第36話 高校生活最後の文化祭
珊瑚の警戒も程よく解け、他愛もない話を続ける。
そんな中、室内に聞き慣れぬ音が響いた。たとえるならばテレビの電源を入れたような、バチッと何かが弾けるような音。次いでガサガサと紙を捲る音が妙に大きく、頭上から、正確に言うのなら壁の上部に設置されたスピーカーから聞こえてきた。
会話を止め、二人揃えて頭上を見上げる。それとほぼ同時に、
『ただいまを持ちまして、蒼坂高校文化祭を終了します』
少し上擦った女子生徒の声がスピーカーから流れてきた。
どうやら四時になったようだ。つまりタイムアウトである。
窓があれば――あるにはあるのだが、棚に覆われているので無いに等しい――、校舎から出て帰宅する一般来場者の姿が見えただろうか。
見えるわけがないと分かっていても窓を覆う棚を見つめていると、スピーカーを見上げていた珊瑚がこちらを向き、眉尻を下げて労わるような表情を浮かべた。
「健吾先輩、最後の文化祭なのにこんな事になっちゃって残念ですね……」
「残念?」
「そうですよ。用具室に閉じ込められて、最後のアナウンスも文化祭とは関係ない場所で聞いてるし。散々じゃないですか」
珊瑚の言う通り、高校生活最後の文化祭が『用具室に閉じ込められて終わり』というのは酷な話である。今頃あちこちの教室で無事に終わったことを喜び合う声が溢れているというのに、ここにはその声すらも届かない。
まるでこの部屋だけ切り取られてしまったかのようだ。先程のアナウンスが無ければ、文化祭が終わった事すら気付かなかっただろう。
……だけど、
「俺からしたら良い文化祭だったけどな」
「良い文化祭ですか? こんな所に閉じ込められてるのに?」
どうしてかと珊瑚が首を傾げる。不思議そうな表情だ。
それに対して、俺はじっと彼女を見つめ、
「好きな子と一緒に過ごせてるんだから、良い文化祭だろ」
そうはっきりと答えてやった。
確かに『高校生活最後の文化祭の終了アナウンスを、用具室に閉じ込められて聞く』と考えればあんまりな話だ。俺が第三者としてこの話を聞けば同情しただろう。
だが珊瑚と一緒だ。散らかった用具室で文化祭の空気は全くないとはいえ、珊瑚と一緒に終了のアナウンスを聞けた。哀れまれてもおかしくない今の状況も、俺にとっては『好きな子と二人きりで終了アナウンスを聞く』と好転するのだ。
そう説明すれば、珊瑚は一瞬きょとんと眼を丸くさせ……、
「だから、そういうところですよ……」
と、不満そうに唇を尖らせて俯いてしまった。
頬が赤くなっている。なんて分かりやすくて可愛いのか。おまけにようやく思い出したのか、「紐が!」と境界線を探し出した。
そんな彼女の分かりやすい反応を愛でようとした瞬間、バタバタと慌ただしい足音と人の声が聞こえてきた。
なんだよ、良いところだったのに。
という出かけた本音はさすがに飲み込んで扉へと視線を向ける。
声と足音はより近くなり、扉の向こうで止まると次いでガチャガチャとドアの鍵を弄る音が聞こえてきた。
誰かが入ってくる。いや、誰かというより、聞こえてくるこの声は紛れもなく……。
「宗佐!」
「宗にぃ!」
俺と珊瑚が揃えて同じ人物を呼ぶ
それとほぼ同時に扉が開き、
「珊瑚! 健吾! 大丈夫だったか!!」
と、室内に飛び込んでくるかのような勢いで宗佐が姿を現した。
◆◆◆
ナンパ男達は早々に自分達が追われていることに気付き、目立った行動は控え、賑わっている場所を選んで人込みに紛れて移動していたらしい。見つかるまいと羽織っていた上着をわざわざ脱いでいたというのだから質が悪い。
おかげで宗佐達はどれだけ探し回っても見つけられず、文化祭終了の時刻が刻一刻と迫ってくる……。
そこで宗佐がいっそ校門で待ち構えようと提案した。
「来場者が一斉に出口に向かうわけだがら、当然、出口は混雑する。そのタイミングを狙って出て行こうとするんじゃないかって思ったんだ」
「なるほど、よく思いついたな」
