第3話 猫師匠の猫センサー
学校でのやりとりから数日後、件の土曜日。
俺は指定された猫カフェのある建物の前に居た。
ショッピングモールのある大きな駅を抜け、ビル街を少し進んだところにある建物。その二階と三階を繋げて猫カフェは経営されていた。
壁には猫の写真が貼られており、その横には喫茶店らしくメニュー表が掲示されている。そのメニュー表にも至る所に猫の写真が写っており猫圧が凄い。
「こんな所にあったのか」
知らなかった、と頭上の窓を眺めながら呟いた。
窓越しに白いものが置かれているのが見えるが、あれはクッションか、もしくは猫か。
この駅には何度も降りた事がある。
遊びや買い物、去年の夏は今と似たような顔触れで水着を買いに来たし、モールではなくこのビル街に来たこともある。
だが猫カフェがある事は知らなかった。そう話せば、先導するように歩いていた珊瑚が得意げに胸を張った。
「健吾先輩は猫センサーが備わってないから気付かないんです」
「猫センサー?」
「そうです。猫センサーが備わっていると、野良猫に出会ったり、家の窓辺に居る飼い猫を見つけたり、素敵な猫カフェに辿り着けるんです」
得意げな珊瑚の話に、思わず「なんだそりゃ」と返してしまう。
だがこの話に食いついたのが……、
「猫センサー! 珊瑚ちゃん、それはどうやったら身に着けることが出来るの!?」
真剣な様子の月見。
ぐいと珊瑚に身を寄せ、瞳を輝かせている。
「猫センサーは一朝一夕で身に着けられるものではありません。猫への愛と猫への貢献により備わり、そして鍛えられていくのです」
「し、師匠……! 猫師匠!」
「それだと私が猫みたいじゃないですか?」
呼び名がしっくりこないと珊瑚が首を傾げるが、対して月見はテンションが上がって自分の発言の違和感に気付いていないようだ。
瞳を輝かせたまま珊瑚の腕を取り、さぁ行こうと建物の中へと入っていく。
そんな二人に遅れを取るまいと、俺と宗佐も建物へと入っていった。
◆◆◆
店内は喫茶店であっても靴を脱いであがるようになっており、中に入ると床一面に敷かれた絨毯の上で猫が転がっていた。
珊瑚と宗佐は慣れたものだと平然と店内へと進むが、初見の俺と月見は思わず立ち止まってしまう。
「おぉ、本当に猫がいる」なんて当たり前な事を呟く俺の隣で、月見が言葉にならない歓喜の声を漏らす。
そんな俺達の反応が面白かったのだろう、珊瑚と宗佐が笑いながら案内を始めた。
「俺が誘っておいてなんだけど、健吾が来るのは意外だったな。猫好きだっけ?」
店内の一角にあるテーブルセットに着き、一息吐いたところで宗佐が尋ねてきた。
それに対して俺は動揺を悟られまいと冷静を取り繕い「うん?」と尋ね返した。視線はメニューに落としたまま、誰が見たっていつも通りだと思うだろう。
さすがにこれぐらいの事には取り繕えるようになった。
……まぁ、内心では動揺してメニューなんて碌に頭に入ってこないのだが。
だがそこはきちんと「コーヒーでいいや」と誤魔化しておく。コーヒーは良い。どの店にも大概あるし、注文しても変に思われない。コーヒー万歳。
「まぁ、別に……。割と猫は好きだな。うん、どちらかと言えば犬より猫の方が好きだと思う」
それになにより、お前の妹のことが大好きなんだ。
今日だって、珊瑚が来るから俺も着いて来たんだ。
なんて事を言えるわけもなく、足元に居た猫を撫でながらそれとなく答える。
幸い宗佐は疑う様子なく、「そっか」なんて軽い返答をしてきた。
「こんな機会でもないと来ない場所だからな。それに息抜きにも良いと思ってさ」
「そうなんだよ、息抜きに最高なんだ。どっか遊びに行くと一日掛かりになるけど、ここは程よい時間で帰れるし、居心地良いんだよ」
確かに宗佐の言う通り、このカフェは他の店と違い飲食店らしさは薄い。
テーブルセットはあるにはあるが部屋の隅に一つ二つ置かれているだけで、あとはソファや一人用の椅子。床に座っている客も居り、下の階には炬燵もあるらしい。
だがメインはあくまで猫。
部屋の中央にあるのはキャットタワー。猫用のベッドやクッションが部屋の中央や各所あちこちに設けられている。人間用の家具より猫用の家具の方が圧倒的に多く、それでも足らないのか猫が人間用の椅子で寝っ転がっている。
明らかに客より猫である。
そして客達も同様、自分への持て成しより猫である。
