯の猫なで声と共に扉を開けるとそこにいたのは――。
「――奈河くん?」
「げっ、先輩」
思わずボクはかわいくない声を出してしまった。
数分前とは打って変わってボクは沈痛な面持ちで部屋に座り込んでいた。
目の前に居るのは学校の先輩である荘子祥子(しょうし・しょうこ)さんである。
なんでも、夕飯を作りすぎたのでお裾分けに来たらしい。
彼女にとってボクはカワイイ弟みたいなものらしく、折を見てこうして食事を持ってきてくれるのだけれど、まさかこのタイミングで出くわしてしまうとは。
やけに片付けられた男の一人暮らしの狭い部屋。
ベッドの横にある簡素なテーブル。
真ん中にあるカレーの詰まった鍋。
それを挟んで向かい合う気まずい女装したボクと先輩。
――お腹痛くなってきちゃった。
泣きたい。非常に泣きたい。
「奈河くん」
「はい」
「質問してもいいかしら」
「……拒否権を行使したいのですけど」
パシャッ
有無を言わさず先輩はスカートから抜刀したスマホで写真を撮る。早い。
――なんという速さ。これが刀だったらボクは間違いなく斬られていた。
「いや、そんなことはどうでもいい」
「? 何が?」
「――いえ、こっちの話です」
パシャッ パシャッ パシャッ
顔をそらすボクに対し、先輩は容赦なくスマホで連続撮影をたたき付けてくる。
「……奈河くんに拒否権は?」
「ありません」
泣きたい。いや、もう既に泣いていた。
カワイイ弟分として先輩にはそれなりによくしてきたのに、まさか、こんなところで――。
「勘違いしないで」
しとしとと涙を流すボクに対し、祥子先輩はにっこりと笑う。
「私、ずっと弟が欲しい、て言ってたけど、妹も欲しかったのよ」
はっと、とボクは顔を上げる。
「笑いなさい、奈河ちゃん。あなたはカワイイ私の妹よ」
――女神だ。そこには女神がいた。
祥子先輩の御姿から後光が差し、目映いぐらいに輝いて見えた。
「先輩!」
「ち・が・う・で・しょ」
「……お姉様っ!」
「そうよ、ナオちゃんっ!」
ひしっ、とボク達は抱きしめ合った。
よかった。ボクは理解あるお姉様がついていて。
一時はどうなるかと思ったけどボクはコレで――。
「う゛っ」
ボクはお腹を押さえてかがみ込む。
「ナオちゃん! どうしたの?」
「お姉様。その、私――今日は体調悪いので帰ってくれませんか?」
声を震わせつつ、ボクは祥子先輩に懇願する。
「何か悪いモノでも食べたの?」
「いいえ、違うんです。その、カレーなら後で食べますので、今日はその、帰って欲しくて」
気づかれる訳にはいかない。これだけは隠し通さねば――。
「いいのよ、隠し事なんてしなくって。今更よ。私にはなんでもいってちょうだい。
今度二人で洋服屋さんに行きましょう、ナオちゃん」
「ぐぅぅぅぅ、とても魅力的な提案ですぅぅぅ、でも、その、なんでもないので! 帰って欲しくて!」
ボクは下腹部に走る激痛に耐えながら、必死で先輩に訴える。
「トイレ、トイレに行きたいのね。だったら行けばいいじゃない」
「…………そうですね。トイレには行きます。でも、それは先輩が帰ってからです。はい。ええ。行きますので。お願いします。お願いなんですよ、ホント」
「あらあらあら、どんどん口調がおかしくなってるわ! 気を確かに!」
――気を確かにしてるから帰ってって言ってるんですよぉぉぉ、この分からず屋さんがぁぁぁ。
ともすればあふれ出てしまいそうな何かに必死で耐えながら、ボクは脂汗を流しつつ、先輩に訴える。
「お願いです、先輩。今日は――帰ってください。一生のお願いです」
「女装が見つかった時も言わなかった台詞をここで!? まさか。さらに何があるっていうの?」
ボクの様子のおかしさに気づいたのか先輩の視線がすさまじい速度で殺風景なほどに片付けられたボクの部屋をスキャニングしていく。やがて――ベッドの横にちょこんと置いてある紙袋に焦点を合わせた。
「……そういうことね」
「はっはっはっ、どういうことですぅ? おねぇしゃまー。あたち、何もわかんなぁい」
立ち上がり、紙袋に近づこうとする先輩に思わず抱きつく。
「後生です! お願いです! 見ないでください!」
「何を今更! 隠さなくていいじゃない! もうだいたい分かったわよ!」
「それでも! それでも見られたくないんです! 男の、男の意地って奴を理解してください!」
「お姉様は女なので分かりませーん!」
無情にも先輩は腹痛で力の入らないボクをなんなく引きはがし、紙袋に手を伸ばした。
その中身は――股ぐらのエネルギーをこうぐいっとする感じのおもちゃだった。大人の。
「うっわー、初めて見た。エネちゃん」
「……エネちゃんですか」
「そうよ、ナオちゃん。偉いわね。初めての女装でそこまで覚悟を決めるなんて」
「は……はは……」
「ふふふふふふ」
「はははははは」
先輩はエネちゃんの先端をつんつんとマニキュアでつつきつつ笑った。
「トイレに、行きなさい。これはお姉様命令よ」
――終わった。
今、ボクの中の決定的な何かが終わってしまった。
女装姿を見られたまではいい。
腹痛でもだえ苦しむ姿を見られるまではいい。
けれども、まさかこんな――初めての女装で、その為に用意していたおもちゃまであこがれの先輩に見つけられてしまうなんて。
「……はい、お姉様。私はあなたの奴隷です」
さらさらとボクの中にあった大事な何かが砂となって夜風に飛ばされていくのを感じる。
かくてボクは、男の娘となったのだった。
了
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