第7話 クリスマスのお誘い

 


 先程貰ったばかりの当選ハガキを眺めながら廊下を歩く。


「当たったのは嬉しいけど、宗佐と一緒か……。いっそ宗佐が当選したことは黙って誘うか。でもそれはフェアじゃないよな」


 どうしたものか、と呟く。

 独り言のため返事はなく、擦れ違った生徒が一瞬不思議そうに俺に視線をやるがすぐさま興味を失い去っていった。



 先生からハガキを受け取った直後、案の定というか予想通りというか、宗佐は嫉妬した男達に囲まれた。

 相変わらずの速さ。圧が今までで一番重かったのは、きっとクリスマスというイベントゆえだろう。

 今回は女子生徒達も迂闊に口を挟めないようで男達の暴走を咎める者は居らず、結果、宗佐の悲鳴が教室はおろか廊下にまで響いていた。そんな中、俺は集団の横をすり抜けて教室から出てきたのだ。

 もちろん一人で。今回も宗佐を助け出す気はない。……いや、今回は特に、というべきか。


 薄情と言うなかれ。大丈夫、いつのもことだ。

 むしろ受験期のなんとも言えない重苦しい空気が一掃されて良かったかもしれない。


 そんな事を考えながら、向かうは二年生の教室。もちろん珊瑚のクラスだ。

 クリスマスのイベントに当選したのなら誘うのは彼女しかいない。


 ……だけど、


「どうしてよりにもよって宗佐と一緒なんだ……」


 思わず呻くように呟き、それだけでは足りないと盛大な溜息を吐いた。


 珊瑚は宗佐を慕っている。『芝浦珊瑚』という一人の少女として、『芝浦宗佐』という一人の男を恋い慕っているのだ。誰より長く、誰より近くで。

 宗佐からの想いはあくまで家族としてのものだとしても、二人の仲は良い。

 以前にこのイベントについて話していた際、毎年二人で抽選に挑み、外れ、そして数年前までは二人でショーを立ち見していたと話していた。


『クリスマス』という特別な日のイベント。兄妹としての思い入れも一入。

 となれば、俺と宗佐が同時に当選したと知った珊瑚はどうするだろうか。


 俺の誘いを断って宗佐と行くか、もしくは宗佐が自分以外の誰かとクリスマスを過ごす様を見たくないと、ショーを見に行くこと自体を拒否する可能性もある。


 だけど、もしかしたら俺のことを選んでくれるかもしれない。

 いや、でも。

 だけど最近は……。


「あぁ駄目だ、考えたって埒が明かない。ここは潔く正々堂々、宗佐も当選したことを話してから誘って……。だけどそもそも宗佐はどうするつもりなんだ。もしかしたら月見のことを……。でも宗佐の出方を待ってからの行動なんてしたくないし……」

「敷島君、久しぶりね」

「そうだ。猫カフェだ。クリスマスイベントの前に猫カフェに行こうって誘えば、猫会いたさに俺を選んで……。待て、それだと俺じゃなくて猫が選ばれたことにならないか?」

「敷島君、敷島君ってば!」


 考え込んでいると他所から声が聞こえ、次の瞬間グイと俺の腕が引っ張られた。

 驚いてそちらへと見れば、そこに居たのは……、


「……あ、あれ、桐生先輩?」

「ごきげんよう敷島君。せっかく久しぶりに会えたのに、私の事を無視するなんて酷いわ」


 拗ねたような声色で告げてくるのは桐生先輩。

 白のニットワンピースとグレーのコートがなんとも大学生らしく、制服ばかりの校内において一際大人びて見える。

 だが分かりやすく露骨にそっぽを向いて不満を露わにするところは子供っぽい。もっとも他でもない桐生先輩のことだ、大人びた見た目と子供っぽい拗ねた表情のギャップをあえて狙っているのだろう。


「すいません、ちょっと考え事してて。ところで今日はどうしたんですか? ……まさか、クリスマスのことを知ってちょっかいかけに来たんじゃ」

「敷島君の中の私はどれだけ暇で行動力に溢れているのかしら」


 拗ねた表情から一転し、ニッコリと、それはそれは麗しく微笑む桐生先輩に「冗談です、申し訳ありませんでした」と頭を下げてしまう。桐生先輩の場合、わざと不満を露わにする時よりも麗しい笑みの方が言い知れぬ圧を感じさせる。

