第21話 卒業

 


 卒業旅行も終われば、ついに卒業式である。

 例年通り蒼坂高校の卒業式は厳かかつ華やかに行われ、普段は右から左に聞き流している校長先生の話も真剣に、……ちょっと欠伸を噛み殺しはしたものの比較的真剣に聞いて拍手を贈る。

 そんな改まった空気がより卒業だと実感させ、式の最中に泣き始める者も少なくない。


 そうして式典を終えて帰宅となり学校を出れば、出入口周辺は生徒達で混雑していた。泣きながら写真を撮る者、テンションを上げて騒ぐ者、それを横目にさっさと帰宅する者と様々だ。

 泣きながら別れを惜しむ後輩女子に囲まれているのは西園。その近くでは委員長が各委員会メンバーや先生達に囲まれている。最後まで衰えぬ彼女達の人望は流石の一言である。


「とりあえず先生に挨拶するか。なぁ宗佐」


 行こうぜ、と話しかけた俺の言葉に対しての返事はなく、振り返っても宗佐の姿はない。

 たんなる独り言となってしまった。


 ついさっきまで居たんだけどなぁ……と、そんなことをのんびりと考えていると、道の先から騒がしい集団が現れた。いや、集団と言うより群れと言った方が適しているか。

 その群れが一気に駆け寄ってくると、吐き出すような勢いで宗佐を放り出して去っていった。受け身も取れず無様に倒れ込む宗佐の姿が憐れでならない。

 といっても一年前にも見た光景なので俺もさして驚かず、最後だからと群れに手を振って別れを告げた。――律儀なもので、群れで走り去りながらも別れの言葉を返し、中には下級生も居るらしく卒業を祝ってくれる――


 そうして群れが見えなくなるのを確認すると、いまだ蹲る宗佐に視線をやった。


「大丈夫か、宗佐」

「……大丈夫に見えるか?」

「他の奴なら心配するけど、この三年間とお前の頑丈さを考えると大丈夫だと思う」

「……薄情な。まぁ大丈夫だったんだけど」


 呻きながらも宗佐が無事だと話すので、俺は一応の礼儀として「無事で良かった」と返しておいた。


 ちなみに、この卒業式に似つかわしくない騒動は何かと言えば、宗佐の第二ボタン争奪戦の予防である。

 恋心こそ実らなかったがせめて最後の記念にと宗佐のボタンを欲しがる者もいるはずで、ならばいっそ自分達で奪ってしまえと男達が考えたわけだ。

 これは去年も行われており、第二ボタンどころかおおよそ全てのボタンを奪われた宗佐の姿が記憶に蘇る。懐かしい、あれからもう一年経ったのか。


「これが最後って考えると、感慨深いものが……。無いな。なんの感情も湧かないな。今年はちゃんと付け替え用のボタン持ってきたんだろ?」


 さっさと付け直してこいと話しかければ、宗佐がゆっくりと立ち上がり、おもむろに首を横に振った。

 その仕草に……というより宗佐の有様に、思わず俺は言葉を詰まらせてしまった。


 去年の通りならば上着もシャツも一つ残らずボタンを奪われているはずだ。

 だがどういうわけか奪われた形跡は無い。全てのボタンが残っている。


 ……というよりボタンが増えている。


 ブレザーにもシャツにも、本来の数より倍以上のボタンが縫い付けられているのだ。

 良くもまぁ短時間でこれだけ付けられたものだと感心してしまう程に。


「……これはこれで気持ち悪いな」

「みんな家から持ってきたのかな。見てみろよ、全部違うボタンだ」

「再利用できるんだから、去年みたいに取られるよりは良いんじゃないか?」


 そんなことを話しつつ、先生に挨拶がてら鋏を借りようと頷きあう。

 だがいざ歩き出そうとした瞬間、覚えのある賑やかな話し声が聞こえてきた。


「珊瑚ちゃん、今年こそ実稲の第二ボタン受け取って!」

「だからなんでボタン取っちゃうの。まだあと一年着るんだから、ボタンはあげられないよ」

「また今年もボタンの交換してくれないのね……。仕方ない、それじゃ実稲のボタン七千円から!」

「競らない。去年を参考に値上げしない」

「即決は一万円よ!」

「新システムを採用しない」


 そんなやりとりを交わすのは珊瑚と東雲。

 相変わらずな二人は、それでも俺達のところに来ると揃えるように頭を下げた。

 普段はネクタイを着けている珊瑚も今日は学校指定のリボンを付けており、改まった制服姿と「卒業おめでとうございます」という言葉になんだか俺の方が気恥ずかしくなってしまう。

