第8話 それぞれのクリスマス

 


 俺の断言を気にいったようで、桐生先輩がご機嫌で俺の肩を叩いてくる。

 普段よりも叩きぶりが豪快ではあるが、彼女の細腕で叩かれたところで俺には痛くも痒くもない。……痛くも痒くもないが気恥ずかしさはある。

 居心地の悪さに雑に頭を掻くも、もちろん桐生先輩がその程度で俺を解放してくれるわけがない。むしろ更に機嫌を良くし、それがまた俺の気恥ずかしさを駆り立てる。他でもない桐生先輩相手だから猶更だ。


 なにせ桐生先輩は誰より先に、むしろ当人である俺よりも先に、俺の珊瑚への恋心に気付いていたのだ。

 宗佐絡みの騒動に対して第三者と構えていた俺が珊瑚に恋をし、それを自覚し、積極的にアピールするようになるまでを間近で見ている。


 思い出すのは去年の夏。皆でプールに遊びに行き、桐生先輩と二人きりになって話していた時の事。

 当時の俺はまだ珊瑚への恋心に気付かず、好きな人を必死に追いかける木戸や宗佐に対して「俺もいつか誰かに必死で想いを寄せるのだろうか」と考えていた。まったくもって第三者の意見で、当時は色恋沙汰とは無縁だと考えていたのだ。

 そんな俺に、桐生先輩は悪戯っぽく笑って告げてきた。


『今はそうやって余裕のある態度を取っていられるけど、意外と近いかもしれないわよ。その日も、その人も』


 あの言葉を、今、桐生先輩に肩を叩かれながら思い出す。――まだ叩いてくるあたりよっぽどご機嫌なようだ――

 己の変化への実感、当時の己の鈍さへの呆れ。尚且つ今の桐生先輩の言動には成長を褒めるような色合いすらあり、それらが余計に恥ずかしさを募らせる。

 もっとも、恥ずかしがる俺の反応もまた彼女を楽しませるだけなのだが。


「昔の敷島君がさっきの言葉を聞いたら何て言うかしら」

「……色ボケ」

「確かに言いそうね」


 ふむと桐生先輩が昔を思い出すように頷く。

 だがそれを改めるように再びニンマリと笑うと、俺の上着のポケットへと視線をやり、最後に一度ポケット越しにハガキを叩いてきた。


「この私をふったのよ。友情だの同情だので他の女の子と行ったら承知しないんだから」

「俺は妹としか行きません。他の奴と行くぐらいなら家で勉強してた方がマシだ」

「ふふ、本当に良い男になって」


 嬉しそうに笑う桐生先輩は一歳差とは思えないほど大人びていて、姉が弟の成長を見守るような色さえ見せている。

 気恥ずしさが増して俺は話題を逸らすべく「桐生先輩は……」と言いかけ、出かけた言葉を飲み込んだ。

「桐生先輩はクリスマスどうするんですか?」などと、それを聞いてはいけない事ぐらいは鈍い俺でも分かる。それは分かるが咄嗟に出てしまった言葉をどうして良いのかは分からず、言葉を詰まらせむぐと口を噤んだ。


 桐生先輩はきっと宗佐もクリスマスイベントに当選したことを知っているはずだ。彼女の情報網と、俺と宗佐が同時に当選したことを考えるに、俺についてだけ知っているとは思えない。

 そして俺達の当選を知った時、宗佐と一緒にクリスマスを過ごしたいと思ったはず。


 以前の彼女ならば、先程の俺に対するような積極的なアプローチで宗佐に迫っていただろう。

 だけど、どれだけ桐生先輩が積極的に誘おうと宗佐の気持ちは彼女には向いていない。

 秋に行った遊園地の観覧車。二人がどのような会話を交わしたのかは俺は知らないが、桐生先輩の気持ちは宗佐に告げられ……、そして叶わずに終わったのだ。


 それを知っていてクリスマスの予定を聞くのは野暮に思え、さりとて中途半端に発してしまった言葉をどうすべきか分からず戸惑っていると、桐生先輩が苦笑しながら肩を竦めた。