「遊園地に行った時、閉園時間になると出口や帰り道が混雑するからって時間ずらしただろ。あれ思い出したんだよ。そうしたら案の定、あいつら人込みに紛れて抜け出そうとしてたけど、弥生ちゃんが気付いてさ」
月見が気付き、逃げようとする二人を宗佐が取り押さえた。
そうして鍵を奪い返し、ナンパ男達は先生達に引き渡し、用具室へと走ってきたという。
宗佐が一部始終を説明し、話し終えるや「俺って冴えてるだろ?」なんてあっけらかんと笑って自画自賛をしてきた。
その口調も態度も軽い。だが額には汗が浮かび、シャツにも汗をかいた後が見える。それどころか手足に擦り傷があり、腕には絆創膏。
聞けばあまりに急いで校内を走り回ったため階段から落っこちたらしい。だが宗佐は己の怪我など気にもせず探し続けていたため、月見が案じて酷い傷には絆創膏を貼ってやった……と。
それほど必死だったという事だ。
だがそれが分かっても素直に感謝を示すのは気恥ずかしく、「相変わらずドジだな」と茶化しておいた。宗佐が俺の言葉に不満を返すが、その表情は晴れ晴れとしている。
「宗にぃ、ありがとうね」
俺とは違い、珊瑚は素直に宗佐に感謝を示した。その瞳には兄への信頼が映り、同時に、宗佐への恋心がこれでもかと込められている。
横から見ている俺としては不服だ。だが解決の決め手になったのが宗佐なのは紛れもない事実。
悔しいかな、扉を開けて現れた宗佐は俺から見ても『格好良い』と思えるものだったのだ。それが惚れている珊瑚となれば猶の事、彼女の視界ではきっと宗佐が輝いていただろう。
今回は仕方ない。そう自分に言い聞かせていると、宗佐が「ありがとうな、健吾」と俺に礼を告げてきた。
「俺? 今回、俺とくに何もしてないけど」
「いや、珊瑚と一緒に居てくれてさ。良かったよ。珊瑚一人だったら心配で扉に張り付いて探しに行けなかったかも」
だからと感謝を示す宗佐に、俺はなんとも言えず頭を掻いた。
宗佐達は学校中を探し回ってナンパ男達を捕まえてくれた。対して俺は珊瑚と一緒に用具室で座っていただけである。どちらが大変で感謝すべきかと言われれば、考えるまでもなく前者だ。
なのにお礼を言われても……、と今一つぴんとこないと首を傾げれば、宗佐が「俺、心配でさ」と話を続けた。
「母さん達に連絡して、扉の前に居て貰おうかって珊瑚に聞いたんだ。そうしたら心配かけたくないって断られて。それに……」
『健吾先輩と一緒だから大丈夫』
「って言ってて、安心してあいつら探しに行けたよ」
「えっ……?」
宗佐の話に思わず間の抜けた声をあげ、次いで珊瑚へと視線をやった。
彼女は「宗にぃっ!」と宗佐の服を引っ張って制止しようとしたが、それも敵わず、俺の視線に気付くと息を呑んだ。慌てて背けた顔が赤くなっている。
「わ、私、ベルマーク部に行かなきゃ! 給仕抜けちゃったし、皆心配してるはずだし、大丈夫だったって言っておかないと……!」
「ん? そうか。それなら帰る時に連絡を……、あ! 携帯の充電忘れてた!」
しまった! と宗佐が声をあげる。慌てて携帯電話を取り出し充電の残量に悲鳴をあげる姿は普段通りで、用具室に現れた時の格好良さはすっかりと消え失せている。
相変わらずだ。それを見ていた珊瑚が「ちゃんと充電しておいて」と言いつけ、次いでちらと俺を見上げ……、頬を赤くさせたまま「では」と小さく頭を下げて去っていった。
「……あぁ、またな」
返した俺の声が彼女に届いていたかは分からない。
それでも俺は十分で、教室に戻ろうとする宗佐の後を追った。
確かに俺は何も出来なかった。閉じ込められていただけだ。
ひとに話せばきっと「せっかくの文化祭なのに残念だった」と言われるだろう。
……だけど珊瑚と一緒に居た。彼女のそばを片時も離れずに居た。それは他の誰でも無く、宗佐ですらなく、俺だけだ。
そう考えると、俺にはやはり良い文化祭だった。
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