第28話 外堀を埋めようにも……

 


 店の運営は順調で、子供達の遊ぶ声とオルゴールの音楽、それと親達の長閑な話し声が続く。キッズスペースらしい穏やかさだ。

 それを眺めているとシャツを引っ張られた。いったい誰だと振り返れば、そこに居たのは桐生先輩。シンプルながらに清楚な雰囲気を漂わせる私服と艶のある黒髪、大人びた魅力を纏い、俺と目が合うと柔らかく微笑んだ。


「こんにちは、素敵なお店ね」


 どうやら友人と来ているようで、並ぶように二人ほど女性が教室内を眺めていた。

 彼女達も卒業生なのだろう。


「今すいてるんで、入っていきますか?」

「ここは小さな子供と親のお店だもの、遠慮しておくわ。……それに、今から隣のお店に入るの」

「……隣、行くんですね」

「自ら行くか、バニーに迎えに来られるかの二択だったの」


 肩を竦めて話す桐生先輩の声色は随分と渋い。二択を迫られ苦渋の決断だったのだろう。

 隣とは言わずもがな木戸のクラス、女装喫茶である。二年連続で通うにはきつい店だ。

 もっとも言葉では不満そうではあるが実際は満更でも無さそうで、「地獄絵図を拝んでくる」と言い切る声は悪戯っぽく楽しそうだ。友人達も笑っているし、やはり女性受けは良いのだろう。


 そんな雑談の中、桐生先輩が店内の一か所に視線を向け、穏やかに微笑んで片手を振った。

 視線の先にいるのは家族とテーブルに着く宗佐だ。桐生先輩を見た宗佐が立ち上がり掛けるが、それは桐生先輩が片手の振り方を変えて制した。


 家族と居るのだからと遠慮したのか、それとも……。


 宗佐を見つめる表情は変わらず穏やかで愛おしそうで、それでいてどことなく切なげな色もある。なぜ、などと考えるまでもない。

 胸中を察してか、友人の一人が彼女の腕をそっと撫で「行こう」と優しく誘った。


「そうね、そろそろ行かないと。木戸以外にも、あっちこっちから顔を見せてくれって誘われてるのよ」

「俺達より忙しいかもしれないですね」

「確かに、在校生の時より忙しいかもしれないわ。それじゃ、後でまた時間が出来たら遊びに来るわね。芝浦君にもそう伝えておいて。……あとついでに月見さんにも。『桐生先輩が私にだけ挨拶してくれなかった』って知ったら本当に砂になっちゃう」


 冗談交じりに告げて笑い、桐生先輩が「またね」と一言残して去っていく。

 そうして次の目的地へと向かうべく廊下を歩いていくのだが、歩き出すやいなや彼女を見つけた生徒達が駆け寄り声を掛け、中には自分達のクラスへと誘っている。

 とりわけ男子生徒は必死だ。元々彼女の親衛隊を名乗っていた奴等に至っては、久方ぶりに見る桐生先輩の姿に感動している。


 桐生先輩は男子生徒達から慕われていた。

 あの美貌と小悪魔的な性格が合わさり、骨抜きにされた男子生徒は数え切れないほど。

 それは大学に進んでも変わらないらしく、木戸がうんざりとした表情で「大学の男共が桐生先輩を狙ってる」とぼやいていた。


 そんな桐生先輩でも、たった一人を振り向かせることは出来なかった。

 恋愛とはなんて難しいのだろうか。


 そう考えると何とも言えない切なさが胸に湧く。だが今の俺以上に桐生先輩は切なく、苦しく、それを隠そうと気丈に振る舞っているのだ。

 それが分かっても、彼女の胸中を察しても、桐生先輩を慰めるのは俺ではない。彼女が何も言わないのであれば、俺は以前通り『親しい後輩』として振る舞うだけだ。『男』として接してはいけない。


