第13話 水族館の文学少女

 



 館内に入れば、水族館特有の薄暗さとゆったりとした雰囲気が広がっていた。

 開館時間からしばらく経っているため入場客も適度にバラけており、混雑とも閑散とも言えない程好い込み具合を見せている。

 いかにもデートと言った風貌の男女や家族連れ、中には本格的なカメラを構えて真剣な眼差しでシャッターを切る一人客もいる。まさに老若男女問わず客層は様々だ。


 そんな客達を時に追い抜き時に追い越され、順路に従って水槽を眺めていく。

 色鮮やかな魚が尾びれを優雅にひらめかせて揺蕩い、隣の水槽では小さく可愛らしい魚がちょこまかと泳ぎ回っている。時にはウツボやタコのようなインパクトのあるものがど真ん中やガラス面に張り付いている水槽もある。

 水族館と言っても展示されている魚の種類は様々で、種類ごとに解説も着いている。更に進めばイルカやペンギン、期間限定の特別展示もあるのだから、じっくりと見て回るのは一日掛かりだろう。

 さすがに水槽に張り付いて見惚れるようなことはないが、それでも時折は立ち止まって水槽の中を泳ぎまわる魚を眺める。甥っ子達に見せてやろうと珍しい魚を写真に撮る事もあった。



 そうしてそれなりに楽しんでいると、三つ先の水槽の前に委員長の姿を見つけて思わず足を止めた。

 随分と見入っているようで、人に抜かされても動く気配はない。


 気まずい……と思ってしまうのは俺だけだろう。


 なにせ今の委員長の姿はたんに『水槽に見入る少女』だ。

 彼女の見目と水槽の中の魚が合わさりどこか文学的な美しさを漂わせているが、そこに気まずさなんて欠片も感じるわけがない。俺だって、なにも知らなければ軽く声を掛けて先へと進んだだろう


