第33話 用具室の惨状

 


 電話を掛けて数秒後、先に繋がったのは珊瑚の方だった。

 携帯電話を耳から僅かに遠ざけているのは東雲の声量を危惧しての事だろう。事実、珊瑚が閉じ込められていることを話すや、俺にまで『実稲の珊瑚ちゃんが!!』という甲高い声が聞こえてきた。


「それでね、実稲ちゃんには宗にぃ達と一緒に、その人を探して鍵を奪い返してほしいの。……鍵だよ。用具室の鍵。手首ごと!? 物騒なこと言わないで! とにかくお願いね!」


 どうやら東雲は今回もまた暴走しているようだ。だが今はその暴走も頼りになる。

 それに珊瑚も東雲の暴走を厄介に思っているようだが、通話の終わる間際に「危ないから一人で探しに行かないでね」と忠告している。温度差はかなりのものだがちゃんと友情はあるのだろう。


 そんな事を考えていると、俺の携帯電話から聞こえていたコール音がプツと途絶えた。

 今度は俺の番かと自分の携帯電話に意識をやれば、こちらの緊急事態など想像もしていないのだろう『健吾、お前どこに居るんだ?』という間抜けな声が聞こえてきた。


「宗佐、大変なことになった」

『大変なこと? おい、どこに居るんだ?』


 俺の声色から異変を感じ取ったのか、宗佐の声が僅かに強張る。

 どうやら月見と桐生先輩も一緒に居るようで、背後の音に混ざって微かに二人の声も聞こえてきた。まとめて連絡が出来るなら手間も省ける。そのうえ木戸もいるらしい。人手は多いに越した事はない。

 そう考え、こちらの事情を説明し始めた。




「……そういうわけだから、あいつら捕まえて鍵を取り戻してほしい」


 あらかたの事を手早く説明すれば、電話先が一瞬静まり、


『分かった』


 と、落ち着き払った宗佐の声が返ってきた。

 その声はひどく淡々としている。慌てることもなく、感情を露わにすることもない。一切の揺るぎが無く落ち着いて、底冷えする程に冷ややか。

 以前に幾度か見た、家族の危機に対して静かな怒りを抱く宗佐の表情が脳裏に蘇る。

 きっと今あの状態になっているのだろう。電話口でさえ分かるのだから相当だ。


「業者がいつ来るか分からないし、それまで用具室で待機なんて冗談じゃない。それに今後の事もあるし、絶対にあの二人を捕まえてくれ」

『……あぁ、任せろ』


 返す宗佐の声は相変わらず冷ややかだ。

 芝浦宗佐という男を『女を侍らす男』ぐらいにしか思っていなければ、間違えて別の男と話していると思うかもしれない。宗佐を知っている奴でもこの変化には驚くはずだ。

 宗佐の声でありながら、纏う空気はまったく宗佐のものではない。

 だがこれもまた芝浦宗佐という男だなのだ。だからこそ俺は「頼むぞ」と一言告げて電話を切った。


「よし、後は……、何も無いな。待つだけだ」


 あらかたの連絡を終え、携帯電話を置く。

 宗佐達や小坂先生とは密に連絡を取りたいところだが、必死になってあちこちに電話をし、いざという時に充電が切れて連絡が着かない……なんて事になったら元もこもない。気にはなるが携帯電話を見るのは必要最低限に抑えるべきだ。

 珊瑚も同じことを考えたのか、携帯電話に落としていた視線を他所へ向けると一息吐いた。

 だが携帯電話を手放すことはなく、それどころか両手で握っているあたりに不安が窺える。


「心配するなって、宗佐達が動いてるから平気だろ」

「そうですね。……でも実稲ちゃんが校内で私の名前を呼んでないかは心配です」

「それは多分……平気、だと思う。……いや無理だな」


 きっと今頃東雲は校内を走り回っている事だろう。

 ……珊瑚の名前を叫びながら。


 耳を澄ませば『実稲の珊瑚ちゃんを閉じ込めるなんて万死に値するわ!』という東雲の雄たけびが聞こえてきそうだ。

 そう冗談交じりに話せば、珊瑚も幾分気が和らいだのか「変な冗談を言わないでください」と笑った。……笑ったが、一瞬静かになり視線を他所に向け、怪訝な表情で「聞こえてませんよね?」と尋ねてきた。気分は和らいだが心配は残るのだろう。

 その分かりやすい反応に笑いそうになるのをなんとか堪えれば、察した珊瑚の眉間に皺が寄る。「冗談に乗っただけです」という彼女の強がりは俺の笑いを誘うだけだ。


「そんな事より、今はこの用具室です!」

「この用具室?」


 話題変換に必死さを感じながらも、この用具室がいったい何だと周囲を見回す。……見回し、俺の眉間にも皺が寄った。

 汚い。とにかく散らかっている。

 俺と珊瑚が座っている場所こそ積まれた資料やダンボール箱が目新しく汚くはないが、少し奥に視線をやれば、劣化し変色した資料と埃が山を作っている。足元には錆びた釘が転がっているあたりが用具室らしい。


 思い返せば、技術の授業中、小坂先生がこの部屋に入りなかなか戻ってこないことが何度かあった。

 きっとあまりに散らかっていて、本人も物の場所を把握しきれていないのだろう。闇雲に漁って探し、それがまた物を乱雑させ、より見つけにくくし……、と悪循環に陥っているに違いない。

 手伝おうかという生徒の申し出を断っていたあたり、片付けないことへの後ろめたさを感じていたのかもしれない。


「今回の件が済んだら、小坂先生に用具室の掃除をさせるんです。その際には健吾先輩も部屋の汚さを証言してください」

「そうだな、この部屋はどうにかした方が良い。でもベルマーク部で掃除する羽目になるかもな」

「……覚悟のうえです」


 はぁ、と珊瑚が溜息を吐いた。なにせ小坂先生はベルマーク部の顧問なのだ。助けを求めるならば真っ先に部員に声を掛けるだろう。

 うんざりだと言いたげに珊瑚が室内を見回すも、既にその瞳には疲労の色が見える。室内の散らかり具合は相当で、これを掃除となれば考えるだけで俺まで疲れてきそうだ。


「その時には呼べよ。手伝ってやる」

「良いんですか?」

「乗り掛かった舟ってやつだな。宗佐も引っ張ってきやるからさ」


 掃除と聞いたら宗佐は嫌がりそうだが、珊瑚の為となれば一転して張り切るはずだ。

 乱雑に積まれたダンボールやあちこちに置かれた機材を見るに、男手は多い方が良いだろう。宗佐だけじゃ足りないなら木戸も引っ張ってこよう。


 宗佐が来るなら月見も呼べるかもしれない。彼女の細かな気遣いは整頓に適しているはず。

 俺の脳内で「お礼にベルマークもらえるの?」と頭上に疑問符を飛ばしながらもベルマークを受け取る月見の姿が浮かんだ。きっと貰ってもどうして良いのか分からず、不思議そうに眺め、それでも後生大事に手帳にでもしまうだろう。


 それを話せば珊瑚も想像して笑い、だがしばらくすると悩むような素振りを見せた。


「それは有難い話なんですが……」

「なんだ?」

「また何か問題が起こりそうな気がしますね」


 珊瑚の言葉に、俺もつられるように考えを巡らせ……、


「確かに、平和に片付けが終わるとは思えないな」


 思わず肩を落とした。


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