第32話 『妹の恋人』への言葉
しばらく遠くを眺めていた宗佐がようやく現実へと戻って来て、改めて向き直ったかと思えば「どっちからだ」と尋ねてきた。
主語を省いた問い掛けだが、これはきっと『どちらから告白したのか』ということなのだろう。
ここまできたのだから俺も正直に打ち明けるべきだろう。……いや、今までも別に隠したり嘘を吐いていたわけでもないんだが。
「俺からだ」
「……いつから珊瑚のことを」
「好きになったのは文化祭だな」
それ以前にも可愛いとは思っていたが、はっきりと己の中の恋愛感情を自覚したのは文化祭だ。
宗佐を立派な王子にするべく二人で協力し、そして相変わらず騒動に巻き込まれ俺と珊瑚は代役の王子と姫として舞台上で手を取って踊った。あの瞬間が楽しくて、そして楽しいと思えることが嬉しくて、この気持ちが恋だと認めたのだ。――舞台上でのあの瞬間の事は……、もちろん宗佐に言えるわけがないし言う気もない――
もっとも、そんなことを語れるわけがなく簡素に返せば、宗佐が「文化祭かぁ」と懐かしむように話し出した。
「お前と珊瑚が閉じ込められて大変だったよな。後半はもう校内を走り回った記憶しかないや」
「……ん?」
「でもお店自体は成功したから良かったよ。ベルマーク部には行けなかったけど、お化け屋敷は見に行けたし。そうそう、弥生ちゃんは結局お化け屋敷の怖くないバージョンを見に行ったらしくてさ、あちこちから挨拶が聞こえてきて楽しかったって話してたんだ」
懐かしさからか宗佐が饒舌に話す。その記憶は確かに俺にとっても懐かしいものだ。
月見の提案が採用され、クラスの出し物は親子用の喫茶店となった。その給仕の間に俺と宗佐は珊瑚のクラスが行っているお化け屋敷を見に行き、その陰鬱とした内容にげんなりし、見に行きたいけど怖いという月見に『怖くないバージョン』の話もした。
だが順調だったのは途中までで、俺と珊瑚は技術用具室に閉じ込められてしまったのだ。おかげで、俺も後半は用具室にいた記憶しかない。
文化祭の騒々しさも、珊瑚と過ごした用具室での時間も、二人で聞いた文化祭終了のアナウンスも、そして俺達の予感通り真っ先に助けに来た宗佐の姿も、今でも鮮明に思い出せる。
もちろん、騒動の後に和風喫茶の袴姿で珊瑚が俺に会いに来てくれた時のことも。
矢絣模様の朱色の着物に濃紺の袴という王道な組み合わせ、ふわりと揺れる白いエプロン。あの時の可愛らしい姿は忘れるわけがない。
俺の胸にも自然と懐かしさが湧き上がる。
……が、それと同時に湧き上がるのは、「でも違うんだよなぁ」というなんとも言えない気持ち。
なにせ宗佐が話しているのは三年生の時の文化祭なのだ。
そして俺が珊瑚への想いを自覚したのはそれより更に一年前。二年生の文化祭である。
「宗佐、違う」
「ん?」
「三年の時の文化祭じゃない、二年だ」
そうはっきりと訂正すれば、宗佐が数度瞬きをし……。
「二年!?」
次の瞬間、声を荒らげた。
隣の部屋に人がいるんだから声を押さえろと咎めるが、まぁ宗佐が驚くのも仕方あるまい。
「二年の文化祭っていうと、その後に旅行いったよな!?」
「その時に告白した」
「芝浦家がナイーブになってる時に!? おい待て、夏祭は!」
「お前が珊瑚を呼んでくれたんだよな。ありがとう」
「この野郎! あ、そうか……、だからお前、クリスマスに……!」
色々と思い出したのだろう宗佐がヒートアップし、次いで頂点を超えたのか一気に落胆して項垂れた。一連の流れは見事と言わんばかりだが、それだけ宗佐の中で衝撃の事実だったのだろう。
自他共に認めるシスコンで、可愛い妹に近付く輩は徹底排除すると日々息巻いていたのに、よりによって自分が俺と珊瑚の橋渡しをしていたのだ。
溜息は深く、哀愁すら感じられる。
だが盛大に溜息を吐くと共にゆっくりと顔を上げ、己を落ち着かせるようにお茶に口をつけた。
「まぁでも、健吾なら珊瑚のことも任せられるか。……だけど」
ふと宗佐が言いかけ、じっと俺を見据えてきた。