 ……事情を知らなければ。

 だけど本来なら、俺は事情を知っているわけがないのだ。


 だからこそ俺は平静を装い、委員長の隣に、少し距離を開けて立って水槽を覗き込んだ。

 古城のオブジェが沈む中を色とりどりの魚が泳ぎ、イソギンチャクが揺れる。その水槽は確かに見入るのが分かるくらいに美しい。

 だが俺としてはやはり気まずく、水槽に見入るあまり委員長には気付かなかった体を装い通り過ぎようとし……、


「わざとらしいわよ」


 という一言に足を止めた。

 どうやらお見通しだったようで、流石にここまで言われれば逃げるような真似はせず、素直に足を止めて彼女の隣に並んだ。


「……知ってるのね」

「昨日、委員長と宗佐が同じ方向に行くのを見たんだ。宗佐から聞いたわけじゃない」

「分かってる。芝浦君はそんなこと言いふらす人じゃないわ」


 委員長が目の前の水槽に視線を向けたまま話す。

 その口調は淡々としているもののどこか苦しそうで、胸の内を必死に押し隠しているようにさえ聞こえた。


「『ごめんね』と『ありがとう』って言われちゃった。それと『好きな子がいるんだ』って……。分かりきってるもの、誰かなんて聞かなかったわ」

「……そうか」

「でも、ちゃんと言えてよかった。うやむやで終わるなんて嫌だったから」


 小さく笑う委員長の横顔は切なく、細められた目と深い吐息が痛々しい。

 だが彼女は次の瞬間にはパッと顔を上げると「芝浦君より良い男の子を捕まえなきゃ!」と気丈に笑って見せた。

 その威勢の良さは委員長らしく、そしてそうらしくあろうと努めているのが分かる。分かるからこそ、俺もまた苦笑を浮かべて頷いて返した。

 彼女の胸の内に触れて慰めるのは俺の役目ではない。俺に出来るのは、らしくあろうと取り繕うその表情に騙されてやる事だけだ。


「一途なのも良いけど、これからは視野を広げるのも良いかもしれないわね。私にも他所から攫ってくれる男の子がいるかもしれないし」

「その切り替え方、委員長らしいよ。……『私にも・・・』?」


 裏を含んだ委員長の言葉に思わず問い返してしまう。

 だってそんな、一途な女の子を他所から攫おうとする男なんて、まるで……。

 思わず怪訝な表情になってしまう俺に、委員長が優しく微笑んで肩を叩いてきた。


「敷島君って意外と分かりやすいのね」

「その言葉、この一年で何度も言われてる……。もうこの際だから開き直って聞くけど、どこらへんで皆気付いたんだ?」


 何に気付いた、とはさすがに恥ずかしくて濁しながら問えば、委員長が「そうねぇ」と人差し指で顎に触れた。

 いかにも考えているといったその仕草は彼女らしく様になっているが、今の俺にはそれを褒めている余裕は無い。


「敷島君、自分から積極的に女の子に話しかけるタイプじゃないでしょ? それなのに、珊瑚ちゃんが窓辺に来ると進んで声をかけるし、窓辺以外でも見かけると嬉しそうに話しかけに行くじゃない」

「……確かにそうだな」

「それに、芝浦君と二人で話してる時にも珊瑚ちゃんのことを話題に出してるわね。芝浦君は家族想いだし彼が家族のことを話すのは普通だけど、敷島君から珊瑚ちゃんの話題を振ることも多かったわ」

「……う、うん。今更ながら自分でもそう思う」

「あと、月見さんや桐生先輩が一緒に居る時もだいたい珊瑚ちゃんの事を見てたわね。あの二人って特に目を引くから男の子も女の子も自然と視線を向けちゃうんだけど、そういう時も敷島君は珊瑚ちゃんを見てるのよ」

「分かった! もう良い、もう充分だ!」


 さすがにこれ以上は耐えられないと慌てて話を遮ると、委員長が楽しそうに笑った。

 己の頬が熱を持つのが分かる。薄暗い水族館で良かった……、と心の中で呟いた。薄暗くとも隣に立っている委員長には顔が赤くなっている事などバレているだろうけれど。

 現に委員長は俺の反応を見て満足そうな笑みを浮かべている。そのうえわざわざ「頑張ってね」と言ってよこしてくるのだ。これまた『何を』とは言わずに。


 頑張ろうにも長期返答待ちです……とはさすがに言わないでおく。


「……それで、芝浦君は月見さんに言うつもりなの?」


 今回もまた『何を』とは明確には言わずに委員長が尋ねてくる。変わらぬ淡々とした口調、それでも少しばかり隠し切れぬ緊張を含んだ声色で。

 その問いに、俺はどう言葉を返そうかと一瞬考え……、聞こえてきた賑やかな声に振り返った。


 サメがどうの生餌がどうの、水族館に似合わぬ物騒な話。

 間違いなく宗佐と宗佐に嫉妬する集団である。どうやらここで話をしている間に追いつかれてしまったようで、しまったと思わず眉間に皺を寄せれば、察した委員長が呆れを込めて溜息を吐いた。

 そうして普段通り、委員長らしく、騒ぐ彼等を咎め宗佐を助け……はせず、スッと隣の水槽へと移ってしまった。

 騒ぎに視線をやることすらせず、水槽の中を覗いて更に隣へと順路通りに足を進める。


「……委員長?」

「悔しいから、助けてあげない」


 最後に一言残して去っていく委員長の声は酷く弱々しい。普段は凛とした美しさと頼りがいすら感じられるのに、今ゆっくりと去っていく背は小さく儚げに見える。

 彼女の胸中を思えば俺まで苦しさを覚えてしまう。それでも俺は追いかけることもせず声も掛けず、ただ黙って遠ざかる背を見送った。


 俺には彼女を追う資格はない、そう自分に言い聞かせ、宗佐を救うべく声の聞こえてきた方へと足を進めた。


 俺は宗佐と月見の仲を応援したい。


 たとえそれが、委員長の胸中をより辛くさせるとしても。


 珊瑚の失恋を招くと分かっていても。


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