第26話 空き教室のダンボール

 


 お化け屋敷を出たあとは適当に校内を見て回る。

 友人のクラスに顔を出したり、呼び止められて雑談のついでに食べ物を買わされたりと、いかにも文化祭といった過ごし方だ。



「そろそろクラスに戻るか」


 通りがかった教室に掛けられた時計に気付き、隣を歩く宗佐に声を掛ける。店番交代の時間が近い。

 それを聞いた宗佐が携帯電話を取り出し、なにやら連絡を入れはじめた。曰く、自分が店番をしているタイミングで母親と祖母が遊びに来る予定らしい。


「おばさん達、もう学校には来てるのか? 来てるなら迎えに行って来いよ。遅れてもクラスの方には説明しといてやるから」

「いや、先に珊瑚のクラスに寄るって。そっち見終わって珊瑚の休憩待ってから一緒に来るらしい」

「……良いのか、あのクラスに行って」


 俺の脳裏に、先程入ったお化け屋敷の記憶が蘇る。

 呪われた廃校、そこを彷徨う血濡れの女子生徒。すべての事件は人間の薄汚い愛憎が原因で……。詳しく思い出すのはやめよう。せっかくの文化祭の晴れやかな気分が失われる。

 つまり珊瑚のクラスはどう考えても胎教に悪い。悪すぎる。内容はもちろんのこと、暗い中を心もとない明かりを頼りに歩くなんて危なすぎる。

 もし躓いたらと俺が危惧すれば、宗佐は当然だと言いたげに頷いて返してきた。


「珊瑚のクラス、中に入りたいけどお化け屋敷は怖くて無理って人が来た時用に『怖くないバージョン』があるらしい」

「あんな内容で作ったくせに優しいんだな」

「教室内の明かりを着けて、お化けも普通に挨拶しながら出てくるんだって」

「……それはそれで楽しそうだな」


 想像してみると意外とシュールで面白そうだ。

 お化け屋敷の醍醐味は殆ど失われるが、それでも内装やストーリーだけでも楽しむことは出来る。むしろ保護者からしてみたら、自分の子供の制作物をきちんと見られて良いかもしれない。

 後で時間があったら俺達も行ってみるか、と話しながら、自分達のクラスへと向けて歩き出した。




「宗佐君、敷島君。おかえり!」


 明るい声で俺達を出迎えてくれたのは月見。

 文化祭が楽しいと言葉にせずとも分かる眩しいほどの笑顔。その可愛らしさと言ったらなく、俺すらも一瞬ドキリとしてしまった。宗佐が上擦りかつ妙に大きな声で「ただいま!」と返事をしたのは仕方あるまい。

 不意打ちで好きな女の子の眩しい笑顔、それも「おかえり」の嬉しい一言付き。この破壊力は相当だ。


「珊瑚ちゃんのクラスに行ってたんだよね? どうだった?」

「えっと……」


 俺が答えていいものか、とチラと横目で宗佐を窺う。

 ここは何かしら理由を着けて俺は場を離れ、月見と宗佐の二人きりで話をさせるべきだろう。それが友人の気遣いというものだ。

 だがそうは思えども、残念ながら今の宗佐は心ここにあらずだ。先程の月見の「おかえり」という一撃がまだ効いているらしい。

 恐るべし、月見弥生。これが無自覚というのだからさらに恐ろしさが募る。


「妹のクラスは……。怖かったな、お化け屋敷としてもクオリティが高いし、廊下まで作り込んでて、製作期間ギリギリなのも納得のクオリティだった。なにより内容の心理的なダメージが半端ない。俺はたぶん三日間くらい思い出してはへこむと思う」