 ――ちなみに東雲は俺を無視して宗佐にだけ祝いの言葉を贈ったのだが、この程度は想定内である。それどころか俺に対しては「ようやく卒業してくれやがりましたね」と丁寧に喧嘩を売ってくる始末――


「芝浦先輩、実稲の第二ボタンいりませんか? 芝浦先輩なら一つ三千円で売ってあげますよ」

「実稲ちゃん!」

「いや、むしろ今の俺は買い取ってほしいくらいだよ」

「宗にぃも何言って……なんでボタン増えてるの!?」


 宗佐のあまりの恰好に珊瑚が悲鳴をあげる。

 まぁ、そうなるよな……と俺が去年とはまた違った憐れな宗佐の姿を眺めていると、そんな宗佐を呼ぶ声が聞こえてきた。


「宗佐君」


 と、穏やかに呼ぶ可愛らしい声。その声を聞いた瞬間、苦笑しながら己のブレザーを見下ろしていた宗佐がパッと顔を上げて振り返った。

 嬉しそうな表情、輝かんばかりの瞳、振り向く前にすでに声の主かを分かっているのだろう。

 そこに居るのは言わずもがな月見で、大事そうに持っている賞状筒と小振りの花束がいかにも卒業式らしい。


「悪い、ちょっと……、弥生ちゃんと校内見てくる」


 へらと緩んだ笑みを浮かべ、宗佐が俺達の輪から抜けていく。

 足早に駆けていくのは照れ臭いからか、それともすぐにでも月見のもとへ行きたいからか……。


 宗佐が言った『校舎を見てくる』というのは、蒼坂高校に伝わるジンクスの一つだ。

『卒業式の後にカップルで校舎を見てまわると卒業後も別れない』というもので、結婚するとか末永く結ばれるとか色々とパターンがあるようだが、ネクタイにまつわるジンクスといい、いかにも高校生らしい話である。


 二人はそれを実践するつもりなのだろう、並んで歩く姿は微笑ましいやらうんざりするやらで溜息が漏れる。

 そうして二人が去っていくのを見送ると、珊瑚が呟く様に「私も行かなきゃ」と顔を上げた。

 その視線がいまだ宗佐を追っていることから、そして祝いの場には似合わぬ絞り出したかのような切なげな声から、彼女の言わんとしていることを察して俺も思わず息を呑んでしまう。


 だが東雲は『なんのために』とまでは察していないようで、それでも友人の変化に気付き、案じるような表情で珊瑚のシャツをクイと引っ張った。


「珊瑚ちゃん、どうしたの? どこに行くの?」

「それは……、ごめんね、言えないの。でも行かなきゃいけないの。実稲ちゃんも先輩達のところに行ってきなよ。ファンクラブに入ってくれてる先輩もいるんでしょ、これからも応援して貰わなきゃ」

「そうね、行ってくる……」


 尋ねてくれるなという珊瑚の無言の訴えを理解したのか、東雲はそれ以上言及することなく頷き、ちらちらとこちらを見ながら待ち構えていた卒業生達のもとへと歩いていく。

 珊瑚はその背を見送り、俺に対して小さく頭を下げると共に足早く去っていった。俺達がばらばらに行動しだしたのを見て取ったのか、友人達が写真を撮ろうと声を掛けてくる。


 だが俺は友人達の誘いに軽く詫びて返すと、珊瑚を追うように歩き出した。


 彼女が何をしようとしているかを分かっている。

 だからそばに居てやりたい。



 ……だって、珊瑚が歩いていったのは、ついさっき宗佐と月見が二人並んで歩いていった方向なのだから。



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