滅多に見られないその真剣な瞳に、俺も茶化すことも誤魔化すこともなく見つめて返す。
「珊瑚を泣かせたら承知しないからな」
「……宗佐」
真剣味を帯びた宗佐の話に、俺は出掛けた言葉をすんでのところで飲み込んだ。
『お前が言うな』
と、そう言ってやりたかった。出来るならば、言うだけではなく胸倉を掴んで一発ぐらい殴ってやりたかった。
今まで珊瑚はどれだけ宗佐を想って泣いただろうか。血の繋がっていない兄妹という現実に泣いて、宗佐を取り巻く女の子達を眺めては泣いて、月見を恋い慕う宗佐を誰より近くで見ては己の望みの薄さに泣いて……。
そうして卒業式のあの瞬間、『芝浦宗佐』の名前を『お兄ちゃん』に変えて、最後まで妹を貫いて俺の腕の中で泣いたのだ。
それを思えば宗佐の鈍感さが腹立たしく、机の下で握った拳に力が入る。
だけどこんなことを言ってしまうぐらいに、宗佐は良い兄なのだ。
血が繋がっていないことなど関係なく妹が可愛くて、妹が大事で、そして妹を想うあまり妹の恋人を前に真面目にこんなことを言いだしてしまう程に、宗佐は珊瑚にとって『良い兄』なのだ。
そしてなにより、そんな兄のために珊瑚は最後まで『妹』を貫いた。
それを知っているからこそ、俺は握りしめていた拳をゆっくりと解き、返事を求めるように見据えてくる宗佐に頷いて返した。
「大丈夫だ、
だってそうだろ、俺と珊瑚の間には血の繋がりも無ければ戸籍上の繋がりも無い。――戸籍の繋がりに関しては『まだ』だけど――
それに『友人の妹』と『兄の友人』ならば咎められる要素も諦めなければならない理由も無い。想いを隠す必要だって無いのだ。
今まで珊瑚を苦しめて涙を流させていた要因は一つもない。だからこそ断言するように答えれば、宗佐の表情に安堵の色が浮かぶ。
苦笑混じりに小さく呟かれた「頼むな」という言葉に、俺もまた苦笑を浮かべて頷いて返した。
それとほぼ同時に、再び室内にインターフォンの音が響き渡った。
いったい次は誰だと玄関へと向かい、先程と同じようにスコープを覗く。そこにあったのは珊瑚の姿だ。シンプルなワンピースに上着を羽織り、扉を開けて顔を覗かせれば律儀に頭を下げてきた。
「こんばんは、健吾さん」
「宗佐の回収か、大変だな」
「すみません、こんな時間に……。穏便に話そうとは思ったんですけど」
申し訳なさそうな珊瑚を宥め中に上がるかと問うも、ふるふると首を横に振られてしまった。
どうやら宗佐の回収が目的らしく長居をする気はないようで、顔を覗かせて様子を窺っていた宗佐を見つけるやキッときつく睨み付けた。――ちょっとぐらい上がっていけばいいのになぁ、なんて思ったのだが、怒りを顕にする珊瑚を前に言葉を飲み込む。今の俺は背後に
「宗にぃ、帰るよ!」
「珊瑚……、でも俺は傷心中で……」
「健吾さんのこと話したら飛び出して行っちゃうし、もう何考えてるの! 宗にぃだって普段は月見先輩との事を私に散々話してるでしょ!」
分かりやすく怒る珊瑚に、宗佐が気圧されつつも恐る恐る玄関へと近付いてくる。
なんて情けない姿だろうか。先程まで俺に見せていた兄らしさは欠片も無いが、まぁこっちの方が宗佐らしいと言えば宗佐らしい。そんなことを考えていると、宗佐がグイと俺の腕を掴んできた。
「健吾、もちろん珊瑚を家まで送るよな……」
「別に構わないけど。二人共自転車だろ、俺まだ自転車買ってないんだけど」
「宗にぃ、早く帰るよ!」
「三人で仲良く歩いて帰ろうじゃないか!」
大方、珊瑚と二人で帰れば道中説教されると危機感を抱いているのだろう。無理矢理に腕を引っ張ってくる宗佐の必死さに思わず溜息がもれる。
もっとも、珊瑚が居るのだから応えないわけがなく、呆れる彼女を宥めながら靴箱の上に置いてある鍵を手に取った。
◆◆◆
次話で完結となります。
最後までお付き合い頂けますと幸いです。
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