第30話 本当に好きな人

 


 生徒手帳に挟んで鞄に入れたままの投票用紙を思い出し、視線を逸らして「まだ投票してない」とだけ返した。

 俺の返事に、宗佐が「まだ?」とオウム返しで尋ねてきた。


「なんだ、まだ投票してないのか。もうどっかで集計してるじゃないか?」

「別に良いだろ。たんなる人気投票だし、友情票も兄妹票もあるんだし」


 元々何かをするための投票ではなく、ただの通年行事だ。

 興味ないと言いたげな声色を繕って話せば、宗佐も納得したのか「お前らしいな」と笑った。


 ……俺らしいとは、と心の中で呟く。


 その言葉から考えるに、きっと宗佐は、俺は誰にも惚れていないと思っているのだろう。好きな人が居ないから誰にも投票しない、この隠れミスコンにも興味が無い、そう勘違いしている。

 それも仕方あるまい。元より宗佐は鈍感で、とりわけ恋愛に関しては斜め上な解釈をしがちだ。更に俺は宗佐には――むしろ宗佐にだけは――気付かれまいとしている。

 そのうえ、最近の宗佐は俺を『妹を守る兄仲間』のようなものだと思っている節がある。珊瑚に声を掛けた男子生徒を共に見張ったり、帰りの遅い珊瑚を俺に託したり。日々シスコンを拗らせ「石油王でも追い返す」と宣言しておいてこれなのだ。


 だが今あえて訂正する必要も無し。

 そう考え、俺はあっさりと自分の話を終いにした。

 友人を騙す罪悪感? そんなものは無い。


「俺のことはさておき、お前は今年も妹に投票したんだろ?」


 今年も兄妹票は健在か、と俺が呟くも、どういうわけか宗佐が歯切れの悪い返事をしてきた。

 照れ臭そうな笑みを浮かべ、雑に頭を掻く。にやけた宗佐の表情に思わず眉根を寄せてしまった。


「なんだよその反応」

「いやぁ、それがさ。今年は……弥生ちゃんに投票したんだ」

「……月見に?」

「最初は俺も珊瑚に投票するつもりだったんだ。でもそれを話したら、珊瑚が『いつまでも兄妹票なんて』って。そのうえ『ちゃんと好きな子に投票しなよ』なんて言われてさ」


 そこまで言われれば、いくら妹溺愛の宗佐だって投票先を変える。

 そもそも去年宗佐が珊瑚に票を入れたのは、珊瑚本人から強請られたからだ。妹溺愛がこれに応じないわけがなく、喜んで珊瑚に票を投じた。

 だからこそ、その珊瑚本人から『ちゃんと好きな人に』と言われれば、これもまた応じないわけがない。


 だけど、『ちゃんと好きな人』というのは。

 それを珊瑚が口にするのは、あまりに酷な話ではないか。

 だというのに、酷だと思うその理由を、むしろ酷である事実さえも、俺は宗佐には話せない。……話してはいけない。


「……そう、か」

「なんか改めて言われると照れるよな」


 月見に投票したことも、それを珊瑚に促されたことも、今こうやって俺に話していることすらも、宗佐には気恥ずかしいのだろう。

 もっとも、照れくさそうに笑いながらも表情は嬉しそうだ。


 宗佐は悪くない。ただ兄として妹を溺愛し、そして男として月見を一途に想い続けているだけだ。

 だからこそ俺の憤りは行き場が無く、胸の内に溜まり続ける。


 そんな俺の胸中など知りもしないのだろう、宗佐は気恥ずかしさが限界を迎えたと言いたげに「それでさぁ!」と話を続けた。

 明るいその声に、俺も繕うように出した声で「なんだよ」と続きを促す。


「その話をしてた時に、珊瑚が『兄妹票が無くても、私には票を入れてくれる人がいるから』って言うんだよ」

「……えっ!?」


 予想だにしない宗佐の話に、思わず声をあげてしまった。

 去年、珊瑚は『自分には誰にも投票してくれないから』と宗佐の票を強請った。だけど今年は、自分に票を投じる人がいると……。


 それはもしかして俺のことでは。

 いや、俺だ。俺に決まっている。

 つまり珊瑚は、俺の票が自分に入ると信じて、今年は宗佐からの兄妹票を断ってくれたということか……!?


