第29話 初デートは猫と一緒に
「それで、一日で荷解きも全部終わっちゃったんですか?」
驚いたと言いたげな珊瑚に、俺は頷いて返しながら足元をすり抜けていった猫を撫でた。
場所はクリスマスにも行った猫カフェ。
引越しを終え、その勢いで荷解きも当日に終わり、ようやく迎えた初デートである。
どこに行こうかと相談していたところ、クリスマスの時に猫カフェのおやつを奢る話していたことを珊瑚が思いだしたのだ。
そうして猫カフェを訪れ、二人掛けの大きめのソファに腰掛けて他愛もない話をしている。
「終わったって言っても、棚や箪笥の中はとりあえず詰めといたって状態だけど。でもダンボール箱そのまま置かれるよりは見栄えも良いよな」
「詰め込んだだけでも、置く場所が決まってれば空いた時間にちょっとずつ整理できますもんね」
「そうだな。……それに、早く片付けて呼びたいからな。誰を、とは言わないけど」
暗に明確な名前を挙げず、それでも珊瑚を横目で見ながら告げる。
付き合いたての初デート。そこで引っ越しの話をし「呼びたい」となれば、誰かなど言わずとも分かるだろう。
もちろん部屋に呼んだからと言って疚しいことは考えていない。それでも、二人きりでゆっくりと過ごすぐらいは望んでも良いだろう。
珊瑚もそれを分かっているのか、恥ずかしそうに頬を染め、隣にちょこんと座る猫を撫で……、
そして恥ずかしがっているのを誤魔化すためか、
「呼びたいって、宗にぃですか?」
そう答えて悪戯っぽく笑った。
「あれは呼ばなくても来るだろ」
「確かにそうですね。入り浸るようになったら言ってください。回収に向かいますから」
「なるほど、宗佐を入り浸らせれば珊瑚が来てくれるんだな」
そんな方法が、とわざとらしく呟けば、珊瑚が再び頬を染め「もう」と小さく拗ねたような声を出してそっぽを向いた。
そうして店員が近くを通りがかると、声を掛けて注文したのは……、猫のおやつだ。
「話題逸らしに猫のおやつとは、さすが猫師匠だな。だが頼んだところですぐには来ない……。待て、なんでまだ現物が無いのに猫が群がってくるんだ」
珊瑚が店員に猫のおやつを注文したのはつい今し方のこと。
注文を受けた店員は当然だがまだ現物を持ってきてはいない。それどころかバックヤードらしき部屋にも行っておらず、その途中で猫達が喧嘩しそうになっていたのでその仲裁に行ってしまった。
だというのに、既に猫が俺達のもとへと集まってきている。それどころか灰色のスリムな猫が一匹、俺の膝にひょいと飛び乗ってきた。
「甘いですね。健吾先輩……、いえ、健吾さん。ここの猫達は頭が良いので、お客さんが猫のおやつを注文した時点で既に狙いを定めて群がってくるんです」
「なるほど、頭の良い奴らだ。うっ、肩にまで乗ってきた。とりあえず乗るのは良いからせめて座ってくれ」
膝と肩に猫に乗られ、そのうえ二匹ともなぜか四つ足で立ったままだ。
せめて座るなり丸くなるなりしてくれれば良いのに、これでは安定感が悪い。落ちないとは分かっていても落っことしてしまいそうで不安になる。
だが背中を撫でて促しても猫は従ってくれず、その手にもまた別の猫が前足を引っかけてアピールしてくる。
そんな俺の状態を、珊瑚が楽しそうに眺めてくる。
さすが猫を飼っているうえに猫カフェにも通っているだけあり、俺と同じように猫に群がられていても彼女は余裕だ。膝に乗っている猫をゆっくりと撫で、自分もと更に乗ってこようとする一匹の鼻先を擽るように撫でて下がらせている。
慣れてるな。と感心していると、先程の店員が戻ってきた。
