第6話 当選ハガキ

 


 猫カフェで癒された数日後、教室内は相変わらず受験空気で、猫が特別好きというわけでもない俺でもあの緩い癒し空間が恋しくなってしまう。


「……頭から湯気が出そう」

「それこの間も言ってたな」


 俺の目の前には濁った瞳で昼食を食べる宗佐。まさに疲労困憊といった様子だが今日に始まった事ではない。

 何の疲れかも尋ねるまでもなく、どうやら先日の猫の癒しも効果が切れてしまったようだ。

 食べ終えると弁当を片付け、鞄にしまい、お茶を飲み……、そうしてグデンと机に突っ伏した。

 もっとも机に突っ伏してはいても話をする気はあるようで、ぐいと顔をだけを上げて「この間さぁ」と話を続けた。


「猫カフェ行った日の夜、珊瑚にクリスマスに何が欲しいって聞いたんだ。いくら受験生って言っても、兄としてはやっぱり可愛い妹にクリスマスプレゼント送りたいじゃん?」

「……そうだな。それで妹は何が欲しいって?」


 これはもしかして珊瑚の好みを聞き出すチャンスだろうか。

 そんな事を考え、だがそれを悟られまいと冷静を装って話の続きを促せば、宗佐は濁った瞳のまま「良い点数」とだけ返してきた。


「良い点数? 何のだ?」

「俺も疑問に思ったんだけど、その話をしながらそっと机の下から新しいテキストを取り出してきたんだよ。それも俺が苦手な分野ドンピシャのテキスト」


 つまり、このテキストをやって良い点数を取れと言う事なのだろう。

 それをクリスマスプレゼントとして求めるとは、相変わらずではないか。

 ……少しばかり肩透かしな思いを抱き、同時に「俺なら宗佐よりも良い点数をあげられるのに」なんてことを考えたのだが、口に出せるわけがない。


「なるほど、さすが妹。クリスマスも何もない徹底した受験モードだな」

「だと思うじゃん? でも夜食にジンジャーマンのクッキーが添えられてたり、昨日はなべ焼きうどんに入ってたカマボコにサンタクロースの顔がプリントされてた」

「クリスマスらしい、……のか? なべ焼きうどんにサンタクロースは微妙だろ」

「あと丸付け手伝ってくれるんだけど、十二月に入ってから赤ペンと緑色のペンで丸付けしてくるようになった」


 一応、珊瑚なりに兄を想ってクリスマスの雰囲気を出しているのだろう。

 だが宗佐曰く、なべ焼きうどんを食べ進め、底から現れたカマボコのサンタクロースと目があった瞬間は、クリスマスどころかたいそう微妙な気持ちになったらしい。そりゃそうだ。

 もっとも、そんな微妙なクリスマスぶりだとしても俺には羨ましく思えてしまう。

 どれだけ勉強で煮詰まっていても、珊瑚が部屋を訪れ、労いの言葉と共に夜食を持ってきてくれたなら、疲れなんて一瞬で吹き飛ぶだろう。


 それを思い、ついポツリと、


「良いなぁ」


 と呟けば、宗佐がパッと顔を上げた。

 しまったと慌てて口を押さえるも、一度発してしまった言葉を飲み込む事は出来ない。


「良いなって、お前のところもおばさんとお義姉さんが夜食作ってくれてるんだろ? たまにお兄さんが勉強見てくれるって言ってたし」

「い、いや、そうなんだけど……」


 敷島家も芝浦家と同様、受験に協力的だ。互いの家に羨むほどの違いは無い。

 だからといって『珊瑚の夜食が羨ましい』と正直に言えるわけがなく、どうしたものかと誤魔化す術を探す。

 いっそ話題を変えてしまうか。それとも『鍋焼きうどんに沈むサンタクロース』が羨ましいとでも言っておくか……。――その場合、明日あたり宗佐からサンタクロースがプリントされたカマボコをプレゼントされそうだけど――