「宗佐、それは俺が……!」

「珊瑚が言うには、東雲さんが『男子から投票用紙を奪い取って珊瑚ちゃんに投票する!』って言い出して強奪してるらしいんだよ。今年はついに強奪票まで加わって……ん、健吾どうした?」


 あっけらかんと話して宗佐が笑う。

 だが意気込んで固まったままの俺に気付くと、どうしたのかと不思議そうに顔を覗き込んできた。

 対して俺はと言えば、言葉の途中で動けずにいた。そりゃあもう、一瞬にしてぴしりと音がしそうなほどに固まって……。


「健吾、どうしたんだ? 何か言いかけてなかったか?」

「……いや……。なんでも、ない……」


 宗佐が尋ねてくるが、俺はそれに掠れるような声で返すのが精いっぱいだ。


 高まった期待や宗佐に話すなら今だという決意が、ものの見事に一瞬にして消え去ってしまった。



 ◆◆◆



 意気込みは空回ったもののなんとか回復し、他愛もない話をしながら行き交う人達を眺める。

そんな中、着信でもあったのか宗佐が徐に携帯電話を取り出し「あ、」と小さく声をあげた。


「母さんがどこに居るかって」

「何かあったのか?」

「携帯の充電器だ。昨日、充電し忘れてさ。持ってきてって頼んでおいたんだ。しまった、受け取るの忘れてた」

「妹に渡しておいて、後でベルマーク部に行くときに受け取ったらどうだ?」

「いや、珊瑚はもう別れたらしい。今は母さんとおばあちゃんだけ」


 どうやら母親も渡すのを忘れており、今思い出して慌てて宗佐に連絡を取ったようだ。

 二人揃えてうっかりと忘れているあたり、さすが親子である。


「おばさん、今どこに居るって?」

「グラウンド。……それで、今は健吾の家族と一緒に居るって」

「はぁ!?」


 なんで俺の家族と! と思わず声をあげてしまう。

 宗佐曰く、否、宗佐の持つ携帯電話越しのおばさん曰く、祖母と話しながら歩いていたところ、早苗さんに声を掛けられた、という事らしい。

 彼女達は顔見知りではない。だがおばさん達はクラスの店や宗佐だけではなく俺についても話していたらしいので、早苗さんが気付くのも無理はない。

 更に言えば、宗佐との付き合いは一年生の頃からで、何度も芝浦家にはお邪魔している。春には楠木荘の旅費を出して貰い、夏には泊りにも行っている。出かける際には宗佐達に便乗して俺も車に乗せてもらうことが多々あるので、声を掛け、日頃お世話に……という流れになるのも仕方ない。


 仕方ない、が、辛い。

 ここはむしろ早苗さんだけで良かったと思うべきか。いや、早苗さんだけでも辛い。

 きっと宗佐の親に会えたとはしゃいでいる事だろう。珊瑚が居なかったことが不幸中の幸いか。いや、でもやっぱり辛い。


「今から行くって言っちゃったけど、健吾どうする?」

「俺は一刻も早くグラウンドから一番遠い場所に行きたい」

「一番遠いっていうと屋上かな。とりあえず俺は行ってくる。あとで連絡するから」

「……屋上、そうだ屋上。いやでも今は解放されてないか……。となる校舎裏……でも校舎裏に行くにはいったんグラウンドの近くを通らなきゃいけない……」

「また後でな」


 逃走経路を考える俺を他所に、宗佐がひらひらと手を振って去っていく。

 その背を見届け、俺はグラウンドから少しでも遠ざかるべく校舎へと向かった。


 だが考えてみれば、グラウンドに居るのは『早苗さんだけ』なのだ。

 つまりどこかに他の家族がいる。そちらと鉢合わせるのも最悪だ。

 クラスの出し物が飲食店なだけに、去年のような『クラスの仕事があるんだ』という嘘も使えない。となれば案内を頼まれるのは火を見るよりも明らか。

 つまり今の俺に残されているのは逃げの一手である。


「とにかく人のいない場所に行こう。そこで宗佐の連絡を待って、合流したら見つからないようにベルマーク部に行くんだ……」


 算段をたて、よし、と頷く。

 そうして周囲を窺いつつ、人気のない、あまり出し物のない方へと向かっていった。


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