第24話 幕間


 右を見ても親の姿無し、左も同じく。前後も同様。耳を澄ましても俺を探す声は聞こえない。

 境内の隅に一人ぽつんと立ち尽くし、俺は現状を把握すると共に盛大に溜息を吐いて肩を落とした。

 

 不服だが認めよう。

 今の俺は間違いなく迷子である。

 小学四年生にして、ついにこの日を迎えてしまったのだ。



「とうとう俺の番が来たのか……」


 呟きながら人混みを縫うように歩く。

 向かう先はもちろん迷子預かり所。迷子自ら保護を求めて訪れるのはとうてい気分の良いものではない。

 祭りの賑やかさも音楽も、今だけはまるで俺を嘲笑っているかのように聞こえてる。周囲が眩く楽しそうだからこそ余計に惨めだ。

 

 ちなみに、俺はけして自らの落ち度で迷子になったわけではない。

 今日は父さんと母さん、そして弟の健弥と来たわけなのだが、俺はちゃんと逸れないよう気を付けていた。さすがに手を繋ぐのは恥ずかしいから断ったが、それでも父さんと並んで歩き、人混みを抜ける時には人の波に流されないよう父さんのシャツを掴んでいた。

 だというのに、いったい何を見つけたのか健弥が突然走り出したのだ。――あのバカ弟!――それを父さんと母さんが慌てて追いかけ、哀れ俺は人混みに負けて彼等を追えず、今に至る。


 つまり正確に言えばこれは迷子ではない。

 『迷子になろうとしたバカのもらい事故』というところだ。


「だから家族で来るのは嫌だったんだ」


 ブツブツと誰にでもなく愚痴る。

 本当は友達と来たかったのに「危ないから」と許可してくれなかったのだ。だが確かに地元の祭りとはいえ花火まで見れば帰りは遅くなり、小学四年生の俺達に許可が出ないのも仕方ない。

 思い返せば兄貴達も小学校時代は家族と来ていたし、他の友達も同じく許可が出なかったのだから俺だけ文句を言う気はない。


 ならば何が不満なのかといえば、言わずもがな現状だ。

 危ないからと子供だけの外出を禁止しておきながら、俺を置いて健弥を追いかけ、結果的に俺を迷子にさせるのはどういうことか。家族で来てもこの様、むしろ家族と来たからこその迷子である。


 そしてなにより、今の俺の足を重くさせ、家への不満を募らせるのが……今まさに目の前にある迷子預かり所である。

 兄貴達どころか父親の代、もしかしたらそれより前からお世話になり続けている場所。

 おかげで『敷島家は必ず一人一回迷子になる』とまで言われ、挙げ句、毎年この季節になると係員のおっさん達から「今年こそ迷子になれよ三男」と声をかけられるのだ。


 俺がこのふざけたジンクスを打ち破ってやる予定だったのに……!


 そう嘆きつつも、俺は――あえて見慣れない人を選んで――係員に声をかけた。


「あの、すみません……」

「どうしたの、迷子かな?」

「俺、敷島健吾っていいます。そのうち親が迎えにくると思うんで、しばらく居させてください」


 辛い。何が悲しくてこんなに落ち着いて自ら保護申請を出さなきゃいけないのか。

 見れば預かり所のテント内は随分と騒々しく、泣き喚いている子も少なくない。いっそ俺もあれぐらい取り乱して騒いでみようか、なんて考えてしまう。

 そんな俺に対して、係員の男はしばらく俺を見つめた後……、


「敷島が来たぞー!」


 と嬉しそうに他の係員達に声をかけた。

 くそ、出来るだけうち敷島家を知らなさそうな若い人に声をかけたのに。きっと新人が来る度におっさん達が話しているに違いない。


 我が家の恥が受け継がれていく!