「大丈夫よ」という言葉は気遣い無用という意味だろうか。


「もともとクリスマスは家族と過ごす予定なの」

「そうなんですか?」

「うちね、芝浦君の家ほどじゃないけど父親が出張であんまり家に居ないの。でも毎年クリスマスの時期には帰ってきてくれるから、いつも一緒に過ごしてるのよ」


 今年も父親はクリスマスイブに帰宅し、そして二日間を共に過ごすのだという。

 それを話す桐生先輩は嬉しそうで、久方ぶりの家族団欒を楽しみにしているのが伝わってくる。大人びていた彼女が時折見せる年相応の、それどころか少し幼くさえ見せる笑みだ。

 だがふとした瞬間僅かに見せた表情は切なげで、「だから」と呟いた声は微かに溜息を交えている。

 それでもすぐさま「ケーキと七面鳥も用意して本格的なの」と元の表情へと切り替えてしまった。

 俺に気を遣わせないためか、それとも、未練を抱くまいと己に言い聞かせているのか。


 その健気さを知ってもなお、俺が出来る事は無く、ただ気付かない振りをした。


 宗佐は桐生先輩を誘わない。頼まれてもきっと断るだろう。

 宗佐は馬鹿で鈍感だが真摯な男だ。はっきりと想いを告げられそこに恋愛感情があると知った今、応じられない想いに中途半端な期待を持たせることはしない。

 それを、宗佐を見つめ続け、そして想いを打ち明け叶わなかった桐生先輩が悟らないわけがない。胸中はきっと複雑なはずだ。


 だがそれが分かって俺に何が出来る? 

 宗佐の気持ちが月見にだけ向いているように、俺の気持ちも珊瑚だけに向かっている。

 だからこそ、ここで桐生先輩を男として慰める資格は俺には無い。ただ後輩として接するだけだ。


 あぁ、どうしてこんな時に居ないんだ。ストーカーのくせに。


 そう心の中でとある人物ストーカーを罵倒しつつ、俺は桐生先輩の強がりに乗って「勿体ないですね」と笑いながら話を続けた。


「桐生先輩なら、クリスマスプレゼント大量に回収できそうなのに」

「プレゼントというより貢物に近い言い方ね」

「リスト作って一人一人に割り振って、当日はどっかに回収ボックスでも置いておけば良いんじゃないですか?」

「それはもう完全に貢物だわ。そもそも、プレゼントってたくさん貰えば良いってものじゃないでしょ」


 誰に貰うかが重要、という意味だろうか。

 もしかしたら、俺に対して、珊瑚へのクリスマスプレゼントをせっついているのかもしれない。……いや、多分そうだ。

 それが分かるからこそ、俺は己の顔が熱を持つのを感じながら、


「そ、そうですね……」


 と、上擦った声で返事をした。

 言わずもがな、もしも珊瑚がクリスマスの誘いに応じてくれたら、彼女にプレゼントを贈ろうと考えていたからだ。

 そんな俺の考えなど全てお見通しなのだろう。桐生先輩は満足そうに笑い、おまけに「優しい先輩への感謝の品なら、クリスマス関係なくいつでも受け取るわよ」とまで言って寄越すのだ。


 その悪戯っぽい表情も、仕草も、そして気丈に振舞おうとする姿も流石で、やはりこの人には敵いそうにない。




 そうしてしばらく他愛もない会話を交わしていたが、ふと桐生先輩が腕時計を見て「あら」と呟いて話を止めた。


「もうこんな時間。大勝負を前に引き留めちゃってごめんなさいね」

「大勝負って……」

「あら、『どこに行くの?何をしに行くの?』って聞いてほしいのかしら」


 悪戯っぽい笑みを強め、桐生先輩が尋ねてくる。それに対して俺は下手な事は言うまいと考え、大人しく「頑張ります」とだけ返して歩き出した。

 向かうはもちろん二年生の……、詳しく言うならば珊瑚のいる教室。

 去り際に桐生先輩から掛けられた、


「珊瑚ちゃんに断られたら木戸と二人で行ったらどう? ツリーの前でツーショット撮って送ってちょうだい」


 という楽しげな言葉は、きっと彼女なりの応援なのだろう。


 ……随分と酷い話だが、なんとも桐生先輩らしい。



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