 そう考え、俺は桐生先輩を見送った。


 彼女を慰めるのも、支えるのも、ましてや失恋の傷を癒すのも、俺ではない。


 ……まぁ、今のあいつはバニー衣装なのでまったくもって様にならないだろうけど。



 そう考えて桐生先輩が隣のクラスに入るのを見届ければ、数秒後、ひょこと顔を出すやわざとらしく嫌そうな顔をして中の惨状を訴えてきた。酷い有様、と言いたいのだろう。

 俺は胸に湧く切なさを押し隠し、笑って返した。



 ◆◆◆



 店の経営は順調の一言に尽きる。

 店の性質上、客の回転は遅いが、その分「長居させてもらっているから」とお客さんは料理や飲み物を多めに頼み、手土産にぬいぐるみや髪ゴムを買ってくれる。

 いわゆる『映え』を意識した撮影スペースも好評で、今まさに小さな女の子が簡易衣装をまといぬいぐるみを抱きしめ撮影会の真っただ中。そこで撮った写真を有料でキーホルダーやポストカードに加工するのだが、そちらも評判は上々なようだ。


 万事うまくいっている。

 問題なんて起こるはずがない……のだが、どうにもやはり嫌な予感は拭えない。

 どうしてか、と悩んでいると宗佐が戻ってきた。どうやら珊瑚達も休憩を終えて次に向かうようで、おばさん達がこちらに手を振っている。

 去り際の珊瑚の「宗にぃ、健吾先輩、またあとでベルマーク部でね」という言葉の可愛いこといったらない。


 ところで、クラスメイト達が俺に視線を向けながら「母親はまだしも祖母とまで顔見知りとは」だの「外堀から埋めるタイプか」だのと囁き合っているのはどういう事だろうか。

 だが気にはなるが反論も言及もするまいと己に言い聞かせ、テーブルを片付ける宗佐を手伝う。

 宗佐が居る以上、肯定も出来ないし、かといって否定する気もない。幸い宗佐には聞こえていないようだし、ここは聞き流すのが吉。


 外堀から埋める? 馬鹿を言うな。どれだけ外堀を埋めようとも、内部の一番近くに最大の恋敵宗佐がいるんだぞ。

 ……なんて、言えるわけがない。


「妹達、料理食べてどうだったって?」

「美味しいし量もあって満足だって。まぁ俺のデザートは半分近く珊瑚に食われたけどな」

「兄の宿命だな。委員長から、こっち片付けたら向こうの教室行ってダンボール片付けてこいって。あと色々と補充も」

「ゆっくりさせてもらったぶん働かなきゃな。健吾、ありがとうな。お前の義姉さんが来た時には是非とも一緒に」

「遠慮する、絶対に気を利かせるな。良いな。俺は早苗さんが来たら即座に空き教室に走るからな!」


 早苗さんの姿を見たら、否、気配を察した瞬間、俺は教室から飛び出して空き教室に籠るつもりだ。

 それを訴えれば宗佐がまったくと言いたげに肩を竦めた。なんて腹の立つ態度だろうか、気を利かせなきゃ良かった。



 そんなやりとりを交わしながら仕事をこなし、無事に店番の時間を終えた。

 幸い、早苗さんをはじめとする身内の襲撃も無く。――家族に対して失礼というなかれ。クラスメイト達さえも「あの敷島家が見られる」といつ来るかと楽しみにしていたのだ。なんて恐ろしい!――


 そうして引継ぎを終えれば、またしても自由時間だ。

 だらだらと校内を見て回る。もちろんというか今回もまたというか、宗佐と一緒に。


「珊瑚がベルマーク部に戻るまでどうしようか。行きたいところはさっきあらかた行っちゃったしなぁ」

「妹のクラスにもう一回行こうぜ。ほら、怖くないバージョンがあるって言ってただろ」

「あれは一回入ったら駄目らしい。珊瑚に『怖くないバージョンは怖いのが駄目な人の救済措置だから』って言われた」

「なるほど、そこもきっちりしてるのか」


 さすがだと呟けば、宗佐が苦笑と共に同意してきた。

 だがそうなると、いよいよをもって手持ち無沙汰になってしまう。

 友人のクラスは遊びに行ったし、友人繋がりで縁のある部活にも顔を出した。といっても俺も宗佐も部活も委員会にも所属していないため、交友関係はそう広くはない。――宗佐に限って言えば、交友関係は広くないのに学校中の男子生徒に顔が知られ嫉妬されている。なんとも奇妙な話だ――


「他に行きたいところか……」


 どこかあるか、と話しながら校内パンフレットを捲る。

 興味のある店はあるにはあるのだが、自分達よりも一般来場者に楽しんでほしいと考えてしまう。並ぶような店ならばなおさら譲りたい。

 

 もちろん、珊瑚のいる店は別だけど。


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