 そう心の中で悲鳴をあげる俺に、テントの奥から見慣れた男が嬉しそうに顔を出した。

 毎年俺にいつ迷子になるのかと聞いてくるおっさんだ。満面の笑みが恨めしい。


「よぉ三男、よく来たな!」

「歓迎するな!」

「そこらへん適当に座って麦茶でも飲んでろよ」

「保護しろよ!」

「焼きそば食べるか?」

「……食べる」


 と、この扱いである。

 誰一人心配しないし慰めもしない。それどころか家族のことやどこで逸れたかも聞いてこない。

 杜撰にも程があるこの扱いに、俺は溜息を吐きつつも空いている椅子に座った。机に置かれている麦茶とコップを取り、勝手に注いで勝手に飲む。もちろん渡された焼きそばも遠慮なく食べる。

 他所を見れば迷子預かり所だけあり泣き喚いたり不安そうにしいている子供ばかりで、一人落ち着いて麦茶と焼きそばを堪能する俺はさぞや浮いていることだろう。やっぱり少し泣いてみるべきか。


「しかし、自ら預かり所に来て大人しくしてるなんて、三男は勢いとインパクトが足らないな。本当に敷島家か?」

「迷子にそんなもん求めんなよ。そもそも俺は不可抗力で迷子になったんだ。兄貴達とは違う」

「まぁでも一人ぐらいは大人しいのが居たほうが個性があって良いかもな。迷子の対応であんまり構ってやれないけど、ゆっくりしていけよ」

「……だから俺も一応迷子だって。そもそもゆっくりしていく所じゃないだろ」


 文句を言いながらも焼きそばを食べ……ふと隣に視線をやった。女の子が泣いている。

 ピンクのワンピースにピンクのリボン。猫の描かれたハンカチをグシャグシャになるまで握りしめ、喚くでもなく静かに椅子に座り、しゃくりをあげて涙を零している。

 大粒の涙でワンピースにシミを作り「お母さん……」と掠れた声で呟く様はまさに迷子である。

 そんな迷子の女の子に、俺は麦茶を注いで差し出してやった。

 大きな瞳がパチンと瞬きをして、不思議そうに俺を見てくる。それでもコップが自分に向けられていることから察したのだろう、恐る恐るだが両手で受け取り飲みだした。


 そうして飲み干す頃には落ち着いたのか、まだしゃくりこそあげているものの女の子は深く息を吐いた。

 だが不安げな表情は変わらず、ハンカチも握りしめられてグシャグシャのままだ。


「誰と来たんだ?」

「お、おかあさ……と、そ、にぃ……」


 途切れ途切れ話す彼女の言葉は随分と聞き取りにくいが、それでも母親と兄と来たことはわかった。

 他にも、どこで逸れたのか、何時まで一緒に居たのか、聞けばちゃんと答えたり頷いてくれる。

 人語とは思えない言葉を喚き、はてには逃げだそうとする手のかかる迷子は彼女を見習うべきだ。と、いまにも走りださんとして取り押さえられている迷子を眺めて思う。


「手、繋いでたの。でも、急に知らない人がきて、ドンって、それで、ビックリして……」

「あぁ、それで手を放したのか」

「お、お母さん、もう、会えないの? おかあさんも、また居なくなっちゃうの……?」


 思い出したら不安になったのか、フルフルと震えだして再び泣き始めてしまう。

 また、ということは以前にも迷子になったことがあるのだろうか。それにしたってまるで今生の別れのような言い方は大袈裟だ。

 もっとも、そんなこと言えるわけがなく――それにもしかしたら世間一般の迷子はこれぐらい不安になるのかもしれない――俺はじっと彼女を見つめて「大丈夫だ」と告げた。

 大きな瞳が再びパチンと瞬きをし、潤んだ瞳が俺を見つめてくる。


「今日は電車で来たのか?」


 そう尋ねれば、泣いていた女の子がふるふると首を横に振る。


「車か?」


 次いで問えばまた首を横に振り「歩いてきたの」と小さくだが答えた。

 歩いてきた、ということはここらへんに住んでいるということだ。この子の徒歩圏内と考えればだいぶ絞れるはず。

 家の場所は分からずどうやってここまで来たのかも覚えていないらしいが、遠くないということが分かれば充分だ。


