第14話 落語と歌舞伎とお魚の煮つけ

 



「……宗佐に協力しようって決意したんだけどなぁ」


 溜息交じりに俺が呟いたのは、目の前の愛憎劇に向けてである。


 どうやら男子生徒達も宗佐の決意に感付いたのようで随分と必死だ。月見と二人きりにさせてなるものかと、むしろ視界に入れさせるものかと、宗佐を徹底的にマークしている。

 その囲みようといったらなく、ひしめき合いまるで押しくらまんじゅう状態で俺ですら近付けない程。


 というか近付けない以前に近付きたくない。

 関係者だと思われたくない。今だけは制服を脱いで無関係を貫きたい。


 宗佐に協力すると決意したのに早くも心が折れかけてしまう。それほどまでに騒々しく、男子高校生が密集している様は暑苦しいのだ。水族館という涼しさを感じさせる空間において、あの集団だけ熱気を感じさせる。頼まれたって近寄りたくない。

 だが巧みに人にぶつからないよう動いているのはさすがと言えるかもしれない。宗佐を囲んでもそもそと動き、それでいて一般客の邪魔にはならず、移動も通路の端の方に寄っている。嫉妬に駆られつつも常識は失っていないようだ。


 そんな集団に囲まれれば鈍感な宗佐と言えども何かしら感じ取るのか、頬がひきつっている。笑おうとしているもののぎこちない。


「な、なぁみんな、ちょっと近すぎないかな……?」

「何を言うんだ、芝浦! 友情に近いも何もないだろ!」

「いや友情とかじゃなくて物理的に近いかなって……。あ、俺トイレ行ってこようかな。みんな先に進んでてよ」

「馬鹿を言うな、俺達はトイレだって一緒だ! 個室にも付き合うからな!」

「個室!? いや個室は一人で入らせてよ! というか別に個室には入らないし!」


 と、終始この調子である。両者の必死さが窺える。


 これを逃れて、そのうえ広い水族館のどこかにいる月見を探し出して告白……というのは難しいどころの話ではない。

 だが水族館ここを逃せば後はバスに乗って帰宅だ。その最中に二人きりになれるタイミングは無く、つまり宗佐に残された時間はあと僅か。

 というか、着実にサメの水槽に近付いているあたり、告白以前に人生においても残された時間は僅かなのかもしれない。


 逃亡に失敗すれば、告白も出来ずサメの生餌。

 なんとも過酷な末路ではないか。


 そんな悲惨としか言えない状態ながら、囲まれていた宗佐が男達の隙間から俺を見つけ「健吾!」と呼んできた。

 途端にその表情が明るくなるのは、俺の姿が救世主にでも見えたからか。応えてやるべく俺も頷いて返し、騒々しい集団に近付いていった。


「お前達いい加減にしろよ、周りの迷惑になるだろ」

「敷島、悪いが今日はお前も警戒してるからな。なんだったら囲むぞ」

「そういうわけだ、じゃあな宗佐」

「見捨てるにしても早すぎるだろ!」


 踵を返して集団から離れれば、宗佐の悲痛な叫び声が聞こえてくる。普段であればこの悲鳴に俺も溜息まじりに助けに入るのだが、今日に限っては迂闊に近付けずにいた。

 どうやら俺が協力することを読まれていたようで、男達は宗佐を囲みながらも俺にも警戒の視線を向けてくる。その視線は鋭く、薄ら寒いものがある。威圧感がひしひしと伝わってくる。