 だが素直に白旗をあげれば「よろしい」と満足そうに頷き、大学受験の資料を持ってきたのだと説明してくれた。片手には紙袋を持っており、中には冊子やファイルが入っている。


「結構頻繁に来てますよね。そんなに資料ってあるものなんですか?」


 いくら母校とはいえ、わざわざ訪れるのは時間も労力も掛かる。

 桐生先輩だって大学生活で忙しいだろうし、そもそも重要な資料ならば教師か必要としている生徒が取りに行くべきだ。

 そう話し負担にはなっていないのかと案じれば、桐生先輩が穏やかに笑った。


「今日は元々友達と会う予定だったの。待ち合わせが学校の近くで時間が余ってたから、資料渡しがてらちょっと覗いただけよ」

「でも、大学は変則的な授業とはいえ、桐生先輩も大変なんじゃ……」

「そんなに大袈裟に考えないで。それに、必要不可欠な資料ってわけじゃないし、本当は郵送でも大丈夫だったのよ。先生にも無理をするなとは言われてたわ。……だけど」


 言いかけ、桐生先輩がふいと視線を他所へと向けた。

 遠くを見つめるように。その先には誰も居ないが、まるでそこに誰かを見るように。

 そうしてゆっくりと口を開くと、


「私が来たかったの。……だって、会えるでしょ」


 過去を懐かしむような声色で、それでいて『誰に』と明確な名前は口にせず、呟くように話した。


 彼女の話に、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。 

 本当は気の利いた言葉を掛けるか、もしくは自然に振る舞ってさり気無く話題を逸らすぐらいの事をすべきなのに、どうにも咄嗟に頭が回らなくなる。

 それでも何か言わなくてはと言葉を探していると、そんな俺の態度に桐生先輩が苦笑を浮かべた。

 後輩の不器用さを愛でるように優しく、それでいてどことなく切なさを残した笑みだ。麗しいが、見ているとこちらの胸まで痛みを覚える。


 今までは宗佐に会うために資料を口実にして学校を訪れていた。

 誰より冷静で大人びた対応を取り色恋沙汰の騒動を楽しむ素振りまで見せていた桐生先輩だが、それだけ強く宗佐を想っていたのだ。

 だけどその想いも叶わなかった……。


「敷島君って、意外と顔に出やすいのよね。貴方が一年生の時はもっとクールな子だと思ってたわ」

「えっ……? あ、すいません」


 桐生先輩の胸中を考え、それが顔にまで出ていたらしい。

 慌てて己の顔を手で覆えば、その反応が面白かったのか桐生先輩が苦笑した。大人びて落ち着いた品の良い笑みだ。見え隠れしていた切なさも今は無い。


「良いのよ、気にしないで。不器用な男の子は魅力的よ」


 そう俺に対してフォローを入れ、次いで彼女は「ところで」と話題を変えてきた。

 大人びて落ち着いた笑みが次第にいたずらっぽいものに変わる。この笑みもまた麗しいのだからさすがである。


「ねぇ敷島君、クリスマスのイベントに当たったのよね?」

「相変わらず情報が早いですね」

「たった一年離れただけで私の情報網は崩れたりしないわ。それでね、私、モールのプロジェクションマッピングって見たことがないの。毎年応募してるのに一度も当たったことが無いのよ」


 猫なで声で、まるで甘えるかのように告げてくる。桐生先輩の言わんとしていることなど誰だって分かるだろう。

 ペアに誘ってくれと、クリスマスイベントに連れていってくれと、そうアプローチしているのだ。分かりやすくなにより大胆なアプローチは、なんとも桐生先輩らしい。

 彼女に惚れこんでいる男ならば、……いや、初対面の男だってここまで積極的に強請られれば喜んで応じるだろう。


 だが俺は喜ぶでも応じるでもなく、ただじっと桐生先輩を見つめ返した。

「それじゃあ一緒に行きますか」なんて言葉も、ましてや「俺でよかったら喜んで」なんて言葉も、彼女が本当は望んでいないことを知っているからだ。


 だからこそ俺ははっきりと、


「俺は珊瑚しか誘いません」


 そう答えた。

 桐生先輩の瞳が僅かに丸くなる。

 だが次第に彼女は満足そうに目を細め、それどころか俺へと手を伸ばすと勢いよく肩を叩いてきた。


「敷島君、良い男になったわね!」


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