第4話 その時

 


 あれは去年の、時期的に言えばちょうど今と同じ冬。

 父親について隠す宗佐に対し、俺は核心に触れた質問をしようとし……、すんでのところで話題を変えた。

 その時に出した話題が月見の事だ。今と同じように、月見に告白はしないのかと尋ねた。

 あの頃既に二人の仲は良く、当人達こそ気付いていないものの、想い合っているのは第三者の目には明らかだった。


 そんな俺の質問に対して、宗佐の答えは歯切れの悪いものだった。

『俺は、そういうの……、いいから』

 と、己の恋愛についてなのにどこか遠くから眺めるような、諦めたものをそれでも乞い見つめるような、そんな声色だったのを覚えている。

 ……そして同時に、宗佐への想いを語る珊瑚の声色と同じだと、そんな事を考えたのも今でも思い出せる。


 その返事を聞いた当初は宗佐の真意が分からず、どういう意味かと疑問を抱いた。

 だがその直後、宗佐の過去の父親が教室内に現れた事により宗佐が抱える事情を知り、恋愛に踏み出せない理由を知った。

 かつて実の父親に暴力を振るわれ、そんな父親と血が繋がっていることを嫌悪し、そして日に日に父親に似てくる自分に『いつか自分も』と不安を抱いていたのだ。それが宗佐の中で足枷になり、恋愛における一歩を躊躇わらせていた。


 だが最近の宗佐は以前よりも積極的になっている。

 月見とは互いに下の名前で呼び合うようになり、何かと声を掛け、そしてさっきも『夜に連絡すると』と頻繁に連絡を取り合っているような口振りだった。

 宗佐の中で何かが変わっているのだろう。

 そして積極的になれるほどの、月見に対しての期待のようなものを抱いているに違いない。


 だからこそ、と考えて問えば、宗佐が気まずそうに他所を向き……、


「そういうのはまだ……」


 と、歯切れ悪く応えた。


「まだ?」


 この期に及んで、まだ?

 ここまで仲が進展して、まだ??


 真意を問うように宗佐を見るも、こちらを向かず露骨に顔を背けたままだ。

 だが俺の言わんとしている事は察したのか、視線は他所に向けたまま口を開いた。


「だって受験生だろ」


 その言葉に、今度は俺が言葉を詰まらせてしまった。

『まだ』という言葉の後に、それでも『受験生』というあと僅かな期間を口にする。

 それはつまり……。


「それって、お前……」

「自分の性格を考えるに、今告白して応えてもらえても断られても、どのみち受験勉強が手付かずになるのは分かりきってる。俺は恋愛と勉強を両立できるほど器用じゃないし、多分、弥生ちゃんも同じタイプだと思う」

「まぁ、確かにそうだな」


 宗佐同様、月見も器用なタイプとは言い難い。

 仮に宗佐が今決意して告白しようものなら、受け入れ、浮かれ、相手のことが気になり、彼女も勉強が手付かずになるだろう。

 といっても二人とも勉強を放って恋愛に現を抜かすタイプではない。宗佐も根は真面目な男だ、平時ならばまだしも今が重要な時期だと自覚している。

 だからといって、叶いたての恋愛と目前に迫った受験勉強を両立できるタイプというわけでもないのだ。

 割り切って勉強をと考えれば考えるほどドツボに嵌り、焦り、空回り、それを相手に悟られまいと無理をして……、という悪循環に陥りかねない。というか確実に陥る。


 もっとも、俺もひとのことは言えない。

 以前であれば宗佐の話を聞いて納得し、「二人とも単純だからな」とでも言い切っただろう。

 だけど珊瑚に恋をしてからは、己がいかに不器用で、尚且つ前進しか出来ない男だと幾度となく思い知らされた。

 俺も同様。むしろ宗佐が今告白して月見と付き合いだしたら、珊瑚はどうするのかと気にかけ、俺も勉強が手付かずになる恐れがある。共倒れだ。


 そんな自分の事は口には出さず、確かにその通りだと同意を示せば宗佐が深く頷いた。


「弥生ちゃん、受験に向けてかなり早い段階から動いててさ。難しいところだけどどうしても行きたいって前から話してたんだ」

「そういえば二年の時にそんな話してたな」


 あれも同じ時期、というより先程思い出したのと同じ日の事だ。。

 卒業間近の桐生先輩から進路について話を聞く中、月見が自分の進学について話していた。あの時点で既に彼女は志望校を決めて受験対策をしており、聞けばそれ以降もきちんと進めていたらしい。


