第31話 人違いなうえに勘違い

 


 一般来場者が多く屋内屋外問わず賑わっているとはいえ、全ての教室に人がいるわけではない。

 校舎の奥まった場所は行き来の不便さもあり使われていない教室が多い。普段はそこで活動している団体も、今日だけはもっと人が来やすい場所へと移るのだ。

 技術室や技術用具室のある一帯は催しもなく、ここならばとあたりをつけて向かえば案の定、俺以外に人の姿は無かった。


「技術部があれば体験教室でもやってここも賑わったかな」


 そんな独り言を口にしながら階段に腰掛ける。

 ぼんやりと技術室を眺めていると、自然と思い出すのは去年の春の事だ。



 珊瑚と二人、技術室を見張りながらネクタイを盗んだ犯人を待っていた。

 その後に彼女の本当の気持ちを知り、次第に恋に落ちた。

 それまでもお互い認識はしていたが、互いの距離が縮まったのは間違いなくあのネクタイの一件からだろう。珊瑚にとって俺は『兄の友人』でありながらも『自分の気持ちを知る唯一の理解者』になったのだ。


 あの一件が無ければ、俺と彼女は今どうなっていただろうか。


 そんな事を考え……、


「まぁ遅かれ早かれ惚れてただろうな」


 と、あっさりと己の中の疑問に答えを見出した。


 あれ以降も俺と珊瑚は宗佐絡みの騒動に巻き込まれていたのだ。

 珊瑚の真意を知っていようがいまいが、切ない一途さに気付いていようがいまいが、俺は結果的に彼女に惚れていたに違いない。

 彼女を好きになるタイミングは一度や二度じゃなかった。惚れこんだ今ならそう思う。



 そんな事を考えて一人納得していると、背後から「おい」と声を掛けられた。

 誰だと振り返れば、一人の男が立ってこちらを見降ろしていた。

 見覚えのない男……と一瞬考え込み、はたと気付く。空き教室で遭遇した二人組の片方だ。

 不機嫌そうな表情で俺を見降ろしてくるので、ひとまず立ち上がっておく。俺のほうが背が高く、立ち上がったことで逆転した視点の高さに相手が一瞬ひるんだのが分かった。


「お前が芝浦宗佐か」

「俺が?」


 なんでここで宗佐の名前が出てくるのか。

 思わず間抜けな声を出してしまうも、それを威嚇か嘲笑とでも取ったのか、男の表情が渋くなる。

 一触即発とまでは言わずともそれに近い雰囲気を纏っており、となれば俺も愛想よく対応なんて出来るわけがない。


「知ってるぜ、女侍らせていい気になってるんだろ」

「人違いだ。それに芝浦宗佐は女を侍らせるような奴じゃない。馬鹿なこと言ってないでさっさと俺の前から消えろ」


 ついでに学校からも出ていけ、と軽く手を振って告げる。

 だがそれに対しても男の態度は変わらず、それどころか「白を切るな」と言い捨ててくる。どうやら俺を『女を侍らせている芝浦宗佐』と決めつけ、否定の言葉も誤魔化しと取っているようだ。


 いったいなんでそんな勘違いを……と思わず眉間に皺を寄せる。


 俺が宗佐で、そして宗佐が女を侍らせているだって?

 何もかも大間違いだ。

 俺は宗佐じゃないし、俺も宗佐も好きな女の子一人の心を掴むのに必死になっているのに。


「繰り返し言うが人違いだ。人違いのうえに勘違いだ。俺は芝浦宗佐じゃないし、芝浦宗佐はそんな男じゃない」

「まだ白を切るのか? お前が女を侍らせてるところ見たんだ。噂通りだな」

「……俺が?」


 いつだ? と首を傾げ、次いで「あ、」と小さく声を漏らした。


 クラスの店番をしていた時だ。

 あの時、俺は委員長から仕事を頼まれ、空き教室では備品を取りに来た西園と話をした。そのあと教室に戻ってからも再び委員長と話をし、その後に桐生先輩がうちのクラスに来てそれに応じた。

