第2話 嫉妬と憎悪と猫

 



 受験を控えた三年生の教室という程よい緊張感を漂わせた室内に、「猫カフェ」という単語がポツリポツリとあがる。

 そんな中、宗佐が経緯を話し出した。


「珊瑚とよく行くんだよ。今度の土曜日も勉強の息抜きに行く予定だったんだけど、弥生ちゃんも前から興味があったらしくて、一緒に行こうって話になったんだ。普通のカフェと違ってちょっと特殊な場所だろ、だから一人で行くのを躊躇ってたんだって」


 あっさりとした宗佐の説明に、なるほどと頷いた。


 あの気圧されんばかりの空気の中でこそ『猫カフェ』という単語は場違いに感じられたが、改めて考えれば別段おかしな話ではない。

 宗佐も珊瑚も猫好きで、猫好き兄妹の猫カフェ通いは普通の事。そこに猫好きな――そして宗佐の事も好きな――月見が加わるのも自然な流れである。

『ちょっと特殊な場所で躊躇っていた』というのも頷ける。俺も一人で猫カフェに行けと言われれば躊躇うだろう。


 ならば三人でとなり、そこで月見が俺の名前を挙げた。

 これは多分、珊瑚が居るからと月見なりに気を利かせてくれたに違いない。

 心の中で月見に感謝をしつつ、改めて宗佐に詰め寄る男達へと視線をやった。


 彼等も納得したようで、先程までの勢いはなく既に落ち着いている。

 次いで身を寄せ合うとなにやらヒソヒソと話し合いだした。


「猫カフェで騒いだら猫を怖がらせるよな」

「あぁ、寝てる猫ちゃんが居たら起こしてしまうかもしれない」

「カフェだから静かにしなきゃいけないし、なにより俺達の嫉妬を見せつけられる猫が可哀想だ」

「不純な嫉妬心を汚れなき猫ちゃんに見せるのは辛い」


 そう口々に相談し合う。真剣な声色と顔付きだ。

 ところで、『猫ちゃん』と呼んでいる奴は外では気を付けた方が良いと思う。

 酷いと言うなかれ。声変わりのすっかり終わった男子高校生が真顔で「猫ちゃん」と発言する様は、些かきついものがあるのだ。


 そうしてしばらく話し合うと結論が出たようで、代表するように一人が宗佐の肩を叩いた。


「そういうわけで、今回は猫ちゃんを怯えさせるわけにはいかないから見逃す事にした」

「よく分からないけど、皆が猫を好きだって言うのは分かった」

「まぁ、それはそれ、これはこれとして芝浦の事は吊るすけどな。むしろ今吊っておく! 行くぞ皆!」


 途端、真剣だった声色を荒々しいものに変え、男達が宗佐を取り囲んで連れていった。

 男達の嫉妬の雄叫びが廊下から聞こえ、そして小さくなっていく。微かに聞こえてくる宗佐の「そんなに猫が好きなの!?」という明後日な悲鳴が哀愁を誘う。あの馬鹿はいったい何をどう勘違いしたのだろうか……。


 そう呆れはするがもちろん追うことはしない。無駄だし、なにより外は寒い。

 それにこの嫉妬の暴発もまた彼等の受験勉強へのストレス発散になるはずだ。勉強も大事だが少し動いた方が良いだろう。


 だけどこの光景を見るのもあと数ヵ月か……、と、そんな事を考えてしまう。

 らしくなく感傷に浸りかけ、はたと気付いた。


「しまった、次は俺の番か……!?」


 慌てて周囲を見回す。


 俺はまだ返事をしていないが、奴等の中で俺もまた『月見と猫カフェに行く羨ましい男』と考えられているだろう。

 思い出すのは去年の夏。月見や桐生先輩達とプールに行くことになり、俺も宗佐同様に嫉妬された。

 まずはと男達は宗佐を攫って行き、その際に俺に対して『戻ってきたら敷島も吊るす』と宣言していったのだ。――もちろん律儀に待つわけがなく、宗佐を見捨てて帰った――


 今もまた同じ流れになるに違いない。

 だが午後の授業もあるため今回は帰るわけにもいかず、次の授業が始まるまでどこか他所で時間を潰すか……。


 そんな事を考えていると、教室に残っていた男子生徒が読んでいた参考書を鞄にしまってガタと立ち上がった。


「よし、俺も芝浦を吊るしに行ってこようかな!」


 勉強で凝り固まった体をぐっと伸ばしながら話す。――珊瑚が居れば「コンビニに行く感覚で兄を吊るすなんて!」とでも言っただろうか。だがそれほどまでに俺達のクラスでは日常茶飯事となってしまったのだ――

