第32話 技術用具室の危機
どうやって鍵を盗んだのかと問うも、男はそこまで答える気は無いのか、珊瑚の腕をぐいと引っ張った。
彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。庇おうと手を伸ばすも、俺の手が珊瑚に触れるより先に肩を強く押された。
そのまま「お前から入れ」という一言と共に用具室に押し込まれ、次いで珊瑚が用具室内へと追いやられる。強く背を押されたため珊瑚はバランスを崩しかけ、転びそうになる彼女を慌てて受け止めるとほぼ同時に扉が閉められた。
施錠の音がする。
慌てて扉に向かって鍵を開けようとする……が、指先は手応えなく宙を掻いた。
「な、なんだよこれ! どうやって開けるんだ!」
室内側から扉の施錠を開け閉めする場合、サムターンと呼ばれる金具を操作する。だが肝心のサムターンが無いのだ。
本来あったであろう場所にそのものがない。取って外しましたと言わんばかりの跡。これでは開錠など出来るわけがない。
慌てながらも試しにドアノブを回すも、当然だが開かない。
扉の向こうからなにやらガタガタと物音がするのは、開錠しても扉を開けられないようにと机かロッカーで押さえようとしているのか。
そもそも開錠自体が出来ないのだが。それに気付いている様子はない。
「おい、ふざけんな! 開けろ! こっち鍵が壊れてるんだ!」
「窓からでも好きに出りゃ良いだろ。おい行こうぜ、こいつらが教師のとこ行く前にさっさとあの子を見つけないと」
じゃあな、と一言残し、扉の向こうから気配が消える。
それを引き留めるためドアを叩くも反応はない。誰かいないかと声を掛けても返事も人の足音もしないあたり、周囲に人も居ないのだろう。
「くそ、こうなったら遠回りだが窓から出るか……」
幸い技術用具室は一階だ。窓から外に出れば……と室内を見回し、唖然とした。
窓がない。
珊瑚が項垂れながら壁沿いの棚を一つ指さしているあたり、その裏に窓があるのだろう。
「……最悪だ」
思わず呟けば、珊瑚が「同感です」と弱々しく呟いた。
サムターンの紛失により室内からの開錠は不可能。窓からの脱出も不可能。人が来るかどうかも分からない。
この状況はまさに『詰み』だ。無造作に置かれたダンボール箱に腰掛ければ、珊瑚も疲労や困惑を露わにしながらも手頃なダンボール箱に座った。
用具室には初めて入ったが、かといってこの状況下と室内のありさまでは周囲を探る気にもならない。
壁に沿うように置かれた――そしてご丁寧に窓を覆ってくれた――棚には工具やら箱が詰め込まれ、それでは足りないとあちこちにダンボール箱や資料が散乱している。
「酷いな。ここの管理は……」
「小坂先生です」
答える珊瑚の声は随分と不満げだ。
小坂先生とは技術担当の教師で、ベルマーク部の顧問でもある。
普段から技術室を根城にしており、隣にあるこの用具室も彼の管理下だ。
つまり小坂先生は、この荒れ果てた室内と窓を覆う棚、そして扉の故障を承知で放置していた、という事になる。珊瑚が不満を抱くのも当然。
「鍵のことも用具室が汚いことも、私達いつも言ってたんです。なのに小坂先生ってば『僕しか入らないから平気だよ』って後回しにして……!」
「妹、今は怒ってる場合じゃないから、とにかく外に出ることを考えよう」
「先輩の妹じゃありませんけど、確かにここから出ないとですね」
怒りは冷めたか、珊瑚が落ち着きを取り戻しスカートのポケットから携帯電話を取り出す。
数度操作し、携帯電話を耳に当てた。通じたのか彼女がスゥと息を吸い……、
「小坂先生!!」
とお怒りの声を荒らげた。
前言撤回、怒りはまだおさまっていないようだ。
だが珊瑚が小坂先生の連絡先を知っていたのは幸いだ。聞けばベルマーク部の繋がりで連絡先を聞いていたらしい。もっとも、不満そうな珊瑚は「まさかこんな事で連絡させられるなんて」と文句を言っているが。
これならばスペアキーを持ってきて貰えば解決である。