 その流れをどこかから遠目に見て、俺が女子生徒と仲が良いと、ゆえに俺が『芝浦宗佐』と勘違いしたのだろう。


 思わず脱力しかける。

 そんな俺の態度が腹立たしいのか、男が肩を殴ってきた。


「ちょっとモテるからって調子にのんなよ」

「誰が調子にのるか。そもそもモテてねぇよ。言わせんな」


 小さく舌打ちをする。何が悲しくてモテてないなんて宣言をしなきゃならないのか。

 勘違いなうえにこの扱い。よりにもよって間違えた相手が宗佐ときた。

 こんな酷い話があってたまるか。


 だがそんな脱力感を通り越して腹立たしささえ抱いていた俺の耳に、聞きなれた「健吾先輩」という声が聞こえてきた。

 こちらに来るのは、二人組の片割れの男と、男に腕を掴まれた珊瑚。


 ……そう、珊瑚だ。


 彼女はわけが分からないと言いたげに、かつ躊躇いの色を見せ、腕を引かれるままにこちらに歩いてきた。

 彼女の細い腕を男が強く掴んでいる。一目で無理やりに連れてきたと分かる光景に、俺の中に一瞬にして熱が灯った。


「おい、なにしてるんだよ! そいつを放せ!!」


 吠えるように怒鳴り付け、珊瑚のもとへと行こうとする。だがそれを止めるように目の前にいた男に肩を掴まれた。

 珊瑚を連れてきた男に至っては、彼女を放すどころか俺を一瞥すらしない。


「駄目だこいつ。あの子の居場所なんにも話さねぇ」


 吐き捨てるような男の声には苛立ちすら漂っている。

 『こいつ』とは珊瑚の事だろう。だが『あの子』とは……?

 さっぱりわけが分からない。だが俺と珊瑚に取って良くない状況なのは分かる。

 半ば睨むように珊瑚の腕を掴む男の動きを窺っていると、「そういえば」と何かに気付いたように俺を見てきた。


「今こいつのこと『健吾先輩』って呼ばなかったか? お前、芝浦宗佐じゃないのか?」

「だから違うって言ってるだろ」


 返す俺の声にも苛立ちが混ざるが仕方ないだろう。

 人違いをしているくせにこちらの話は聞かず、なにより珊瑚を無理やり連れてきたのだ。苛立つだけに抑えているのを感謝してほしいぐらいである。

 だがそんな俺の胸中と苛立ちも男達が気に掛けるわけもなく、一人は珊瑚を掴んだまま、もう一人は俺を睨み返しながら、まるで計画が潰れたと言いたげに舌打ちをしてきた。


「あー、しくったな。芝浦ってやつおさえれば簡単に女を釣れると思ったのに」

「さっさとあの子を探しに行こうぜ。こんなとこで時間潰してるあいだに他の奴に取られるかも」


 男達の会話はあまりに低俗で品性の欠片も無い。普段は友人と馬鹿話で盛り上がる俺でさえ聞いていて眩暈を起こしかねないほどだ。

 だが彼等の企みは理解出来た。『女を侍らせている芝浦宗佐』を利用しナンパでもしようと考えていたのだろう。

 馬鹿馬鹿しい、と思わず口に出かけた言葉をすんでのところで飲み込み、「もう用は無いだろ」と話を終いに運ぶ。

 さっさと開放してくれ。そうすれば今すぐに珊瑚を連れてこの場を去り、その足で教師に「変な奴等に絡まれた」と報告しにいくのに。


「馬鹿言うなよ。はいそれじゃぁご自由に、で行かせるわけないだろ。こいつらどうする?」

「とりあえず追って来れないように、ここに入れとこうぜ」


 一人がくいと顎で示すのは背後にある技術用具室。

 普段使用しない時は施錠されているはず。だがどういうわけか、男がドアノブを回すとあっさりと扉が開かれた。

 今は文化祭、不用意に立ち入らせるまいと施錠は徹底されているはずなのに……。

 珊瑚と二人で唖然としていると、男の一人が手元の鍵を指に引っかけて回し始めた。

 見せつけるような仕草。鍵がカチャカチャと高い音がする。随分と得意げな表情だ。


「まさか……盗ったのか!?」



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