 そんな中、二人揃って名前を呼ばれた。


 見れば教室の出入り口から担任の斉藤先生が顔を覗かせ、こちらに来いと手招きをしている。

 いったい何だと思わず宗佐と顔を見合わせながら腰を上げ、内心では感謝をしながら先生のもとへと向かった。


「先生、どうしました?」

「いやぁ、俺も職員室で驚いたよ。お前ら本当に仲が良いな」

「……なんの話ですか?」


 一方的かつ上機嫌で話す斉藤先生に、俺も宗佐もわけが分からずに首を傾げるしかない。

 ……だが何となく「もしかして」という気持ちはあった。やたらと上機嫌な先生の口調、この季節、先程の話題。そのうえ斉藤先生は二通の封筒を手にしているのだから猶の事。


 周囲もそれに気付いたのか僅かにざわつき始めた。教室内の空気が受験モードから緊迫したものへと変わる。同じ張り詰めた空気ではあるが微妙に違いがある。

 宗佐を妬む嫉妬集団がこちらへとにじり寄り、月見を始め宗佐を慕う女子生徒達が聞き耳を立てる。

 クラスメイト達の視線は斉藤先生と、先生が手にしている封筒、そして先生の前に立つ俺達……もとい、宗佐へと注がれる。


 そんな空気の中、斉藤先生だけはクツクツと楽しそうな笑みを浮かべていた。

 そうしておもむろに、わざとらしく見せつけるように、二通の封筒を俺達へと差し出し、


「受け持った生徒が二人も当選っていうのは俺も初めてだな。それじゃ二人共おめでとう、メリークリスマス。頑張れよ」


 そう楽しげに笑った。


 次の瞬間、教室中のざわつきが一気に増し、それどころか他所のクラスからも騒ぎを聞きつけた生徒が見に来た。

 そんな賑やかさの渦中にありながらも唖然とする俺達に、斉藤先生はニヤリと口角を上げて「頑張れよ」と改めて告げて去って行った。呪詛やら黄色い声やらを聴きながら鼻歌交じりに、その鼻歌がクリスマス定番ソングなのは言うまでもない。


「三年生は当たりやすいって噂、本当だったんだな」

「あぁ、そうだな」


 驚いたと言いたげな宗佐の言葉に同意を返す。次いで手元の封筒をそっと開けた。

 封筒の中に入っていたのは一通のはがき。クリスマスイベントの招待状らしく鮮やかなイラストが描かれており、日付を見ればなんとも奇遇なことに俺も宗佐も同じ二十五日だった。これを言えばまた斉藤先生が喜びそうなので黙っていようと頷き合う。

 イラストの下部には当日の入場手順や注意事項が書かれており、とりわけ太く書かれているのが、


『一枚につき二名様まで』


 という案内だ。


 ……そう、このチケットはペアだ。

 クリスマスというイベント性を考えれば当然とも言えるのだが、なにせペアである。


 ここで思い出されるのが、斉藤先生が去り際に俺達にかけた最後の言葉……。


『頑張れよ』


 である。当選葉書を手にした生徒に対して「おめでとう」は分かるが、その後に「頑張れよ」だった。それも念を押すように二度も。

 ではいったいなにが「頑張れよ」なのかと言えば……。


 一つ、今まさに嫉妬の炎を纏ってにじり寄ってくる『外れた男達』の妬み恨み嫉みと妨害から当選はがきを守り抜くこと。

 二つ、イルミネーションやプロジェクションマッピングというキラキラしたものが好きで、イベントに連れてってくれと見つめてくる女子の視線と誘惑に耐えること。


 何より大事な三つ目、そんな男女の嫉みや期待を掻い潜り……、意中の相手を誘うこと。



 そう、当選ハガキを手にした以上、殆ど告白同然の誘いをしなければならないのだ。



 考えてもみてほしい、クリスマスだ。

 例えばこれがハロウィンだの正月だのといった季節行事なら、同性の友人と行ってもおかしな話ではないだろう。だがいかんせんクリスマスだ。それも女性二人ならばまだしも、男が二人で誘い合っていくような場ではない。


 そんなクリスマスに行われる特別ショーを共にと誘えば、これは告白したと同じようなものである。

 そして仮に「友達だから」だの「行きたいって言ってたから」だのと言い訳をして本命と違う相手を誘えば、想いを誤魔化すどころか変な誤解が発生しかねない。

『このイベントに誘われなかった、つまり自分には特別な好意がない』

 と、誘われなかった者はそう考えてしまう。

 単純かつ短絡的かもしれないが、思春期真っ盛りの高校生などこんなところである。


 駆け引きなんて分からない。

 誘う誘わない、それだけだ。


 つまり、このクリスマスの当落騒動は恋愛めいた色合いを強く含み、ゆえに失恋も引き起こし、誘われなかった者達が引き際を知るイベントにもなっていた。

 なんとも切ない話ではないか。そう考えれば、クリスマスの浮かれた空気が残酷に思える。


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