第八章 三年生春
第1話 受験生の冬
十二月に入ると一気に寒さが増す。風は冷たく空気は乾燥し、まさに冬といった気候だ。
それと共に俺達三年生は受験に対していよいよ追い込みだと実感し、推薦やAO入試で早々と合格を手にした者達の朗報に、焦っても無駄だと分かっていても焦りを募らせていく。
模試の結果に一喜一憂し、娯楽を我慢し参考書と睨めっこの日々。
なんとも受験生らしく、そして辛い季節である。
「……頭から湯気が出そう」
とは、教科書片手に弁当を食べる宗佐の呻き声。
それに対して俺は「暖を取るにはちょうど良いな」と軽く返し、次いで教室内を見回した。
今は昼休み。だが受験生の教室だけあり、参考書や教科書を読んだり勉強を教え合っている勤勉な者の姿も少なくない。
だが中には昼休みぐらいはと雑談を交わす者も居り、それどころか昼食を掻っ込んで外で遊ぼうと教室を飛び出ていく者もいる。雑談はまだしも、外に遊びに行く奴等は勉強疲れで自棄になっているのかもしれない。
教室内の雰囲気は様々で何とも言えないが、この温度差もまた受験期ならではだろう。
そんな事を考えながら再び宗佐へと視線を向ける。
陰鬱とした瞳と漏らされる溜息の悲壮感と言ったらないが、このやつれ具合の理由はもちろん勉強しているからである。
そう、今俺の目の前で宗佐が勉強しているのだ。
あの宗佐が勉強をしている。念のために目を擦って確認してもやはり勉強している。
「まだ見慣れない光景だな。もしかしたら幻覚を見てるのかも」
「さすがにもう見慣れてくれよ。やめろ、俺の目の前で手を振るな」
「消えない……。ということは幻覚じゃないのか」
「誰が消えるか!」
冗談交じりにパタパタと手を振って『勉強する宗佐』が実在していることを確認すれば、さすがに失礼過ぎたか宗佐が恨みがましそうに睨んできた。
もっとも、宗佐に睨まれることなど今まで数え切れないほどあり慣れたもの。とりわけ今は勉強疲れで眼光に鋭さはない。恐るるに足らず。
「幻覚を疑われるほど勉強する姿が信じられないってことだ。今までの行いだろ」
「ぐっ、……言い返せないのが辛いところだ」
宗佐が悔しそうに唸り声をあげる。だが自覚は有るのか、これ以上は言及することなく再び教科書へと視線を落としてしまった。眉間に寄った皺は随分と深い。
そんな光景を眺め、俺は以前に宗佐から告げられた言葉を思い出した。
あれは確か勉強する宗佐に対して「もしかしたら映像かもしれない」と疑い、確認のために突っついていた時だ。そんな俺に宗佐は真剣な声色と真顔で告げてきた。
『俺は馬鹿だけど、現状に危機感を覚えないほどには馬鹿ではない』
その言葉は感慨深く、俺も思わず納得すると共に拍手を贈ってしまった。
なるほど、馬鹿にもレベルがあるのか……と。どうやら宗佐は『馬鹿の中でもまだギリギリで人生の岐路には己を省みることのできる馬鹿』らしい。分かるような分からないような、なんとも言えず、そもそもこれ自体が馬鹿馬鹿しい話だ。
だがそんな宣言の通り、受験生の自覚が芽生えるや宗佐は生活を一変させ、今までの不真面目さが嘘のように必死に勉強するようになった。
宗佐は馬鹿で鈍感な男だが、いざという時にはやる男なのだ。受験もまた『いざという時』である。
だがそれにしても昼休みにまで勉強とは熱心なものだ。
「考えてみればレアな光景だよな。ちょっと写真撮って良いか?」
「……写真撮ったら珊瑚に送っておいてくれ」
「了解」
冗談交じりに話しながら、教科書片手に食事をする宗佐を写真におさめてさっそく珊瑚に送る。
兄の頑張る姿を見て彼女はどう思うだろうか。
安堵するか、純粋に褒めるか、『引き続き監視お願いします』とでも言ってくるか。
「もしかしたら『貴重な光景なので見に来ました』って教室に来るかもな」
