第15話 『妹』だから

 


『今日、宗佐は月見に告白するつもりだ』


 俺の言葉を聞くと珊瑚は表情を強張らせ、次いで視線をそらしてしまった。

 ゆっくりと俯きながら「そうですか……」と返す声は譫言のように定まっていない。俺への返事というよりは、処理しきれない感情を無理に飲み込もうとしているように聞こえる。

 その声色に、伏せた目に、沈んだ表情に、突き付けてしまった罪悪感が胸をよぎる。

 だけど……、


「俺は友人として宗佐に協力するつもりだ。さすがにあの状況は見てられないし、なんとか宗佐を逃がして月見を探し出せるくらいにはしてやろうと思ってる」

「……健吾先輩」


 俺を見上げる珊瑚の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。

 唯一の理解者であった俺のこの発言に、彼女はいったい何を思っただろうか。

 そう考えると罪悪感がよりかさを増す。それでもと俺は真っすぐに向けられる戸惑いの瞳に見つめて返した。


 ここで嘘を吐くことも誤魔化すことも許されない。

 仮にここで珊瑚を気遣って宗佐の告白を邪魔しても、それは結果的には彼女のためにはならないと分かっている。ただ『その時』を無駄に先延ばしにするだけだ。

 かといって、何も知らせずに居ても珊瑚はすぐに事の顛末を知るだろう。月見に告白し終えて浮かれきった宗佐から、下手すれば直接、その事実を突きつけられるかもしれない。

 それならせめて、俺の口から。心の準備が出来るように……。

 

 ……いや、こんな考えはただの言い訳だ。


 俺は俺のやるべきことを考えて、そのために必要と判断して珊瑚に告げたのだ。

 それに、俺も珊瑚も、今だけは一歩引いて第三者のようになんていられない。


 なにより、俺は……。


「妹、俺は……」

「健吾先輩は宗にぃの友達ですもんね。協力して当然です。……私も協力します」

「え……?」


 珊瑚の言葉に今度は俺が目を丸くさせてしまう。

 彼女の言う『協力』というのは、宗佐と月見を二人きりにさせ、宗佐に告白の機会を与えてやるということだ。その結果がどうなるか、他でもない珊瑚が分からないわけがない。

 それでも彼女ははっきりと「協力します」と言葉にした。


「さ、早く行きましょう。ぐずぐずしてると、本当に宗にぃがサメに食べられちゃいますよ」

「……妹、なんで」

「なんでって、だって私は……」


 急かすように前を歩いていた珊瑚が足を止め、こちらを振り返る。

 真っ直ぐに俺を見つめる表情は今にも泣きそうで、それでいてどこか笑っているようにも見える。

 だがその笑みは、普段の悪戯気なものとも、楽しそうに笑う無邪気なものとも違う。ふとした時に彼女が見せる、切なげで苦しそうな、それを押し隠そうとする笑みだ。

 手が届かないと分かっても焦がれ、そんな自分の諦めの悪さに対する自虐と憐れみ。それら全てを綯交ぜにして、胸の内に押し留めようと取り繕う痛々しい表情。


 その表情のまま珊瑚は俺を見つめると、ゆっくりと口を開いた。


「だって私は、宗にぃの妹ですから」


 彼女が口にした言葉に、俺は追うように歩いていた足を止めて息を呑んだ。


 珊瑚は宗佐の妹だ。それは何があろうとも変わらない。

 今日この水族館で宗佐が月見に告白をしても、出来なくても、告白の結果がどうであろうとも。珊瑚は今この瞬間も宗佐の妹で、そして明日以降もずっと宗佐の妹だ。

 ……妹でしかないのだ。

 ゆえに彼女は苦しみ、そして同時に、自分の気持ちを悟られまいと『妹』を主張している。


 そして今も、妹だからこそ、兄の為に行動しようとしている。

 恋心を抱いたまま。協力した先に、自分の決定的な失恋が待っていると分かっていても。


 ただひとえに、惚れた相手のために。

 それを隠して『妹』として……。


「兄の幸せを願う、これこそ最高の『妹』ですよ」


 そう告げて笑う珊瑚は本当に切なそうで、今にも泣きそうで……。

 だが次の瞬間、僅かに俯いたのち、すぐさま表情をいつも通りのものにかえてしまった。


「さすがに私なら囲まれないと思うので、宗にぃを助け出す役は私がやります。健吾先輩は月見先輩を探してください」

「あ、あぁ……、分かった」

「月見先輩を見つけたら連絡してくださいね。それとなく宗にぃに教えますから」


 何事もなかったかのように指示を出してくる珊瑚に、俺はただ頷くしか出来なかった。

 今にも泣きそうだった表情も既に普段通りのものに変わり、聞こえてくる騒々しさに溜息を吐いて視線を向けている。「まったくもう……」という言葉は後輩らしくないが、なんとも彼女らしい。

 そうして足早く来た道を戻っていく背中もまた普段と変わらず、だからこそ俺は追うこともできず自分の判断が正しかったのか分からなくなってしまう。


 黙っていれば良かったのだろうか。話すとしても、もっと遠回しに言えば良かったのかもしれない。

 それとなく察するように――そんな器用なことを俺が出来るかは分からないけれど――教えてやったり、直接的に言うにしてもせめて言葉を選んだり。そういった事が出来たはずだ。


 あぁ、もっと考えてやれば良かった。

 珊瑚なら宗佐に協力するって、俺ならすぐに分かることじゃないか。


「くそ、なにやってるんだ俺は……!」


 己の中に湧き上がる迷いや後悔を掻き消すように、一度強めに頬を叩いた。

 パンッ!という高い音と同時に頬が痺れる。その衝撃と痛みで、頭の中で渦巻いていた考えを振り払った。


 ここで悩んでいて何になる。

 珊瑚は最後まで『妹』を貫くと決意したのだ。いや珊瑚だけじゃなく宗佐だって腹を括った。

 俺だって『友人として宗佐に協力する』と決めたじゃないか。


「迷うな、月見を探すんだ」


 後悔や罪悪感を胸の奥底に押し留め、俺は水族館内の見取り図を開いて足早に歩き出した。


 

 たとえ俺の行動が珊瑚の失恋に繋がるとしても。


 彼女の隣には俺がいるから、そう己に言い聞かせて。



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