第22話 『妹』と『兄』
ジンクスはあるものの校内を見て回るコースについての決まりはない。各々が思い出のある場所を見て回るだけだ。
初めて言葉を交わした教室、話し込んだ廊下、一緒に過ごした部室。校舎内に限らずグラウンドだって良いし、中には校舎外どころか学校の敷地から出て外の公園や店に向かう者もいるらしい。
結局のところ、思い出の場所を二人で過ごすことが大事なのだ。元よりただのジンクスなのだから細かいところは人によりけり、当人達が『ジンクスに添っている』と思えばそれで良い。
当然だがカップルによって思い出の場所は違い、行く場所は様々だ。
だが他の誰でもなく宗佐と月見であれば向かう場所も予想がつく。なにより、彼等が歩き出すのを俺も見ているのだ。
二人を、そして二人を追う珊瑚を追って校舎裏へと向かえば、案の定、彼等の姿があった。
並んで立つ宗佐と月見。
そして、彼等と向かい合うように立つ珊瑚。
校舎裏は卒業式という今日に至っても人の気配はなく、聞こえてくる賑やかな声が妙に遠い。
ここもまた、宗佐と月見にとっては思い出の場所の一つだ。
月見の鍵を取るために宗佐は足が汚れることも厭わず藻で覆われた池に入り、月見はそんな宗佐にこの場で告白をしようとした。結果それは叶わず、俺達の騒動と合わさり、宗佐が池に倒れ込んで……。
そんな騒動を思い返せば懐かしさが胸に過ぎる。
あの頃すでに宗佐も月見も互いを想い合っていた。
……そして、その何年も前から、珊瑚は一人で誰にも言えず、宗佐への想いを抱いていたのだ。
忘れもしない、彼女の本当の気持ちに触れたのもあの事件が切っ掛けだった。
「珊瑚、どうした?」
尋ねる宗佐の声色は普段通りで、自分達を追いかけてきた妹を不思議に思っているのだろう。隣に立つ月見も同じように珊瑚を見つめている。
どうやら誰も俺が来た事には気付いていないようで、姿を現すのも気が引け、ひとまず会話が聞こえそうな距離まで詰めると木の陰に身を隠した。
覗き込めば、珊瑚の横顔が近くに見える。それと、少し進んだ先に立つ宗佐達の顔も。
賑わった水族館と違い、人気のない校舎裏だけあり彼等の声も聞こえてくる。
そうしてしばらくは様子を窺い合うような空気が周囲を包み、時折、吹き抜けた風が木々を揺らして沈黙を破った。季節柄か今日は風が強く、ザァと湧き上がるような葉の音がやたらと大きく周囲に響く。
そんな中、一際強く風が木々を揺らしたのとほぼ同時に珊瑚が顔を上げた。
「ずっと、好きだったの……」
囁くようなか細い声が俺の耳に届き、思わず息を呑んだ。
だが宗佐達には届かなかったようで、二人はいまだ不思議そうな表情をしていた。吹き抜けた風と葉の音が邪魔をしたのだろうか。
そんな宗佐に対して、珊瑚はゆっくりと噛みしめるような声色で言葉を紡いだ。
「ずっと、ずっと……好きだったよ。誰よりも前から……」
「珊瑚?」
どうしたんだ? と宗佐が不思議そうに声をかける。その表情にも声にも驚愕や焦りはなく、あるのはただ純粋な疑問の色だけだ。
普段通りの変わらない宗佐の様子。それを見れば、珊瑚の言わんとしている事が通じていないと分かる。
それを見て取ったのか、それとも宗佐を見つめることが辛くて耐えられなくなったのか、珊瑚はゆっくりと俯いてしまった。
「ごめん、声が小さくて聞こえなかったんだ。もう少し大きな声で……」
大きな声で言ってくれと宗佐が催促する。それと同時に珊瑚のもとへと近付くのは、彼女の言葉を聞き取ろうと考えたからだろう。
それが告白だとは思いもせず。
ただ『大事な妹』が『兄』である自分に何か伝えようとしているのだと考えて。
そうして宗佐が珊瑚に近付くその直前、俯いたままの彼女は小さく唇を動かした。
『芝浦宗佐さんが大好きでした』
そんな言葉が、俺の耳に届いたような気がする。
何年も言えずいた珊瑚の本音。
誰よりも先に胸に宿し、誰よりも近くで抱き続け、そしてこの瞬間もなお彼女の胸に溢れる、『妹』ではなく『芝浦珊瑚』の本当の気持ち。
それをようやく告げることが出来たのだ。
だがその声は酷く掠れて弱々しく、切なさしか感じさせない。
次の瞬間、彼女はパッと顔を上げると、普段通りの明るい口調で宗佐を呼んだ。
……いや、口調こそ普段のものだが呼び方は普段通りではない。
なにせ彼女は、
「家に帰ったらお祝いしようね、お兄ちゃん!」
そう、明るい声で宗佐に告げたのだ。
晴れやかな声色の珊瑚のその言葉に、宗佐が虚を突かれたかのように足を止めて瞬きをする。
今まで俯いたまま小声で話していた珊瑚が突然顔を上げて普段通りの声量で話してきたのだ。囁くような声が聞き取れず近くに行こうとしていた宗佐が驚くのも無理はない。