「そ、そんなに……!? 入れそうなら行ってみようって、麗ちゃん達と話してたんだけど……。怖いのは嫌だなぁ……」


 しょんぼりと月見が俯く。

 それを見て、俺は肘で宗佐を突っついた。いまだ心ここにあらずだった宗佐が「ぐえっ」と小さな呻き声をあげ、次いではたと我に返る。


「だ、大丈夫だよ弥生ちゃん! 珊瑚のクラスのお化け屋敷、怖くないようにも出来るんだって!」

「怖くないように? お化け屋敷なのに?」

「そうなんだ。受付の案内係に伝えれば、明かりを点けて、お化け役も怖がらせずに出てきてくれるんだって!」


 だから大丈夫だと宗佐が伝えれば、月見の表情が明るさを取り戻した。

「よかったぁ」という声には安堵の色がこれでもかと詰まっており、彼女らしくて可愛らしい。


 そんな会話を交わし、店番交代の引継ぎを受ける。

 ベビーベッドを移動させるという月見に代わるべく教室の一角へと向かう宗佐を見送り、改めて教室内を見回した。


「結構ひとが入ってるな」


 大盛り上がりの大繁盛、という程ではないが、店内の三分の二は席が埋まり程よく賑わっている。

 貸し出しベッドで眠っている子供もいるようだし、これぐらいの賑わいがちょうど良いだろう。子供の遊ぶ声と親の談笑が聞こえる穏やかな空間、まさに当初の想定通りだ。

 給仕も慌ただしさはなく、時折は子供と遊んだり話したりしている。

 ……たまに窓の外に隣のクラス――言わずもがな女装喫茶である――の奴らが顔を覗かせるのだが、それはご愛敬。とりあえず親達は気付いても楽しそうに笑っているし、子供も怖がっている様子はないので良しとしよう。



 そんな事を考えていると、通りがかった委員長が「ちょうど良い所に!」と俺にメモを手渡してきた。

 書かれているのは飲み物やら雑貨やら、それと各々の個数。きっと別教室に行って在庫を持ってこいという事なのだろう。


「よろしくね、育児大臣!」

「これに関しては育児は関係ない気がするけど」

「量が多いから、空きダンボールに入れて持って来た方が良いかも。多分いくつか転がってるはずだから適当に持ってきて。急ぎじゃないから、空のダンボール箱を片付けてきてからでも良いわ」

「転がってるダンボールを片付けてから持ってこいってことか」


 意図を汲めば、委員長がコロコロと笑う。……笑うだけで否定しないあたりに圧を感じさせる。

 もちろんそれを拒否など出来るわけがなく、俺は「いってきます」と一言告げて教室を出ていった。



 別教室とは、委員長が交渉で借りてくれた教室のことだ。荷物やら在庫やらを放り込んだ状態で、教室の扉には『関係者以外立ち入り禁止』の紙が張ってある。

 教室は誰も居らず、廊下の賑わいから一転して室内は薄暗く静まっている。


「みんな好き勝手持っていったな。ダンボールだけで何箱あるんだ」


 教室の一角には未開封のダンボールが詰まれ、空になったダンボールはあちこち雑に転がっていた。それどころかまだ一つ二つ中身の残っている箱すら適当に置かれているのだ。

 なんて適当な、と文句を言いつつ、取り残されたものを救出し、空にしたダンボールを開いていく。それを床に置き、また一つ開いたダンボールを重ねていく。


 その作業の最中ガラと音がして振り返れば、西園が教室に入ってきた。

 室内の荒れ具合を見て「酷いね」と苦笑しながらダンボールを漁り始める。


「なに探してるんだ?」

「ウェットティッシュどこか分かる? 子供がジュース零しちゃってさ」

「あぁ、それならそっちのダンボール」

「ありがとう。あ、これも空いたからよろしくね!」


 空になったダンボールを滑らせるように俺に寄越してくる。

 それを「了解」と受け取れば、出ていく間際に西園が「あ、」と小さく声をあげた。開けた扉から顔だけを出してこちらを見てくる。


「敷島、急いだほうが良いかも。珊瑚ちゃん来てるよ」

「妹? あぁ、宗佐の時間に合わせて家族と来るって言ってた」

「……芝浦に合わせて、ね。でも敷島も会いたいんでしょ?」


 にんまりと笑って、「ダンボールなんて放っておきなよ」と告げて去っていく。

 音をたてて閉められる扉に、一転して静まった教室内の空気に、そして先程告げられた言葉に、俺は一瞬呆然とし……、


「そりゃ、ばれるよなぁ……」


 と、何とも言えない声で呟いた。


 気恥ずかしい。自分の頬が赤くなっているのが分かる。誰にも見られていないと分かっていても、それを隠すために顔の下半分を覆うように手で押さえてしまう。

 それでも、珊瑚が来ているのならと急いでしまうのだ。

 メモに書かれているものを適当な箱に詰め、片付けきれなかったダンボールは邪魔にならないように隅に寄せておく。これならば「全部片づけずにあえて・・・残しておいた」とでも言い訳できるだろう。


 そんな事を考え、あれこれ詰め込んだダンボールを担いで教室を出ようとし……、


「……うわっ」


 扉の前に立つ二人組の男に驚き、思わず声をあげた。



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