手には猫のおやつが入っているタッパーを持ち、そして片手で猫を抱っこしている。更には後ろに猫を二匹引き連れているではないか。
つまり三匹増えたわけだ。
「既に手一杯なんだが、この状況でおやつなんてあげられるのか?」
「あげられるのか、じゃないですよ。あげるんです。むしろあげなくてはならないんです。おやつを買った者の使命です」
「なるほど、これを乗り越えなきゃ猫センサーなんて夢のまた夢だな」
冗談めいて話しながら、店員からタッパーを受け取る。
その間にも猫はアピールし、ただでさえ不安を覚えていた膝の上の猫に至っては後ろ足だけで立ってタッパーを嗅ぎだすではないか。
慌ててそれを撫でて落ち着かせるも、その手にも別の猫が鼻先を寄せてくきた。
◆◆◆
「今まで猫にはあんまり触れてこなかったけど、その分を取り戻すぐらいに猫を触った気がする」
そんな事を話せば、珊瑚が満足そうに頷いた。
あのあと散々猫達に群がられ、圧倒されながらも猫におやつをあげ、その後もしばらくはカフェで過ごし、ようやく店を出てショッピングモールへと向かった。
もちろん退店時にはコロコロこと粘着シートで猫の毛を取ったのだが、それでも猫の毛はあちこちに着いている。それに気付くたびに猫カフェでのことを話題にし、先程の俺の発言だ。
なにせそれほどに凄かった。
右も左も猫、どころではなく、膝に乗られ肩にも乗られているため右も左も前も後ろも猫だ。耳元に鼻を寄せてきた猫のふぐふぐという不思議な鼻息は今でも思いだせる。
そんな事を話しつつショッピングモールを見て回り、とある店を見て行こうと珊瑚が誘ってきた。
雑貨屋。どちらかと言えば女性用の雑貨が多く、店頭には色鮮やかな商品が並べられている。
「健吾さん、見て行きましょう。引っ越し祝いにプレゼントしてあげます」
「引っ越し祝い?」
「はい。せっかくの新生活ですから、色々と新しいものを揃えなきゃ」
だから、と珊瑚が俺の腕を取って店内へと進んでいく。
雑貨屋を見て回るのは構わない。だがいくら新生活とはいえ、買ってもらうのは気が引ける……。
そう腕を引かれるままに店内を見て回りながら告げれば、珊瑚が得意げに臨時収入があったのだと話し出した。
「楠木のおばあちゃん達から宗にぃへの合格祝いが届いたんです。それで私にも進級祝いって」
「なるほど。お祝いのお零れってやつだな。俺もたまにある」
「兄妹を持つ者の特権ですね」
兄弟の祝いのついで、当人程ではなく心ばかりだけど……。というのは今まで幾度もあった。
当人だけを祝うのは気が引ける、そんな贈る側の気遣いなのだろう。
有難い話だな、と珊瑚と話しつつ、嬉しそうにその時のことを語る彼女を見つめた。
楠木とは、今は亡き珊瑚の産みの母親の実家。観光地で老舗旅館を営んでおり、以前に縁あって訪れたことがある。
その際に出迎えてくれた珊瑚の祖母は品良く穏やかな女性で、珊瑚はもちろん宗佐にも、それどころか飛び入り参加で宿泊することになった俺達にまで親し気に接してくれた。
だが言ってしまえば、楠木の家と宗佐は無関係だ。いや、戸籍を辿っていけば繋がりは見つけられるだろうが、それだって『亡き娘の元夫が再婚した女性の連れ子』という複雑さである。
それでも楠木方の親族は宗佐の大学合格を心から喜び、お祝い金まで送ってくれたのだという。
「宗にぃに『なんのゲーム買うの?』って聞いたら、『さすがにこれは勉強のために使うよ』って笑ってました」
楽しそうに笑いながら話す珊瑚に、俺も自分の表情が和らぐのを感じながら相槌を打った。
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