「よし、それなら俺に任せろ」

「……どうするの?」


 不思議そうに俺を見上げてくる女の子に、俺は安心させるためにもぐっと拳を握って宣言した。


「もしも迎えが来なかったら、歩いて来れる範囲全部の家のチャイムを押してまわって、俺がお前の家を見つけてやる!」


 そう告げれば、不思議そうにしていた女の子の瞳が丸くなる。

 俺達の会話を聞いていたのか、係員のおっさん達までもが俺を見ている。


「やっぱり敷島家だな。ピンポンダッシュ絨毯爆撃宣言したぞ」

「家を探すんだからダッシュはしねぇよ」


 俺が言い返すも、他の係員までもが「さすが」だの「血は争えない」だのと言い出した。酷いにも程がある。

 ……いや、きっとこれほど言われるくらいのことを兄貴や父さん達がしてきたのだろうけれど。

 そんなことを考えていると、さっきまで俺の提案に呆然としていた女の子が「お母さん!」と声をあげてイスからピョンと降り立った。周囲も気にせず一直線に走り、一人の女性に飛びつくように抱きついた。

 そちらもまた応えるように抱きしめ、しきりに「よかった」と繰り返している。


 なんだ、ちゃんと迎えに来たじゃないか。

 と、泣きじゃくり母親にしがみつく姿を見て思わず安堵の息が漏れる。


 そうして母親が迷子預かり所の係員と話をしている間も彼女はぴったりと母親の腰にくっつき、兄であろう男の子と手を繋いでいた。

 俺と同い年くらいだろうか、二度と離すまいと手を繋ぐ姿がまさに兄だ。彼もまた目元を赤くさせ、自分が手を放してしまったからだと妹に謝っている。


 そんな家族の姿を眺めていると、ふと彼女と目があった。

 家族と再会してまた泣いて、相変わらず目元が赤い。それでも俺と目があうと小さく手を振ってきた。

 嬉しそうに目を細めた、柔らかで穏やかな安堵の笑み……。


 それを見た瞬間どうしてか俺は心臓のあたりがギュウと締め付けられ、声をかけることも手を振り返すことすら出来ず、ただ片手を中途半端に上げるだけで精一杯だった。




 その後「三男は面倒見がいい」と言われ、俺は両親が迎えに来ても一時間預かり所に残ることになった。もちろん、泣き喚く子供達を宥めて話を聞き出す為である。

 働かせるおっさん達も問題だが、それを了承する親もどうかと思う……。そう文句を言いつつきっちり働いたのは、安堵し嬉しそうに手を振るあの子のことが忘れられなかったからだ。



 ……さすがに、翌年本気でスカウトしにきたのは怒鳴って追い返したけれど。




幕間:了



小さい頃に出会っていた、名前も知らない女の子……。という夏の思い出でした。


そして↓からは幕間のおまけ。逸れてしまった妹を探す、もう一人の男の子のお話です。(11/16追記)



・・・・・・・・・・・・・・・


 祭りの音楽も賑やかな声も今だけは耳に届かず、早く早くと焦りだけが胸に積もっていく。


 手を伸ばして木の枝を掴むもヌルリと汗で滑り、バランスを崩しそうになるのをなんとか堪えて少しずつ登っていく。早く天辺まで登らないと、そう考えて見上げるも、鬱蒼と生い茂る木は小学四年生にはあまりに高く見える。


 それでもとまたも腕を伸ばして木の枝を掴もうとした瞬間、




「ね、ねぇ危ないよ……」




 聞こえてきた声に視線を落とせば、見たことのない女の子が不安そうにこちらを見上げていた。


 ピンクの浴衣が似合っていて、とても可愛い女の子だ。思わず見惚れて……ズルと手を滑らせて木から落ちた。




「いてて……」


「だ、大丈夫!? ごめんね、私が声かけたから……」


「大丈夫だよ。そんなに高くなかったし」




 そう俺が笑って返すも、女の子は心配そうに怪我はないかと手や足を見てくれた。そうして腕の擦り傷を見つけると、まるで自分が怪我したかのような泣きそうな表情になってしまった。


