第23話 終わりの時間

 

 天辺を越えると遠ざかっていた眼下の景色が次第に近付き、ゴンドラは乗り場へと戻っていく。

 ガゴンッと大きな音をたてて一度揺れたのはレールに乗り上げた衝撃だろうか。次いで待ち構えていたスタッフが扉を開け、足元に気を付けて降りるように促してきた。


 木戸がまず最初に降り、俺が続く。

 その間もゆっくりではあるがゴンドラは常に動いており、そして段差もある。

 振り返って「ほら」と片手を差し出せば、珊瑚は一瞬目を丸くさせ、次いで僅かに頬を赤くさせながらおずおずと俺の手に己の手を重ねた。それを支えに彼女もゴンドラから降りる。


「……ありがとうございます」

「いや、別に……」


 気恥ずかしい空気を感じながら観覧車の出口へと向かう。

 もちろん珊瑚は既に手を放してしまっているが、俺の手にはまだ彼女の手の感覚が残っている。握るとも掴むとも違う、ただ重ねるだけの、なんとも言えない擽ったい感覚。


 だけど二人きりになれなかったんだ、これぐらいしても良いだろう。

 幸い木戸も俺の行動には気付かなかったようだし。


 そんな言い訳を自分の中で考えつつ外へと出れば、少し肌寒い風が頬を掠めた。

 まだ冬とは言えない時期だが、夜になれば冬の気配を感じ始める。もっとも、寒いというほどの風ではなく、むしろ今の俺には心地良いぐらいだ。


「あら、三人で乗ってたの?」


 とは、先に降りて出口で待っていた桐生先輩。

 彼女の隣には当然だが宗佐の姿もある。二人とも以前と変わらぬ態度だ。

 俺達が三人で出て来たことに気付くと不思議そうにしていたが、それに対して答えるより先に、俺達の背後から月見がぬっと現れた。珊瑚に身を寄せ、それだけでは足りないと腕に抱きつく。


「……珊瑚ちゃん、もう放さないからね」


 その悲痛な声と言ったらない。

 それほど寂しかったのか。……いや、実際に寂しかったのだろう。イルミネーションに興味が無く、一人の静かな時間を日々渇望している俺でさえ、あの状況下に陥ったら寂しさに負ける。

