第12話 水族館の金魚

 


 翌日の宗佐の様子は普段通りで、朝食のバイキングでもプレートにごってりと山を作っていた。

 よく食べられるものだと感心してしまう。宗佐に関しては、緊張で食事が喉を通らないなんて事は有りえないのだろう。もっとも、量に関しては俺も似たり寄ったりで、「朝からそんなに食べるの」と言いたげな西園の呆れを込めた視線が痛い。

 西園もさすがに朝食は少なめで、野菜と果物がメインになっている。朝が弱いという月見に至っては、西園の隣の席でボンヤリとしながら延々とリンゴを食べ続けている。

 眠そうな表情とリンゴを食べる様は小動物のようだ。どこぞの害獣指定まちがいなしな小動物とは違う、可愛らしい小動物である。


 これもまた男女の差か……と、プレートに盛った唐揚げを食べながら思った。




 クラス全員が朝食を終え、出発の準備をしてバスに乗り込む。

 点呼やら最終確認やらと時間が掛かったため、出発する頃には既に昼時になってた。なお昼食は各自水族館や周辺の飲食店で済ませと言う放任主義である。

 そうしてバスを走らせてしばらく。窓の外に水族館が見えてくると、それぞれ話に花を咲かせていた者達も揃えたように身を乗り出して眺めだした。


 巨大な施設はリニューアル直後だけあり綺麗で、平日だというのに駐車場には車と観光バスが停まっている。駅方面から歩いてくる人の列も途絶えることなく、まさに大盛況だ。

 バスを降りて建物を目の前で見ればよりその壮観さが分かる。

 入口前には巨大な噴水が飾られ、真新しい建物にはリニューアルを大々的に謳った垂れ幕が掛かっていた。


「金魚?」


 俺が首を傾げて呟いたのは、水族館の入口に金魚の絵が描かれた大きな看板を見たからだ。

 といってもここは水族館、金魚も魚なのだから展示されていてもおかしくはない。だが金魚と言えば夏のイメージがあり、冬の終わりと春の始まりの狭間と言える今の時期にはどうしても違和感を覚えてしまう。

 どうして今、と疑問を抱きながら看板を眺めていると、ひょいと横から西園が顔を覗かせてきた。


「これ、リニューアル前の夏にやってたんだよ。人気だったからまた再展示してるの」


 見たかったんだ、と西園が笑う。

 確かに看板には前回の開催がいかに大盛況で終わったかが綴られており、過去最大の入場者数とまで謳っている。

 その時の展示物や館内の写真も並べられており、和風を徹底した内装の中に飾られる金魚の姿はまるで芸術作品のようだ。

 聞けば一般的な金魚から珍しい種類のものまで幅広く展示されているらしく、それを現物で見られるとなるとなおのこと楽しみになる。……のだが。


「どうしてこういうところの顔出しパネルってダサいんだろうな」

「あたしダサくない顔出しパネルって見たことない」


 豪華な立て看板と綺麗な過去の写真。……ときて、その並びにある顔出しパネルが非常にダサい。

 パネルの裏側にまわると巨大金魚の腹部から顔が出せるデザインになっているのだが、なぜ金魚の腹にしたのか製作者に問いたいところだ。いや、金魚の頭部に人の顔が出て来てもそれはそれで気持ちが悪いのだが、腹を食い破るかのような今のパネルよりはマシだろう。


 現に、周囲ではしゃいでいるお子様達もこれには寄り付こうとしない。むしろ怖いのか見ないようにしている子もいる。

 もう少しマシなデザインならば「西園、撮ってやるよ」「敷島が写りなよ」と冗談交じりに押し付け合っただろうに、それすらも憚られるデザインである。

 そんな顔出しパネルを複雑な気持ちで西園と並んで見つめていると、今度は宗佐が横から顔を出してきた。


「金魚の特別展示かぁ。金魚と言えば、夏祭りの時の弥生ちゃんの浴衣、可愛かったよな」


 屈託なく宗佐が笑う。夏祭りを思い出し、なぁと俺にまで同意を求めてきた。

 確かに夏祭りの時に月見が着ていた浴衣は金魚の柄で、今ここで思いだすのも自然な流れである。そして可愛かったのも事実だ。珊瑚の水兵風ワンピースに見惚れていた俺だが、可愛いか否かと聞かれれば月見の着物姿は可愛かったと断言できる。

 金魚の特別展示と関連付けて懐かしむことはなんら問題ではない。


 ……そう、思い出して懐かしむこと自体は問題ではない。

 だがいかんせん状況が問題である。

 詳しく言うのなら周囲と外野。


「月見さんの浴衣……?」

「夏祭りって……、まさか一緒に行ったのか……?」


 背後から聞こえてくるざわつきは、言わずもがな嫉妬の炎を宿しはじめる男達のものである。なんという地獄耳だと呆れつつ、宗佐の迂闊さにも溜息が漏れる。どっちもどっちだ。

 ただ、切なそうに笑う西園の横顔だけがこの面倒な愛憎の中で俺の胸を苦しくさせた。


 そう、西園だけである。

 なにせ他の奴らはと言えば、


「芝浦を捕えろ! サメの生餌にするんだ!」

「そこの顔出しパネルに芝浦を嵌め込め! 上から刃を落とすんだ!」


 こんな感じで、相変わらずでいて学校外ではやめてほしいくらいに嫉妬心を曝け出しているのだ。

 卒業旅行だけあってか彼等の憎悪はいつもより激しく、宗佐を逃がすまいと羽交い絞めにするや顔出しパネルへと引きずっていく。水族館の楽し気で快活なアナウンスに宗佐の情けない悲鳴が重なる。


「……敷島、止めないの?」

「最後だし放っておく」


 まだ入館ゲートすら通っていないのに疲労を感じて溜息を吐けば、西園もまた苦笑を浮かべ、通りかかった月見を誘って水族館の中へと入ってしまった。

「皆で写真を撮ろう」という西園の言葉にある『皆』に男達が――少なくとも背後で公開ギロチンを始めようとしている者達が――含まれていないのは確認するまでもない。


「まぁ、こっちもこっちで集合写真っぽくはなってるよな……」


 そんなことを呟きながら憎悪の祭りを眺める。

 リニューアル直後の綺麗な建物と水族館の活気、そしてダサい顔出しパネルと嵌め込まれた哀れな宗佐、それを囲む嫉妬の男達……。なんだか儀式めいたものに見えてきた。

 だがこの光景も蒼坂高校の名物であり、卒業すれば見ることがなくなるのだ。

 そう考えれば僅かながらも哀愁が胸を過り、せめて記念に残しておこうと携帯電話を取り出した。


「よし、みんな撮るぞー」

「この危機的状態で!?」


 薄情どころじゃない! と宗佐が喚く。囲む男達も何やら言ってくるが、まぁ良いだろう。

 とりあえず一枚撮ってから文句を聞いてやろうと携帯電話を掲げ、シャッターボタンを押すタイミングで声を掛けたところ……、


 そりゃもう、呆れてしまうぐらい全員が良い笑顔を向けてくれた。

 宗佐までもが満面の笑みである。


「思った以上に良い写真になったな。これだけ見ると楽しそうだ」

「健吾、助けて! みんな笑顔のままで固まってて怖い!」

「大丈夫だ宗佐、サメは鼻っ柱を殴ると怯むらしいから鼻を狙え」

「水槽に落とされること前提のアドバイスなんていらない!」

「じゃ、俺はサメの水槽の前で待ってるから。またあとでな」

「水槽越しの再会!?」


 宗佐の悲鳴混じりのSOSにヒラヒラと手を振ることで応え、俺は一足先に水族館の入館ゲートを潜った。


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