第31話 『兄』の襲来

 


 初デートも終え、その後も数回デートを重ね、至って順調な交際期間を重ねること半年。

 夕飯の最中にテーブルの上に置いていた俺の携帯電話が着信を知らせた。


「なんだ?」


 誰にというわけでもなく呟き、携帯電話を手に取る。

 そこに表示されているのは珊瑚の名前と、そして……


『止め損ねました』


 という、簡素な言葉としょんぼりとした猫のイラスト。

 いったい何事かと携帯電話を片手に首を傾げながら操作を続ける。メッセージを返すか、だが電話を掛けても良いかもしれない。

 いったい何の話だと尋ねることを名目に、次の休みに遊びに行く予定でもたてようか、どうせ毎晩のように電話をしてるんだから、少し早めに電話をかけても問題ないだろう。少しでも長く話していたい。

 そんな惚気けた事を考えるも、思考を無理矢理中断させるかのように室内にインターフォンの音色が響いた。


 時計を見れば八時過ぎ。

 こんな時間にと怪しみながら玄関へと向かい、スコープを覗くとそこに見えるのは……、


「……宗佐?」


 そう、友人宗佐の姿。

 だがそれが分かっても訪問の理由までは分からず、ならば直接聞こうとドアノブに手を掛け……。


「けーんごくぅーん、ちょっと話しようぜぇー」


 という地を這うような低い声と、そして目が全く笑っていない宗佐の笑顔に全てを察した。


「あ、バレたな」


 と。思わずそんな言葉が口を突いて出た。



 俺が珊瑚と付き合っていることは宗佐には隠している。……といっても俺は普通に珊瑚を送り迎えしているし、その時に宗佐に遭遇することもある。会えば雑談するし、どうしたと問われて珊瑚の送り迎え答えたことなど数えきれないほどだ。

 電話を掛けるとリビングに忘れていっただの風呂に入っているだのと宗佐が代わりに出ることもあったし、そのまま繋いで貰ったこともあった。宗佐と遊びに出かけた時だって俺は珊瑚の土産を買うし、宗佐も俺と被らないように品物を選んでいた。


 改まっての報告こそしていないが、かといって隠しているわけでもない。むしろここまで隠さずにいれば宗佐も気付いているだろうと思っていたのだ。

 きっと宗佐なりに考えて、あえて自然に接してくれているのだろう……と。俺との『友人』という関係を壊すまいとしているのかとか、そんなことすら考えていた。


 だがどうやら事実は違っていたらしく、俺が思う以上に宗佐は馬鹿だったようだ。


 ちなみになぜ宗佐に報告していないのかといえば、いまだにこいつが石油王がどうのと煩いからである。

 宗佐以外にはちゃんと公言しており、珊瑚の母親や祖母にも送り迎えの際に話をしている。月見だって俺達のことを知っている。

 桐生先輩に至っては告白が成功したあの日に勘付いたようにニマニマとしており、それが派生して木戸も気付く始末。


 つまり、知らず気付かずにいたのは宗佐だけということになる。



「……まさか、珊瑚とお前が付き合ってたなんて」


 項垂れる宗佐にとりあえずお茶を出してやる。

 部屋にあがるや陰鬱とした空気を放って恨みがましく呟いてくるのだが、俺はむしろ不思議でたまらない。


「なぁ宗佐、俺このあいだ珊瑚を家に送り届けて、その時にお前に会ってるよな」

「あぁ、二人で映画観に行ったんだろ」

「その前にも、お前が旧芝浦邸に来たときに俺が茶の間に居たことあったよな」

「突然雨が降ってきて出かけるの止めたって珊瑚とテレビ見てた時か」

「あの浮かれたマグカップの片方は珊瑚専用だって話もしたよな」

「あのマグカップの浮かれ具合は凄いよな」


 棚に飾られているマグカップへと視線をやり、宗佐がケラケラと笑う。

 次いで互いにフゥと一息ついてお茶を飲んだ。


「……普通、気付くよな?」

「そうだな。確かにこれは気付くべきだ。特にマグカップなんて、俺は今更ながらに何も思って話を聞いていたのか不思議で堪らない」


 ようやく自覚してくれたようで、宗佐が深刻な表情で己の鈍感ぶりを嘆く。俺と珊瑚の関係を知って嘆き、かと思えばマグカップについて笑い、そしてまた嘆く。相変わらず感情の忙しい男だ。

 そんな事を考えながら、ひとまず珊瑚には宗佐が落ち着きを取り戻したことを報告しておく。


 そうして改めて聞けば、ここに来る数十分前に珊瑚から直々に打ち明けられたらしい。

 曰く、珊瑚の誕生日にどこかに遊びに行こうと提案したところ『一緒に過ごす人がいる』と、それどころか『付き合っている人がいる』とはっきりと言われたのだという。

 その時の珊瑚は頬を赤くさせ、恥ずかしそうに、嬉しそうに……。その話を聞いて思わず口角が上がりかけるが流石に押さえておく。ここでにやけでもしたら殺されかねない。


「それで、聞きだしたところ俺と判明したわけか。というか言われるまで気付かないってどうなんだ」

「確かに、珊瑚は今まで親しくしてる男友達なんて居なかったのにお前とはしょっちゅう遊びに行くなとは思ってたよ。それも二人きりで出掛けるし。なにかと電話してるし。どっか遊びに行くとお前のお土産買うし。呼び方もいつのまにか『健吾先輩』から『健吾さん』に変わってるし、お前も気付けば『珊瑚』って呼んでるし……」

「そこまで気付いてどうして付き合ってるって考えに至らない」

「それでも俺は石油王が……石油王が来ると思ってたんだ……!」

「ごめんな宗佐、俺が油田を持ってないばっかりに」


 項垂れる宗佐を宥めつつ、二杯目のお茶を注いでやる。


 相変わらず馬鹿な話を、と思いもするが、宗佐の胸中もきっと複雑なのだろう。

 なにせ自他共に認める妹溺愛で、常々石油王が云々と断言していた。その溺愛ぶりは、高校時代のクラスメイトならば知らぬ者は居ないほど。恋愛としての愛情は過去から今もなお月見だけに注いでいるが、それと同じぐらい家族愛が強く、そして家族として珊瑚を大事に想っているのだ。


 そんな大事な珊瑚が、友人の俺と付き合っている……。


 今まで俺の事は一切警戒せず、それどころか『珊瑚を共に守る兄仲間』のようなものと思って自分から珊瑚を近付けていただけに、直視し難い事実だったのだろう。――宗佐の俺に対する思い込みは、俺が珊瑚の事を『妹』と呼び続けていた事も原因な気もする――

 そもそも、思い返せば俺と珊瑚の出会いのきっかけは宗佐だ。まだ一年生の時に俺が芝浦邸に遊びに行き、中学生だった珊瑚と偶々遭遇したのだ。それどころか宗佐自らが俺達を互いに紹介してくれた。

 紆余曲折あっての今の恋人関係とはいえ、出会いの切っ掛けは間違いなく宗佐である。


 それを自覚しているのだろう、宗佐が遠くを眺めだした。

 一人暮らし用の部屋なので遠くなんて眺められるわけがないのだが、今の宗佐の瞳は壁を突き抜け、隣の部屋を……それどころか建物を突き抜けて遥か遠くをぼんやりと見つめている。


 きっと今日までに薄々と、いや、はっきりと勘付いてはいたのだが、脳が拒否していたのだろう。

 これは現実に戻るまでに時間が掛かるなと、俺は自分のカップに二杯目のお茶を注いで口を付けた。


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