この空間において、万物全てひっくるめて最優先されるべきは猫なのだ。
そんな雰囲気が居心地の良さを感じさせる。
カフェに来たというよりは、親戚の家に遊びに来たかのような感覚。持て成しとほったらかしが程好く混ざり、ダラダラと過ごす時間に似ている。
「もっと飲食店っぽい雰囲気かと思ったけど、だいぶ緩いな」
「この緩さが癒しってやつだ。それに猫も可愛いしさ。ここでのんびりと話しながら、猫を撫でて、勉強の疲れを癒すんだ」
「なるほど。この緩さなら癒し効果も抜群だな。それに猫も……」
猫も可愛いな、と言いかけ、言葉を止めた。
俺の目の前を一匹の猫が通り過ぎていく。灰色の猫だ。俺の視線に気付いてちらとこちらを見るが、寄ってくる事も無くそのまま歩いていった。
スラリとした身体つき、細くそれでいてしっかりとした足。いかにも猫といったスタイルは『しなやか』という表現がよく似合う。
これぞ猫だ。だけど……、
「芝浦家の猫達と同じ生き物なのかと思えるぐらいにしなやかだな。顔と体のバランスも違うし、足の長さなんて関節一つ違うんじゃないんか?」
芝浦家で飼っている二匹の猫は、この猫カフェに居る猫達よりも一回り二回り膨らんでいる。
あの猫達は『しなやか』ではなく『ずんぐりむっくり』と表現すべきだ。毛量の違いもあるかもしれないが、ズシリとしたあの重量感は……。
そう俺が以前に見たもっちりとした猫を思い出していると、抹茶ラテを飲んでいた珊瑚が「失礼ですね」と咎めてきた。
「健吾先輩、大福とおはぎを太ってるみたいに言わないでください」
「太ってないのか?」
「大福もおはぎも獣医さんお墨付きの健康体です。他の猫と比べてグラマラスボディなだけですよ」
足元に来た猫を撫でながら珊瑚が訴える。そのうえ「ねぇ、そう思うよね」と猫に話しかけている。当然だが返事は無いが、その代わりに猫が心地よさそうに目を瞑った。
宗佐が「健康体なのは事実だから」と俺にフォローを入れてくる。その口調から察するに、愛猫が多少ふっくらしている事は認めているのだろう。
ちなみに月見に至っては、先程からあちこちの猫を見つめては幸せそうな表情をしておりまさに夢心地だ。俺達の会話に相槌を打ちながらも夢心地を続けているあたり、脳内で太ましい猫を想像しているのか。
「月見先輩、上の階に行ってみませんか? 上の階は壁沿いにキャットウォークがあるんです。透明なところもあるから、猫を下から覗けますよ」
「猫を下から!? ぜひお願いします猫師匠!!」
「それだとやっぱり私が猫みたいじゃないですか?」
猫師匠こと珊瑚の提案に、もとより輝いていた月見の瞳が更に輝きを増す。
猫を下から覗く、というのはそれほど魅力的なのだろうか? そんな疑問を抱きつつ、俺と宗佐はどうするかと問われ、席に残ると返した。
この猫カフェでは席の移動は自由。だが席を移るたびに飲み物を持って行かなくてはならない。主な荷物や上着はロッカーに預けているが、携帯電話や小物は手元にある。
だから俺と宗佐は荷物番をしていると告げれば、珊瑚と月見が携帯電話だけを手に、さっそくと上の階へと向かっていった。
「月見もいい気分転換になったみたいで良かったな」
「そうだな。実を言うと、俺、ちょっと弥生ちゃんのこと心配しててさ」
「お前が月見を?」
「弥生ちゃん、かなり勉強頑張ってるみたいでさ。夜に連絡するといつも勉強してたって言うんだよ。最近は全然友達と出かけてないみたいだし。……まぁ、他人を心配してる余裕があるのかって言われるとそれまでだけど」
それでも心配だったと宗佐が話す。
仮にこれが月見以外だったなら、たとえば委員長や西園であったとしたら、俺は「ひとのこと心配してる場合か」と言っただろう。もしも俺の事だったなら「お前に心配される謂れは無い」と言い切ったはずだ。
だが月見は別だ。たとえ月見が万全の状態で受験も余裕だったとしても、宗佐は月見を案じていただろう。
理屈ではない。ただ好きだからだ。
「そうか。それなら今日来れて良かったな。……ところで、なぁ宗佐」
月見達がまだ戻ってこないことを確認し、少しばかり声を潜めて宗佐を呼んだ。
「お前さ……、月見に告白しないのか?」
あぁ、そういえばこんな事を以前にも尋ねたな……、と、そんな事を思い出せば、宗佐が分かりやすく言葉を詰まらせた。
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