 ほんのちょっとの擦り傷だ。すこしヒリヒリと痛む程度なのに。


 その反応に逆に俺のほうが慌ててしまい、大丈夫だからと必死に宥める。これじゃ立場が逆だ。


 そうして彼女が落ちついたのを見てとり、もう一度木に登ろうとし……、




「だめ!」




 と、シャツを引っ張られた。


 そりゃ止めるよね……と苦笑いで木に掛けた足を戻す。




「危ないから登らないで」


「うん、でも……」


「どうして登るの? 何かあるの?」




 女の子が背伸びをして、枝の合間を覗くように木を見上げる。


 だけど俺は首を横に振って、木には何もないことを伝えてると「探してるんだ」と答えた。




「妹がいなくなっちゃたんだ。どこにも居なくて、でも高い所から探せば見つかるかなと思ってさ」


「それで木に登ってたんだね」


「ずっと手を繋いでたのに、急に人が来てぶつかっちゃって……」




 話しながらその時のことを思い出せば、目の前がジンワリと滲みだした。


 俺が迷子になったわけじゃないのに、女の子の前なのに、泣くなんて恥ずかしいと自分に言い聞かせて乱暴に腕で拭う。それでも鼻の奥がツンと痛んで、堪えようと思えば思うほど顔が熱くなっていく。




「俺が守るって決めたのにっ……俺は、男だから……だから絶対に守るって……」




 話せば声が震えだす。そんな自分が恥ずかしく思え、もう一度目元を拭おうとし……ふわと柔らかな感触が触れた。


 驚いて身を引けば、目の前には白いハンカチ。そしてさっきより近い女の子の顔……。


 大きな瞳が心配そうに俺を見て、泣きそうな声で「こすっちゃダメだよ」と告げてくる。


 そうして擽ったいくらい優しくハンカチで拭ってくれるのだ。恥ずかしくて、なんだか心臓のあたりが苦しくなる。




「その子のこと、大好きなんだね」


「うん! 凄く可愛くて、一緒に遊ぶと楽しくて、俺の妹になってくれてすっごく嬉しいんだ!」


「それなら危ないことしちゃダメだよ。自分を探すためにお兄ちゃんが怪我したら、その子きっと悲しいと思うよ」




 宥めるように言われ、思わず俯いてしまう。


 焦って高いところならばと考えなしに木に登ってしまった。だけど確かに、それで怪我をしたら珊瑚は悲しむだろう。泣かせてしまうかもしれない。




「そうだね……俺、焦っちゃって」




 話の途中で、覚えのある音楽が聞こえて続く言葉を止めた。母さんの携帯電話の着信音だ。


 見れば少し離れた場所で周囲を探していた母さんが今は携帯電話を手に何か話し込んでいる。その表情が次第に明るくなり、俺の視線に気付くと慌てたように手を振ってきた。




「預かり所にいるって!」




 母さんが声をあげた。それを聞いて息を呑む。




 見つかったのだ。


 大事な俺の妹は、この混雑の中それでもどうにか迷子預かり所へ辿りついてくれた。


 それを思えば安堵が湧き上がり、息を吐くと共に全身から力が抜けていく。




「良かったね。早く迎えに行ってあげなきゃ」


「うん、ありがとう! そうだ名前……」




 名前を教えて、そう言おうとした俺の言葉を、突如響いた軽快なアナウンスが掻き消した。


 どうやら公園のステージでライブが始まるらしく、出演者が自己紹介すると共に客を誘う。見れば俺の登っていた木の近くにスピーカーが設置されており、そこから聞こえてくる音声は大きすぎて耳が痛くなりそうなほどだ。


 おかげで彼女の声も聞こえず、声を荒らげても通じない。それどころか、彼女の父親らしき男の人が肩を叩いて急かしてきた。もう行かなきゃ、そんなやりとりを交わしているのか二人の口元が動く。


 その間もアナウンスは続いており、長々とこの祭りの歴史を語っている。なんて恨めしい……。


 思わずスピーカーを睨みつければ、俺の腕にペタリと何かが触れた。驚いて見れば、彼女が俺の右腕に手を添えている。


 そうしてジッと見つめながら、ゆっくりと口を動かした。




『またね』




 と、そう聞こえたような気がしたが、確認する間もなくその姿が人混みに消える。


 その瞬間まるでタイミングを計っていたかのようにアナウンスが終わり、残された俺は呆然としながら、彼女が消えていった人混みを眺めていた。




 擦り傷の上に貼られた、金魚の描かれた絆創膏にそっと触れながら……。






 幕間おまけ:了


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