第30話 ペアのマグカップ

 


 一人暮らしをするにあたり必要最低限のものは揃えたつもりだが、それでも足りないものは出てくる。

 あれが要る、これはどうか、そんな話をしながら店内を見て回り、マグカップが並べられているコーナーで足を止めた。

 マグカップと一口で言っても色とりどりでサイズも様々。中には飾るのが目的なのではと思えるデザインのものもある。女性客の多い雑貨屋だけあり、食器コーナーであっても随分と華やかだ。


 珊瑚からクリスマスプレゼントに貰ったタンブラーは当然引っ越し先にも持ってきた。保温効果もあり、勉強中や読書中に重宝している。

 だが食事をしている時はタンブラーよりもコップの方が飲みやすい。といっても、タンブラー以外の食器には無頓着なので、今はペットボトルと適当に買ったコップを使っている。


「マグカップですか? 良いですよ。プレゼントします」

「いや、別に自分で買うんだけど……」


 だから平気だと言おうとするも、珊瑚がムスと唇を尖らせて俺を睨みつけてきた。

分かりやすい不満の訴え。本気で怒っているのではなく、これは『今から怒ります』というアピールである。

 どうやらここは自分が買うと言いたいようだ。

 ならば遠慮するよりも彼女の好意に甘えるべきかと判断し、並ぶマグカップに視線を写した。俺の考えを察したのか、珊瑚が満足そうに頷く。


「しかしマグカップって言ってもかなり種類があるな」

「使いやすいのが良いですよね。いっぱい飲むなら大きめの方が楽だけど、あんまり凝った形だと洗うのが大変だし……」

「そうだな。でもせっかく貰うんだからシンプル過ぎるのもつまらないし……」


 どれが良いか、と話しながら眺める。


 取っ手に飾りのついた可愛いものから無地のシンプルなものまで、種類は様々だ。

 どれにするか選んでいると、珊瑚が一つのマグカップを手に取って首を傾げた。


「どうした?」

「これ、なんだか不思議なデザインですね」


 手にしたマグカップをくるくると回しながら話す珊瑚に、俺も彼女の隣からそれを覗き込む。

 マグカップの形状事態はよくあるものだ。大きく深めで取っ手も太めに作られているので使いやすそうである。

 だが不思議なのは絵柄だ。コップは全体的に水色をしており、側面には大きくキャラクターが描かれている。だがその顔は目を瞑り真横を向いている。


 キャラクターもののマグカップ自体は珍しくはない。

 俺でも知っているキャラクターから、初めて見るものまで、様々な絵柄の商品が揃えられている。

 だがどれも正面を向いている。今珊瑚が手にしているように、大体的に描かれながらも横顔というものは他にない。それも目を瞑っている。

 ……と、そこまで考え、一つを見つけて手に取った。


「これも横を向いてるな」


 ほら、と手にしたマグカップを珊瑚に見せる。

 サイズは同じ。色はピンク。描かれているキャラクターも同じシリーズのもので、珊瑚が手にしているカップのキャラクターとカップルだったはず。

 それがこちらも横を向いている。もちろん、目を瞑っているのも同じだ。

 対であることは一目でわかる。だが不思議なデザインだ……、と眺めていると、珊瑚が何かに気付いたのか「あ、」と小さく声を上げた。


「向きが違いますね」

「ん? あぁ、本当だ」


 珊瑚が手にしているカップのキャラクターは右を、対して俺が手にしているカップのキャラクターは左を、それぞれ取っ手とは逆方向を向いている。


「一緒に使うものなんですかね?」

「そうだな。見た感じ対になってるし。それから並べて飾るとか」


 話しながら、珊瑚が手にしていたマグカップに俺の手にあるものを添える。

 絵柄を見るにやはり対だ。だが並べても互いの取っ手が邪魔になり、近付けてもキャラクターは顔を背けてしまう。


 いや、でもこれはもしかして……。


 俺が気付くのとほぼ同時に珊瑚も察したようで、はっと息を呑んだのが隣から聞こえてきた。

 そうして互いに顔を見合わせ、それぞれ手にしていたカップを交換する。

 これで取っ手をぶつけずに並べることが出来る。絵柄も互いを向き合う。


 ……向き合うどころか、今すぐにキスをしそうな距離とデザインではないか。



「世の中にはこんな浮かれきったマグカップが存在したんだな」


 知らなかった、と呟けば、珊瑚がコクコクと頷いた。

 次いで珊瑚はマグカップをそっと棚に戻した。だがそのまま後ろに並べられていた箱へと手を伸ばす。

 箱には先程のマグカップと同じ絵柄が描かれており、中には同様の商品が入っているのだろう。

 それと、隣に置いてあった箱も一つ取った。こちらは対のマグカップが入った箱だ。


「……私が買います」

「珊瑚が?」

「はい。それで……、私のマグカップとして、置いてくれますか?」


 二つの箱を大事そうに持ち、珊瑚が上目遣いで尋ねてくる。

 その表情の可愛いことと言ったらない。


 これに応えないわけにはいかないだろう。


 だからこそ俺は珊瑚の手にある箱を一つ取った。

 薄ピンク色の箱。ペアになっているマグカップの一つ、女の子のキャラクターが描かれている方だ。

 二つとも自分で買うつもりだったのだろう、珊瑚が不思議そうに俺を見上げてくる。


「俺が買うよ」

「健吾さんが? でも、私は引っ越し祝いで買うんですよ」

「それは……。ほら、お祝いのお零れってやつだ。さっき話してただろ」


 そもそもは、楠木家が宗佐に合格祝いを送り、珊瑚がそのお零れを貰ったという話だった。臨時収入を得た彼女が、俺に引っ越し祝いをくれる……という流れだ。

 それを思い出して話せば、『自分が祝う引っ越し祝いのお零れ』という複雑さに珊瑚は一度首を傾げてみせた。

 もっとも、これが咄嗟に考えただけの俺の言い訳なのは言うまでもない。もちろん彼女もそれをすぐに理解し、表情を明るくさせると「お願いします」と笑った。


「並べて飾ってくださいね」

「もちろん。それに使いに来てくれるんだろ」


 なぁ、と俺が同意を求めれば、珊瑚はほんの少し頬を赤くさせ、それでも嬉しそうに目を細めて笑うと頷いて返してくれた。



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