 あれは本気だ。本気で俺のことも警戒し、そして必要と判断すれば迷いなく囲むだろう。


 なにが悲しくて、巻き込まれ続けた色恋沙汰の果てに嫉妬に狂った男達に囲まれなきゃならないのか。


「分かってるな宗佐、サメの鼻先をぶっ叩いて怯ませてその隙に逃げるんだ。お前ならきっと出来る。噛まれたら諦めろ。それじゃ」

「鼻だけじゃなくて目潰しも効果的らしいですよ」

「おい聞いたか、これで生存率が……ん?」


 アドバイスを残して去ろうとしたところ、続くように聞こえてきた声に足を止めた。

 この愛憎を前にしても淡々とした声色、サメの水槽に落とされることを前提にした斜め上なのか的確なのか分からないアドバイス。

 もしやと振り返れば、そこには眉根を寄せる珊瑚の姿。卒業旅行らしく制服の俺達と違い、彼女は春らしい装いに厚手のニットカーディガンを羽織っている。

 髪に飾っているのは……、と、そこまで考え、今はそんな場合じゃないと咄嗟に「妹!?」と彼女を呼んだ。


「妹、なんでここに!?」

「先輩の妹じゃありませんし、今は蒼坂高校の生徒とも思われたくありません!」

「ご迷惑おかけしております」


 もっともなことを言う珊瑚に思わず頭を下げてしまう。

 いくら卒業旅行と言っても限度がある。それにここは水族館、静かにゆったりと魚を眺める場所だ。

 一応周囲を気遣ってはいるとはいえ、男子高校生が一か所に身を寄せ合って蠢いていればそれだけで邪魔になりかねない。

 それを後輩に叱咤されるなんて情けない話だ……。


 いや、これまたそうじゃなくて。


「どうして水族館に居るんだ、歌舞伎を見に行ってたんじゃないのか?」

「歌舞伎はもう見終わりました。それでどこに行こうかって話になって、団体割引もあるから水族館に来たんです」


 珊瑚の説明に、なるほどと頷いて返した。

 この水族館はリニューアル直後だけあり頻繁にテレビでも取り上げられ、日中をのんびりと茶の間で過ごす方々ならば一度や二度と言わず目にして覚えているだろう。

 老人会の行先として挙がってもおかしくない。……のだが、周囲を見回しても珊瑚の祖母はおろか老人会といった風貌の集団も見あたらない。

 周囲を探す俺の仕草で言わんとしていることを察したのか、珊瑚が「でも」と小さく付け足して肩を竦めた。


「みんな大きな水槽眺めてお茶しながら、落語と歌舞伎とお魚の煮付の話しかしないんです」


 そう告げる珊瑚の口調は不満そうだが、なんとも老人会らしい話ではないか。

 老人会にとって、落語と歌舞伎というメインを終えた今、落ち着いてお茶が出来れば場所は問わないのだろう。

 とりわけここの水族館には巨大水槽を眺めて食事が出来るレストランがある。お茶と水槽の美しさを同時に楽しみながら旅行を振り返って談笑となれば、これ以上のものはないはずだ。

 だが遊びたい盛りの珊瑚からしてみれば、せっかく水族館に来たのに一カ所に止まって雑談など理解しがたいことだろう。

 曰く、しばらくは付き合っていたものの痺れを切らし、一人で見て回っていたのだという。


 そうして見覚えのある集団と、その中央に囲まれている兄の姿を見つけた……ということらしい。説明しながら目の前の惨事を眺める視線の冷ややかさといったらない。

 だが彼女も今日の愛憎劇が普段とは違うことに気付いたようで、不思議そうに首を傾げ「なんだか皆さんいつもより必死ですね」と様子を窺っている。――窺いこそするが宗佐を助けようとしないあたりがなんとも珊瑚らしい――


 そんな彼女の疑問に対し、俺はどうしたものかと僅かに躊躇い……、ぐいとその腕を引っ張った。


「健吾先輩?」


 不思議そうに見上げてくる珊瑚を連れて水族館内を進む。

 そうして宗佐達から離れて通路に出ると周囲に蒼坂高校の生徒が居ないことを確認し、ようやく足を止めると同時に彼女を真っ直ぐに見据えて告げた。


「今日、宗佐は月見に告白するつもりだ」

「……え、」


 俺の言葉に、珊瑚の表情が一瞬強張った。


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