「笑い飛ばしたいけど、実際に来そうな気もするから笑い飛ばせない。……でもさすがに食事片手は駄目だな、全然頭に入ってこない。作ってくれた母さんにも失礼だし」
やめよう、と宗佐が教科書を机にしまう。根を上げるのが早い気もするが俺も同感だと頷いた。
食事と勉強の同時進行は難しい。食事の時間すら惜しいと考える熱意は分かるが、よっぽどの集中力が無いと頭に入らない。
とりわけ宗佐は不器用かつ勉強の習慣が無いのだから、結果どっちつかずで碌に頭に入らず無駄な労力と化すのがオチだ。
食事はきちんと堪能しないと。そう俺がフォローを入れれば、宗佐が必死な様相で頷いた。
「そうだよな。健吾の言う通りだ。それに多少は息抜きしないと」
「お前の場合、高校一年から今の時期まで殆ど息抜きしかしてなかった気もするけど。まぁでも、息抜きってのは必要だよな」
宗佐の事を散々に言ってはいるが、俺も休憩や息抜きはちゃんと取っている。昼休みはおろか細かな休み時間も勉強の事は忘れて好きに過ごすし、休日に遊びに出かけることだってある。
確かに受験を間近に控えた一番大事な時期だ。だが根を詰めすぎて本番前に限界がきては意味が無い。
そんな事を話せば、同意を得られたからか宗佐が「だよな!」と弾んだ声をあげた。
次いでそのテンションのまま「そこでだ」と話を続ける。
「次の土曜日、息抜きに出かけないか?」
「別に構わないけど、どっか行くのか?」
「弥生ちゃんと出かける事になって、だから健吾も一緒にっ……!!」
一緒に行かないか、とでも言いかけたのか、宗佐の言葉が途中で止まった。
なにせ周囲に居たクラスメイト達が一瞬にして立ち上がり詰め寄ってきたのだ。毎度お馴染み宗佐に嫉妬をしている男達である。
彼等の反応の早さと言ったらない。そして圧も同様。
以前よりも重苦しい圧迫感を漂わせているのは、みんな受験勉強の日々でフラストレーションを溜めているからか。
「芝浦、今月見さんと出かけるって言ったか?」
「う、うん。言ったけど……」
「いいや隠すな。言った、間違いなく言っていた。確実に言っていた!」
「いや、だから言ったって」
「白を切っても無駄だからな、俺達は確かに聞いた。間違いなく、月見さんと出かけると言っていた!嘘をついても無駄だ!」
「だから言ったって! 嘘もついてないし、信じてよ!」
ちぐはぐな会話のもと、埒が明かないと宗佐が声をあげる。
それでようやく我に返ったのか、男達がシンと静まった。先程からの騒ぎから一転して瞬時に静まるところが薄気味悪い。
宗佐もその薄気味悪さを感じ取ったのか、彼等に見つめられて居心地悪いと言いたげに眉根を寄せた。
「……そ、それで、皆どうしたの」
「どうしたもこうしたもあるか! 俺達が受験勉強で苦しんでる中、息抜きなんて名目で月見さんと出かけるだと!? どこに行くんだ!白状しろ!!」
先程まで静まっていた男達が、問われて再び宗佐に詰め寄りだす。
その迫力はかなりのもので俺までも気圧されてしまう。
中には目が血走っている者も数人居り、彼等が受験勉強で相当切羽詰まっている事が窺える。クラスメイトとして心配すべきか、もしくは宗佐絡みで余計なストレスを感じるなと忠告すべきか、いっそ今騒いでストレス発散しとけと提案すべきか、微妙なところだ。
そんな男達の重圧を直に受け、宗佐は仰け反るようにして距離を取りながらも「どこって……」と若干引き気味の声色で返した。
「どこって、猫カフェだけど……」
気圧されながらの宗佐の言葉に、詰め寄っていた男達から「猫カフェ」「猫」と声があがる。
俺も思わず彼等に続くように「猫カフェ」と呟いてしまった。
・・・・・・・・
先日追加更新した第六章三年生夏の幕間(六章24話、合計だと181話目)に、更におまけの短編を追記しました。
そちらも併せて楽しんで頂けると幸いです。
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