良かった、と思わず安堵し、こちらは宗佐に注意喚起するかと携帯電話を操作する。
だがその手がピタと止まったのは、珊瑚の、
「……鍵が、一本しか、ない」
という、怒りを越えて逆に冷静になったのか随分と静かで淡々とした声を聞いたからだ。
マジかよ、と思わず内心で呟いてしまう。
『いやぁ、この間まではあったんだけど、どこかで失くしたみたいで。校内にはあると思うんだけどねぇ』
スピーカーモードに切り替えた携帯電話から、小坂先生の申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
曰く、一月ほど前に用具室のスペアキーを紛失し、予備を作ろうと考えていたところ内側の施錠が壊れたという。ならば鍵ごと新品にしようと手配をした矢先で、来週には業者が来るはずだった……と。
ちなみに残された鍵はどこに保管していたのかと問えば、『いつも肌身離さず持っていたよ』とのこと。
今まさに肌身から遠く離れているのだが。
ところで、先程から珊瑚が小声で「職員会議」と呟いているのはどういう事だろうか。
職員会議にかけられてしまえ、という事か。恨みは深そうなので自ら職員会議に掛けてやるという意味かもしれない。
聞こえているのか、小坂先生が乾いた笑いを浮かべた。電話越しで顔は見えないというのに引きつった表情をしていると分かる。
『と、とりあえず、すぐに業者を呼ぶよ。それと他の先生にも連絡をして注意してもらうように呼びかける。鍵を持って行った二人組も探すから』
「こっちも手伝ってくれそうな奴には声を掛けてみます。……あと妹を宥めておきます」
『……うん、それは是非お願いしたいな』
ひとまずそういう事でと話を終いにすれば、プツと音を立てて通話が終了した。
「業者を呼ぶって言っても時間は掛かるよな。早くて一時間ぐらいか。いっそドアを壊した方が早いかも」
「職員会議……職員会議……」
「妹、とりあえず小坂先生への恨みは抑えておけ。というか、そもそもなんでこんな事になったんだ。あいつらは……」
どうして宗佐の事を知っているのか。あいつらが口にしていた『あの子』とは……。
わけが分からないと首を傾げると、珊瑚が「遊園地ですよ」と答えた。
「遊園地で、月見先輩をナンパした人達です」
「あ……、あぁ! そうだあいつらだ!」
珊瑚の話を聞いた瞬間、俺の脳裏に先週の出来事が蘇った。
そうだ、遊園地で月見をナンパしていた二人組だ。
あの場では引いたが月見を諦めきれず、そして狙っている最中に俺達が蒼坂高校の生徒と知ったのだろう。
文化祭は潜り込み声を掛ける絶好のチャンスだ。――だから検問所の設置を!――
そして月見の事を知ろうとすれば、必然的に『芝浦宗佐』という名前も知ることになる。……同時に、『芝浦宗佐』という男子生徒が月見をはじめとする女子生徒達からモテていることも知ったのだろう。
「それで俺を宗佐と間違えたのか。何から何まで腹立たしい話だ」
宗佐を囮に月見を誘いだし、用具室で何をするつもりだったのか……。考えるだけで苛立ちが増し、みすみす逃がしてしまった事が悔やまれる。
そんな怒りを抱く俺に対して、珊瑚は深い溜息を吐いて肩を落とした。
だが今は逃げた相手に怒りを募らせている場合でもなければ、落胆している場合でもない。
そう自分に言い聞かせ、俺は再び携帯電話を操作した。
「まずは宗佐に連絡だな。あとは月見と、顔を知られてる桐生先輩にも気を付けるように言っておかないと。他に協力してくれそうなのは……。妹、東雲は今日来てるか?」
「実稲ちゃんですか? 来てますよ」
「よし、東雲にも協力してもらおう。あいつの持久力と闘争心はおおいに役立ちそうだ」
「……また校内で名前を叫ばれるのかぁ」
仕方ない、と溜息を吐きながら珊瑚が携帯電話を操作する。
それを横目に、俺も宗佐へと電話を掛けた。
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