第23話 奏だと思ってみる?



 あれから数日、平穏な日々を二人は送っていた。

 表面上はそう見えた。

 ――だが、瑠璃姫には分かっていた敦盛が考え込んで、否、未練がましく思っている事を。


(まったく、コッチはまだお尻がヒリヒリするってのにっ、あっくんと来たら…………あったま来るわね)


 彼の家、キッチンで料理を作る後ろ姿をソファーの上クッションを抱きしめながらテレビを見ているフリ。

 件の洗脳装置は失敗に終わった、それは効果が不十分だったからではない。

 敦盛と奏の間に、瑠璃姫にとって上向きの変化が見られなかったからだ。


(――――竜胆と奏の仲が進展したのは良いコトだわ、けどアタシは)


 把握したかったのは、あのベランダの夜の敦盛の心が何処まで本気なのか。

 それを知った奏がどう出るか。

 ところが結果は、どうだろうか?

 

(竜胆は奏を意識し始めた、奏はこれを期に攻勢を仕掛けようとしている。…………んでもってコイツはさぁ)


 敦盛は鼻息混じりに機嫌良く料理している様に見える、だがそれはあくまでポーズに過ぎない。

 その内面は。


(ぬおおおおおおおおおおおおおおっ、俺のバカあああああああああああああああああッ!! なんで、なんであの時バカの邪魔をしてしまったんだッ!! 洗脳を言い訳に奏さんにキス出来たかもしれないのにッ!!)


(なーんて考えてるんでしょうねぇ……)


(ううッ、けどそれで奏さんを傷つけていた可能性も……そういう意味ではパーフェクトな結果に終わったかもしれないがッ、パーフェクトな結果が気に食わんッ!! なんで竜胆なんですか奏さああああんッ!?)


(手に取るように分かるわ、確実に奏にキスしたいって思ってるし、これで良かっって心の底から思ってる自分に苛立ってる。――バカみたい)


 溝隠瑠璃姫は恋していない、むしろ不要とすら思っている。

 ……彼女は生まれついての天才だった。

 故に、自分がその才能で生涯金銭に困らない事は早い段階から理解していたし。

 子供が欲しくなったら、精子バンクから種を貰うか養子を取ればいい、そう思っていた。


 彼女の人生において誤算だったのは、母の死。

 もしもっと早く気づけたなら、母が病を隠さなかったら、きっと母は今でも生きていた筈だ。


 彼女の人生において理解不能なのは、幼馴染みである早乙女敦盛という存在だった。

 明らかに瑠璃姫よりスペックが大幅に劣っているにも関わらず、――勝てない。

 客観的に見ても、迷惑をかけているというのに――好意を抱かれている。


(ま、好意についてはアタシも意図的にしてたトコもあるけどさ)


 彼女の人生において、最大の誤算と理解不能な事。

 それは、――敦盛が奏に恋をした事だった。


(でも……だからこそ気づいたコトもあるわ)


 彼女の人生において、敦盛は必要不可欠である。

 彼女の人生において、敦盛は生きる理由である。


(アタシばっかり不公平じゃない、――だから、あっくんもアタシのコトで悩まないとねっ)


 ニタァ、と口元が歪む。

 彼は振り返らずとも、その雰囲気を感じ取って。


(…………なーんか嫌な予感がするぜ)


(ま、ベタだけどこの手で行きましょ。あっくんなら効果絶大ってねっ)


(近づいてきてるッ、迎撃するか? いやでも煮込んでる途中だしッ)


(さぁ思う存分に苦しむといいわっ!!)


 バッ、と振り向く敦盛、予想済みだと彼の顔を両手で掴む瑠璃姫。

 そして。


「ね、奏にキスしたいんでしょう? だったらアタシを奏と思ってキスしてみない?」


「貴様ッ!? 心を読んだ――――…………はぁッ!? な、なななななな、何言ってんのオマエッ!?」


「アンタのコトなんてお見通しよ、……悩んでるんでしょ? 後悔してるんでしょ? だーかーらぁー、アタシとキスしてみない?」


「マジで良いのかッ!? じゃねぇよッ!? なんでいきなりそんな話になるんだッ! 仮にテメーの言う通りだとしてもッ、テメーとキスする理由にならないだろうッ!!」


「え、アンタは思わなかったの? ――竜胆が奏にキスしたみたいに、アタシにも奏にもキスしたいって」


「奏さんだけなッ!!」


「へー、ほー、ふーん? ところであの様子だと竜胆と奏はキスしたの初めてじゃなさそうだったけど? そこんトコロはどー思ってる? これはアンタへの提案なんだけど、奏とキスする前にアタシで練習してみる?」


「情報量が多いッ!! テメーは俺の心を折りに来たのかッ!? 竜胆と奏の事はあんま考えたくなかったのにッ!!」


「だから現実逃避して、奏とのキスの事だけを考えてたんでしょ? ね、いい? アンタは竜胆に大きく遅れを取っているの。ここから巻き返すのは至難の技と言ってもいいわ」


「現実を突きつけるな、逃避させろこのヤロウ」


「ヤローじゃなくて女の子よ、んでさ――万が一、いえ億が一、アンタと奏がキスするコトになったとしてよ」


「億が一ってよォ…………」


「え? 無量大数が一の方が良かった?」


「それ数の単位の限界じゃねぇかッ!! 実質無理って言ってるよな? 不可能って言ってるよなそれッ!?」


「なら、――なおさらキスぐらい経験しておくべきじゃない? このままだとあっくん、一生キスを経験しないで終わるでしょ」


 あまりに率直な台詞に、敦盛はさめざめと両手で顔を覆った。

 その直前、律儀に鍋の火を消してしまう自分の冷静さが恨めしい。


(あんな光景見てたらさァ! そりゃマジで脈なしってちょっと理解してきたけどさァ!! この言い方はねぇだろッ!! コイツにも脈ナシとか心折れるぞマジでッ!!)


 本当に可能性が無ければ、彼女はこんな際どい事を言い出さない。

 そう信じたかったが、断言するには色々と勇気が足りない。

 だが、初めてのキスへの大きなチャンスである事にも違いなくて。


「ねぇ、どうするの? アタシを奏だと思ってキスしてみる?」


「………………奏じゃなくてお前自身として見るのは?」


「それはNGよ、だってアタシはあっくんと奏の仲を応援しているワケだし」


「……………………………………雰囲気作りから、とかオッケー?」


 絞り出す様に、躊躇いと動揺と欲望と、そして恋心の混じった言葉。

 瑠璃姫はニマニマと蔑むように笑い、無言でリテイクを要求する。

 その事に気づいた彼は。


「…………キス、させてくださいご主人様ッ!! 奏さんにするように雰囲気作りからッ!!」


「よろしい、――じゃあ何処から始めるの?」


(そのツラ出来るのも今の内だと思えッ!! 絶対にお前の方から降参を言い出すぐらいにロマンチックに決めてやるぜッ!!)


(絶対に攻めてくるわねあっくんは、――アタシの難攻不落っぷりを見せつけて執着させて、奏とのキスの事なんて考えられなくしちゃうんだからっ!!)


 そうして、敦盛と瑠璃姫はキスする……のかもしれなかった。 


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