だがすぐさま屈託のない笑顔を浮かべ、それどころか照れ臭そうに頭を掻きながら「ありがとう」と礼を告げた。
その表情は『妹に祝われて嬉しい兄』そのものだ。きっと改まって『お兄ちゃん』と呼ばれたことが気恥ずかしく、そして同時に満更でもないのだろう。
一連のやりとりを不思議そうに眺めていた月見も、続けて祝いの言葉を掛けられれば嬉しそうに礼を返した。……宗佐の隣に寄り添って。二人で顔を見合わせて、照れくさそうに笑って。
この光景を何も知らない者が見れば、きっと微笑ましいと感じることだろう。
妹が兄とその恋人の高校卒業を祝う。これは美しい兄妹愛だ。
……だけど、俺の目には残酷だとしか映らない。
『お兄ちゃん』と宗佐を呼んだ珊瑚の声が脳裏で繰り返される。
普段の『宗にぃ』ではなく『お兄ちゃん』だ。
その意味を、どんな思いでこの呼び方を選んだのかを、想像すれば胸が痛む。
だがそれを訴えるわけにもいかず歯痒い思いで立ち尽くしていると、宗佐の声が聞こえてきた。
「わざわざ言いに来てくれたのか、ありがとうな、珊瑚。俺もうちょっと弥生ちゃんと校内見てまわるから。あと先生に挨拶して、皆で写真撮って……、帰るのはもう少し遅くなるかな」
「うん、先に帰ってお母さんとケーキ買いに行ってくるね」
「チョコレートケーキよろしく」
「ショートケーキを予約してあるの。なぜなら私が食べたいから!」
「俺のお祝いなのに!」
酷い! という宗佐の喚き声に続き、珊瑚と月見の笑い声が聞こえてくる。
そうして宗佐と月見が歩きだして校舎裏の奥へと向かえば、珊瑚一人だけが取り残された。
二人の姿が見えなくなると同時に深く溜息を吐くのが肩の揺れで分かる。
切なげな姿に、今出て行かねばと彼女のもとへと向かった。足音で気付いたのか珊瑚がこちらを向き、潤み始めていた瞳を丸くさせて俺を見つめてくる。
「……健吾先輩」
俺を呼ぶ声が掠れて震えているのは、もう取り繕う余裕が無いからだろう。
一度溜まり始めた涙はとまらず「覗き見なんて失礼ですよ」と冗談めかして訴えようとする声が揺れる。
「そ、宗にぃってば、最後まで鈍感で……」
「うん」
「嫌になっちゃいますよね。本当……この状況で、ひとの気も知らないで、チョコレートケーキって……」
「うん」
「だから……、そうにぃってば……っ……」
震える声で紡がれる珊瑚の強がりに、一つ一つ頷いて返す。
そうしてついに彼女が強がりすら言えなくなり俯くと、震える肩を掴んで抱き寄せた。
俺の腕の中で珊瑚が身体を強張らせたのが分かる。
きつく抱きしめたら壊れてしまいそうで、それでいて小さく続く震えを止めてやりたくて、彼女の背に回した腕に力がこもる。
一縷の望みに賭けて想いを告げた桐生先輩を慰めるのも、クリスマスに誘われないと察し身を引いた西園を慰めるのも、真っ向から告白して失恋した委員長を慰めるのも、どれも俺の役目じゃなかった。
だけど珊瑚だけは違う。
珊瑚を慰めるのは俺だ。俺だけだ。
気丈に振舞うのならのってやる、追ってくれるなと無言で訴えるなら大人しく見送ってやる。そして言葉を紡ぐことすら辛いと泣きながら俯くのなら、受け止めて抱きしめてやる。
だからこそ包み込むように押し潰しかねないほどに強く抱きしめれば、珊瑚が掠れた声で俺の名前を呼んだ。
「健吾先輩……私、……私、ちゃんと妹で居られましたか? 最後まで『お兄ちゃん想いの妹』で居られましたか?」
掠れた弱々しい声で問われ、彼女を抱きしめる俺の腕に力がこもる。苦しくないだろうかとか、痛くないだろうかとか、最早そんなことを気にしている余裕はない。
縋りつく様に俺のシャツを掴む手が震えている。大粒の涙が彼女の頬を伝い、胸元に飾られたリボンに落ちてシミを作っている。
誰よりも早く好きになり、そして最後まで好きでいた。そんな珊瑚の恋が終わった。
実ることも、それどころか恋として訴えることすら出来ずに。
どれだけ言いたかっただろうか。兄妹という事実に目を背け、血の繋がりは無いという僅かな望みに賭けて、全てを打ち明けてしまいたいと何度思っただろうか。
それでも兄妹だから。これからも兄妹でいるために。なにより宗佐の幸せのために。
一瞬口にした『芝浦宗佐』の呼び名を『お兄ちゃん』に変えて、彼女は自分の恋心を届かせまいと『兄想いの妹』を貫いたのだ。
これ以上の妹がどこにいる。
「宗佐にとってお前は最高の妹だ」
抱きしめたままはっきりと答えてやれば、腕の中で珊瑚が声をあげて泣きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます