第9話 誘うのは……

 


 桐生先輩と別れ、珊瑚がいる教室へと向かおうとし……、その途中で目当ての人物を見つけて足を止めた。

 廊下の隅。曲がり角に身を隠すようにし壁に背を預けているのは他でもない珊瑚だ。

 俯くように足元を見降ろす姿は普段の彼女らしくなく、俺が近付いて声を掛けるまで気が付かなかったのか、慌てたように顔を上げて目を丸くさせた。


「健吾先輩……」

「何やってるんだ?」


 彼女の教室はこの角を曲がり廊下を進んだ先にある。

 だというのにその手前で立ち止まっているのだ。周囲に友人がいるわけでもなければ、道の先で騒動が起こって通れないわけでもない、珊瑚の様子をおかしいと思うのは当然だろう。

 いったいこの廊下の先に何があるのか。それを探るように曲がり角の向こうを覗こうとし……。


「待って、健吾先輩!」


 グイと腕を引っ張られた。

 身を乗り出すもすぐさま無理やりに引き戻される。


 だがその直前、僅かな瞬間だが俺は曲がり角の先を、そこにいる二人の男女を見つけてしまった。

 見間違えるわけがない、あれは……、


「宗佐と、……月見か?」


 呟くような俺の疑問に、珊瑚が静かに頷き、声を潜めるように説明し始めた。


 曰く、珊瑚は休み時間に図書室に本を返しに行っており、その帰りに廊下を歩く二人に気付いて立ち止まったという。そこに俺が来て今に至る。

 もっとも、月見も宗佐も蒼坂高校の生徒、校内のどこを歩いていようとさほどおかしなことではない。ここいら一帯は二年生の教室しかないが、それでもわざわざ足を止めて様子を窺う程ではないだろう。

 とりわけ宗佐はなにかと珊瑚の教室を尋ねている。一緒に帰るために迎えに行ったり、何かを借りたい。二年生の教科書が必要となった際は、宗佐だけではなく俺もこの廊下を走って珊瑚の教室へと向かった。


 珊瑚もそれを理解しており、最初こそそれほど疑問を抱かず宗佐達に声を掛けようとしたという。

 おおかた家の鍵を忘れたか、買い食いしようとしたが財布を忘れてお金を借りに来たか、そんな理由だろうと考え……。


 だがその途中で足を止め、今こうやって身を隠している。

 それは宗佐の制服のポケットにしまわれたハガキを見つけたから……。


「あれって、クリスマスのイベントのハガキですよね?」

「あぁ、そうだ。さっき先生から渡された」

「そうなんですね……。宗にぃ、ようやく当てたんだ。だから……」


 譫言のように呟く珊瑚の声は、とうてい兄の当選を喜んでいるようには聞こえない。

 それどころか眉尻を下げて今にも泣きそうな表情をしている。いったいどうしてそんな反応をしているのか、そう問おうとした瞬間、宗佐と月見が話し出すのが聞こえた。


 思わず珊瑚につられて俺も壁に張り付いて身を隠してしまう。これもまたどうして自分の学校でこんな真似をしなければならないのか。

 疑問だらけだ。だけどどうしてか、今二人の間に割って入ってはいけないように思える。……少なくとも珊瑚はそれを望んでいないと、根拠のない確信が胸にある。

 そんな俺達のよく分からない緊張感など知らず、むしろ俺達がここにいる事も知らず、月見が宗佐を呼んだ。、


「ねぇ、宗佐君……」


 月見の声が聞こえてくる。

 少し上擦った、緊張を隠し切れない声。


「あ、あのね……、クリスマスの、当たったんだよね」

「うん、先生に渡されてビックリしたよ。うちの高校の枠って本当にあったんだね」

「ね、私もビックリしちゃった。でも凄いね。年々当たりにくくなってるのに」


 軽く笑いながら話す宗佐の声に対して、返す月見の声色は緊張を含んでいる。

 だがしばらくすると意を決したのか、ついにはハッキリと宗佐の名を呼んだ。


 まさか、と俺の胸の内がざわつく。まさか月見は宗佐に……。

 チラと隣を見れば珊瑚も複雑な表情を浮かべ、顔を上げるのも辛いのかじっと足元を見降ろしていた。伏せられた瞳は切なげで、耐えるように口元を引き締めている。

 月見が何を言おうとしているのか察したのだろう。この流れ、そして上擦りながらも決意を宿した月見の声を聞けば、俺にだって分かる。


 宗佐はクリスマスイベントに当選した。月見はそんな宗佐のことが好きで、そして、彼女はこのまま恋心を胸に秘めたままで終わらせるような女の子ではない。

 かつて聞いた、彼女の決意の言葉が脳裏をよぎる。



『芝浦君には、一番好きで特別だって思える、そんな子の手を取って欲しいんです。そして、私は……。私は、それが私だと信じています』



 桐生先輩を相手に、一歩も引かず、臆すことなく、胸の内を明かした。

 あの時の言葉の通り、三年生になってから月見と宗佐の距離は誰が見ても分かる程に近付いていた。下の名前で呼び合っているのが良い例だ。

 初めて二人が教室内で互いの名前を口にした瞬間の、クラスメイト達の動揺と響き渡った悲鳴は未だに忘れられない。――そしてきっと、その悲鳴の中で何人かが静かに身を退いたのだろう――

 そう考える俺の耳に、月見の上擦った声が届いた。


「宗佐君……ハガキ、ペアなんだよね? ……その、わ、私を誘ってくれないかな? 私、宗佐君と二人でクリスマスを過ごしたいの。他の誰でもなく、宗佐君と」


 きっと鈍感で斜め上の勘違いをしやすい宗佐を想っての事なのだろう、月見の言葉は直球で聞いているこちらが赤面してしまうほどの大胆さだ。

 流石にこれは宗佐にも届いたのだろう。「弥生ちゃん」と彼女の名を口にする宗佐の声にも緊張を感じさせる。


 よかったじゃないか。そう心の中で呟いた。

 珊瑚や桐生先輩の胸中を考えれば複雑ではあるが、それでも月見が勇気を出したことにより、彼女と宗佐の想いは報われる。

 ここは単純に二人を祝おうか……そう考えていると、宗佐の返事が聞こえてきた。



「ありがとう。でも……、ごめん」



 ……と。



 聞こえてきた宗佐の言葉に、思わず「え?」と声を漏らしてしまい慌てて口を手で覆った。

 幸い俺の声は二人に届いていなかったようだが、それでも動揺はおさまらい。


 なにせ宗佐の返事は「ごめん」なのだ。

 それが何を意味しているかなど確認するまでもなく、だからこそ分からない。

 ずっと好きだった月見からこんなにもはっきりとした言葉でクリスマスに誘われ、どうしてその返事が「ごめん」なのか。


 そんな俺の疑問に答えるかのように、宗佐が再び話し始めた。

「でも」という言葉は慌てているようで、らしくなく捲くし立てるように話す。


「弥生ちゃんが一緒に過ごしたいって言ってくれて本当に嬉しいよ! 俺も三人・・で行けるなら絶対に弥生ちゃんを誘ったから!」

「……誰か、他の子と行くの?」


『三人』という宗佐の言葉から第三者の存在を感じ取り、月見が不安そうな声色で尋ねる。

 その言葉に、俺はそんなまさかと心の中で首を振った。


 宗佐は月見に惚れている。入学してからずっと、今も変わらず。

 桐生先輩をはじめとする女子生徒達から積極的に迫られても一度たりとも余所を見ることなく、鈍感で斜め上な勘違いを繰り返しながらも一途に、ただひたすらに月見だけを想い続けていたのだ。


 そんな宗佐なのだから、月見の誘いを断ってまで優先する人物なんて……。


 いるわけがない、と、

 浮かび掛けた俺の考えがすぐさま打ち消される。

 宗佐が月見より優先する可能性のある人物。クリスマスを一緒にすごそうと思う人物。



 いるじゃないか、たった一人。

 今、俺の隣に。



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