 そんな月見に腕を取られた珊瑚はと言えば、彼女の寂しがりようを笑い「月見先輩が病んだ!」と冗談めいた悲鳴をあげている。


「月見さん、一人だったのね……。もはやさすがと言えるレベルだわ」

「てっきり珊瑚達と一緒に乗ったんだと思ってた。弥生ちゃん、大丈夫だった?」


 宗佐に気遣われ、月見が若干項垂れながらも頷く。

「珊瑚ちゃん達が話をしてくれたから」という弱々しい声。これには見兼ねたのか、抱き着かれていた珊瑚が月見の腕を擦って宥め始めた。

 二人の姿はまるで姉妹のようだ。……珊瑚が姉で、月見が妹、だが。


 そんなやりとりの中、「ところで」と桐生先輩が話を切り替えた。


「観覧車を待ってたら結構遅くなったわね。これだと全部見て回るのは無理じゃないかしら」


 この遊園地は広く、そしてイルミネーションは全てのエリアで行われている。足早に進めば閉園時間内に見て回れるだろうが、眺めながらでは間に合わない。

 桐生先輩の話を聞き、俺はポケットに押し込んだままの園内マップを取り出した。


「それならメインを見に行きますか。たしか観覧車全体が見れる大通りが一番飾りつけも派手って書いてあったような……」

「それが一番だと思うの。でも、私限定の飲み物を飲みたいのよ。ジェットコースターの方にある広場が海を模した飾り付けになっていて、そこで売られてるの」


 これ、と桐生先輩が携帯電話を俺達に見せてきた。

 その画面には青色の飲み物が映っている。ブルーハワイらしき鮮やかな青、光る氷が入っており、イルカの形を模したクッキーも添えられている。

 まさに海だ。これを海をイメージしたイルミネーションの中で飲めば、さぞや雰囲気があるだろう。


 だが売られている場所はメインである大通りとは離れている。

 ならば皆でこちらに……と言い掛けるも、桐生先輩がそれを遮るように「だから」と話を続けた。


「皆はメインの方に行ってくれる? 私、この飲み物を買って写真を撮ってくるから」

「……桐生先輩」

「時間もそう無いし、出口で待ち合わせしましょう。出口にカフェスタンドがあったから、そこでどうかしら」


 同意を求めてくる桐生先輩に、俺達はなんと返すべきか分からず誰もか一瞬言葉を詰まらせた。

 それを察したか、もしくは俺達に気遣わせるまいと考えたのか、俺達より先にまたも桐生先輩が話し出した。今度は木戸の腕をぐいと掴んで。


「そういうわけだから、行くわよ」

「えっ……、お、俺、ですか?」

「そうよ。私一人じゃ危ないでしょ、ナンパされたらどうするの。それにこの飲み物、綺麗だけどアイスドリンクなの。でも私の体温は今ホットコーヒーを求めてるのよ」


 寒いから飲みたくない、だけど写真には撮りたい。

 だから写真を撮って木戸に押し付けるつもりなのだろう。返事などろくに聞かずに木戸の腕を取り、「そっちの写真も撮っておいてね」と俺達に告げると歩き出してしまった。


「あの、桐生先輩っ……」


 咄嗟に声を掛けたのは宗佐だ。

 引き留めるような声に、俺の隣にいた月見が僅かに肩を震わせたのが気配で分かった。

 だけど今の俺には月見を気遣う余裕も、ましてや静かにやりとりを見守る珊瑚を気遣う余裕も無い。ただじっと宗佐を見つめた。


 宗佐と桐生先輩が観覧車でどんな会話を交わしていたのか、俺には知る由もない。

 だけどもしも桐生先輩が想いを告げていたのなら、宗佐がどう返したのかは想像できる。


 宗佐は馬鹿で鈍感で、これだけ複数の女の子から想いを寄せられているのに、どういうわけかさっぱり気付いていない。

 だけど他人の気持ちを無下にする男ではない。気付いていないだけで、知ればちゃんと受け止め真摯に向き合う男だ。


 嘘も誤魔化しも無く。はぐらかすような真似もせず。

 正直に、真っすぐに、想いを告げてくれたことへの感謝を示し……、そして、月見以外からの告白は、それこそ月見と双璧を成すほどの魅力を持つ桐生先輩の告白であっても、断るのだ。


 それが分かっているからこそ、俺は心の中で「行くな」と宗佐に告げた。

 いま桐生先輩の隣にいるべきはお前でも俺でもない。俺達に出来るのはただいつものように振る舞って見送るだけだ。

 俺が言わずとも宗佐も分かっているのだろう、一瞬の間を空けた後、宗佐はいつも通り――そして少しぎこちなく――笑った。


「暗いから気を付けてくださいね。また、あとで……」


 追いかけず、見送りの言葉だけを告げる。

 その言葉を聞き、桐生先輩が目を細めて穏やかに微笑んだ。



 ◆◆◆



 メインになっている通りの飾り付けはより美しく、イルミネーションで輝く木々が並ぶ光景はまさに絶景。

 更にその道の先では観覧車が輝いており、夜の空に浮かぶ大輪、それが光り輝く様は『綺麗』という表現では足りないほど。


「凄いな、これは圧巻だ」

「……そうだな。圧巻過ぎて珊瑚と弥生ちゃんの足がまた止まってる」

「待ち合わせ時間までに出来て一往復ってところか」


 イルミネーションの美しさに見惚れ、またも珊瑚達の足取りは遅くなっていた。

 うっとりとした表情で一歩進み、次の一歩でほうと吐息を漏らし、更に一歩進んで……と思いきや、立ち止まって携帯電話で写真を撮る。


 そんな遅々とした歩みの二人を眺め、俺達もゆっくりと進む。

 その最中にちらと横目で宗佐の様子を窺った。

 宗佐の瞳はこの美しい景色の中においても月見へと向けられている。イルミネーションよりも月見が綺麗だと言いたげに。


 これこそすべての答えだ。

 観覧車に桐生先輩と乗り込み二人きりで過ごそうと、そこで何かを言われたとしても、宗佐は変わることなく月見だけを見つめているのだ。



 ◆◆◆



 閉園時間になるとシャトルバスは混み、そのうえ車で帰る客とも被るため道も渋滞する。時には倍以上の時間が掛かるという。

 それを避けるため閉園時間より少し前に遊園地を出れば、退園ゲートの横にあるカフェスタンドに桐生先輩と木戸の姿があった。

 二人は俺達に気付くと軽く手を上げ、飲み終えたカップを店員に戻してこちらに近付いてきた。


 シャトルバスに乗り込み、来た道を戻る。

 時間をずらしたのが幸いし、シャトルバスも待つことなく乗ることができ渋滞も免れた。

 電車の中では携帯電話で撮った写真を見せ合い、あれが綺麗だったこれが素敵だったと盛り上がる。


 宗佐はまだ少しぎこちなさが残っていたものの、対して桐生先輩は普段と全く変わらぬ様子だ。

 これが覚悟の上で挑んだ女性の強さというのなら、そこも含めて木戸が惚れこんだのも頷ける。


 そんな事を考えながら、もうイルミネーションの明かりすらも遠く見えなくなった外の景色を眺めた。


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