 それほどまでに切望する進路。

 となれば、それを知る宗佐が、なにより大事な今の時期に自分の想いを優先させるわけがない。


「でも、ということは……、お前、受験が終わったら」

「まぁそういうことだな。でもとりあえずは受験だろ。それに受験期間中に告白して、気が緩んで不合格なんて事態になったら、珊瑚に何を言われるか……」


 想像したのか、宗佐が話しながらふるりと体を震えさせた。

 聞けば宗佐の受験に関して珊瑚も協力的なようで、毎晩夜食を作ってくれるという。

 元より珊瑚は兄想いで、日頃から宗佐の宿題や提出物を案じて俺達のクラスに顔を出したり、実は姉と弟なのではと思わせるほどに世話を焼いてやっている。

 とりわけ芝浦家の母親は今妊娠中とあり、きっと母親に代わって自分が宗佐を支えようと意気込んでいるのだろう。


 そんな珊瑚の協力を得ておいて、受験生という身でありながら告白し、付き合い、そして勉強が疎かになり不合格。更には月見まで巻き込んで……。

 なんて事になったら、珊瑚の怒りようは計り知れない。


「下手したら芝浦家から追放されるかもな。宗佐が目を覚ますと部屋の私物が全て無くなり、枕元には絶縁状が……」

「怖いこと言うなよ……。もしそうなったら敷島家が拾ってくれ。一人増えたって気付かないだろ、お前の家」

「失礼だな、さすがに気付く。気付いたうえで三日ぐらいで慣れる」


 そんな冗談めいたことを交わしていると、珊瑚と月見が階段を下りてきた。

 上の階を満喫したようで二人共満足そうな表情をしており、あの子が可愛かった、あの子の毛並みが……と話している。

 そして俺達のところに戻ってくるも、椅子には座らず、むしろ俺達に移動を促してきた。


「宗にぃ、健吾先輩、上の階でご飯タイム始まるって」

「上も凄いよ。キャットウォークにふわふわの可愛い子がいて、下から肉球が見えてて……!」


 珊瑚が説明し、月見はうっとりとした表情で語る。

 そんな二人に促され、俺と宗佐は応じると共に立ち上がった。


「……分かってると思うけど、さっきの話、誰にも言うなよ」


 二人に聞かれないようひそりと告げられた宗佐の言葉に、俺は頷いて返した。




 俺達は『まだ』受験生だ。人生の岐路で、恋愛事に現を抜かしている場合ではない。

 だけどそれはあと数ヵ月。遅くとも来年の春には結果が出て各々の進む道が決まる。

 その頃には、宗佐は決意し、そして月見と結ばれる。


 ……それは同時に、珊瑚の恋の終止符でもある。

 その時、俺は彼女の隣に立てているのだろうか?


 今まで漠然と考えていた『その時』が突然はっきりとした期間をもって目前に迫り、改めて自分の立ち位置のあやふやさを実感してしまう。胸の内が靄がかるような、自分こそが進みも戻れもしない場所にいるような、そんな何とも言い難い焦燥感。

 思わず足を止めれば、宗佐が俺を追い越し先を行き、月見が宗佐と話しながら階段を上っていく。

 珊瑚もそれに続くように歩き出し、階段を上り姿を消し……、


「健吾先輩、どうしました? 行きましょう」


 ついてこない俺に気付いたのか、数段戻ってきて、穏やかに笑ってきた。


 彼女の言葉に、胸の内に溜まりかけていた靄がゆっくりと消えていく。

 一瞬にして気持ちが楽になり、深く息を吐いた。


「そうだな、今更どうこう言う段階じゃないよな。あとはその時に向けてひたすら詰めるだけだ」


 なぁ、と同意を求めれば珊瑚が不思議そうに首を傾げた。

 俺が勝手に悩み、考え込み、そして自分の中で解決させたのだ。問われたところで珊瑚は何一つ分かるはずはなく、この反応は当然である。


「猫のご飯ですか? そんなに距離を詰めて見てたら、猫が可哀想ですよ」


 そんな明後日な事を返してくる珊瑚に思わず笑いそうになりながら、彼女と共に階段を上っていった。



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