 だが直ぐには宗佐達を追わず、俺の方へと歩いてくると、妙に穏やかな表情でぽんと肩を叩いてきた。


「猫カフェ楽しんでこい。月見さんと……、芝浦の妹と」


 そう告げて、宗佐達を追うように教室を出ていった。


 何が言いたいのかなど尋ねずとも分かる。

 分かるからこそ俺は何とも言えず、ただ唸るしか無く……、


 そして居た堪れなくなって、机から取り出した教科書を読み込むふりをして誤魔化した。


 ◆◆◆


 宗佐達が教室に戻ってきたのは次の授業が始まる五分前。

 出ていった時の荒々しさはどこへやら、和気藹々と楽しそうに話しながら戻ってくる。これもまた定番の流れと言えるだろう。

 挙げ句に別日に猫カフェに行く約束までしているのだから、ここまでを含めて呆れてしまう。


 そんな集団とほぼ同時に月見も教室に戻ってきた。

 宗佐達は教室の前方にある扉から入り教壇を囲むようにして談笑を始め、対して月見は後方の扉から入り己の机へと向かう。


「なんだか楽しそうだね。敷島君は加わらないの?」


 俺が一角の集団に居ないことに気付いたのか、通りがかった月見が話しかけてきた。

 それに対して俺は一度教室の前方で話す宗佐達を見て、次いで肩を竦めて返した。


「さっきまで宗佐が吊られてたんだ。さすがにあれに加わる気は無いな」

「ひぇ、そんな荒々しいことが……!」

「それで今は猫カフェにいつ行くかで話してる。日付が決まれば俺にも声が掛かるだろうし、あえて今加わる必要もないだろ」

「なぜその流れから猫カフェに……!?」


 俺の説明に月見が困惑の色を示す。

 いまだに彼女は自分がモテている事に気付いておらず、己が原因で男達が嫉妬し宗佐が吊るされているとは露程も思わっていない。

 男達の嫉妬が爆発すると慌てて宗佐を案じるのだ。己が宗佐を案じることでより男達の嫉妬が増すことも知らずに。


 もっとも、いくら鈍い月見とはいえさすがに三年間も繰り返せば慣れるというもの。回を重ねるごとに落ち着くのが早くなり、心配する様子を見せるも早々と考えを切り替えるようになった。

 今も困惑の色は既に無く談笑する宗佐を見つめて「猫カフェ……」と呟いている。

 薄情とは思わない。むしろ他のクラスメイトは――宗佐に惚れている女子生徒でさえ――宗佐が攫われても一切動じなくなったのだ。一瞬とはいえ心配する月見はやはり優しい。


 そんな月見に対して「楽しみだな」と話しかければ、彼女は満面の笑みで頷いて返してきた。なんて眩い笑みだろうか。

 次いで俺の向かいに座ると携帯電話を取り出し、行く予定の猫カフェのホームページを画面に映して見せてきた。


「このふわふわの子、可愛いよね。それにこっちの子はマンチカンって言って手足が短い種類なんだよ。お店も広くて、二階と三階が繋がってて行き来できるようになってるらしいの」

「へぇ、こんな風になってるのか」


 ホームページには猫の紹介と共に店内風景の写真も乗せられている。

 カフェらしからぬ内装ではあるが、これもまた猫カフェならではなのだろう。

 あれこれと話す月見の声は弾んでおり瞳も輝いている。どうやら事前に調べているようで、それほどまでに楽しみなのだろう。当てられて俺も期待が湧き、彼女の話の一つ一つに相槌を返した。



 ところで男子生徒諸君、俺が君達の憧れの的である月見と一対一で話し、共に一つの携帯電話を覗き込み、そのうえ輝かしいばかりの笑顔を向けられているのだが、一切嫉妬をしてこないのはどういうことか。

 確かに月見は宗佐のことが好きで、俺に対しては友情のみだ。嫉妬するに値しないと考えているのかもしれないけれど。


 ……もしくは、


 ……いや、多分そういうことなのだろう。彼等の言いたいことは分かる。



 なにせ俺はうっとりとした瞳で猫を語る月見を前にしてもなお、珊瑚と一緒に過ごせることが嬉しいのだから。


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