第9話 隣り合うクラスの温度差
『去年と同じ催しを行う』という木戸の話は、根本的にはおかしいわけではない。
蒼坂高校は三年間通してクラス替えはなく、当然だが文化祭は同じ顔触れで取り組む。去年の客入りが良かったというのだから、ならば同じメンバーで今年も同じ趣向をと考えるのは至って普通の事である。
俺達のクラスだって、もしも体育館使用権を得られていたらまた舞台をやっていたかもしれない。今年はさらに磨き上げてよりレベルの高いものを、ノウハウも分かっているのだから一から始めるより効率的でもある。
だがいかんせん女装喫茶だ。
極めたところで女装喫茶なのだ。
考えるたびに俺の脳裏に去年の光景が蘇り、木戸を直視できなくなる。
あのバニー姿は酷かった……。というか、なんでバニーだった当人は堂々として、給仕された俺がダメージを残しているのだろうか。
「……色々と言いたいが、ひとまず話を進めるためになるほどと言っておく。で、なんでお前は追いかけられたんだ?」
記憶の中のバニーはなんとか打ち消し、無理やりにでも本題に戻る。
そもそもの発端は木戸が追いかけられてきたことだ。
それを本人は「文化祭」と話していたが、それだけでは説明になっていない。女装喫茶は確かに地獄絵図ではあるが、去年好評という実績があるのだから追いかけられる理由にはならないだろう。
「さっきも言ったが、今年の俺達のクラスは女装喫茶を極めることにした。となれば当然、去年と同じものを提供するわけにはいかないだろ」
「まぁそうだな。そっくり同じものじゃ用意してても面白く無いし」
「そこで俺も考えたわけだ。去年と同じバニーは着られない……、つまり俺もバニーを極めるべきだと。で、男全員で去年よりバージョンアップした衣装を提案したところ、俺を含めた十人が風紀委員にアウトを喰らって追いかけられた」
去年より過剰な衣装を提案したところ風紀委員が切れた。その瞬間に逃げ出し、途中で木戸は俺達の教室に逃げてきた……という事らしい。
一部始終を説明し終えた木戸がわざとらしく額の汗を拭った。逃げだすのが一瞬でも遅かったら捕まっていたと真剣な顔付きで語るが、蒼坂高校の文化祭的には捕まってしまった方が良かったのではなかろうか。
「聞いた俺が馬鹿だった」
「なんだよ失礼だな。そこまで言うって事は、敷島達のクラスはさぞや立派な店なんだよなぁ?」
言及してくる木戸の声色は随分と恨めしそうだ。尚且つ意地の悪い笑みを浮かべているあたり、俺達が何を言っても揚げ足取りをするつもりなのだろう。
普通の飲食店ならば「つまらない、面白みがない」、舞台なら「そっちだって去年と同じじゃないか」と、こんなところか。
それに対し、俺は宗佐や話を聞いていた他のクラスメイトと顔を見合わせ、今年俺達が予定をしている飲食店を説明してやった。
「え、なにそれ……そんな優しさで溢れた店の隣で、俺達は女装を……?」
いったい自分達は何を、と木戸が言葉を詰まらせた。
確かに隣り合う教室で行うにはあまりに温度差がある。
片や子供を休ませるキッズスペース、片や地獄絵図の女装喫茶。落差を感じるのも当然。
配置が自由であったなら両端に置かれていただろう。
「といっても、俺達が得意げに語ったところで、ぜんぶ月見の提案だけどな」
「月見さんか、さすがだな。あまりに清らかで我に返りかけた。俺達のクラスのスローガンは『我に返ったら負け』だからな」
「それもどうかと思うぞ」
呆れたように告げれば、木戸が危なかったと言いたげに深く息を吐いた。どうやら我に返りはせずに済んだらしい。
……それは果たして彼にとって正解なのだろうか? だが二年連続で女装喫茶なんてやるには、これぐらいの吹っ切れた覚悟が必要なのかもしれない。じゃないと精神がもたない。
そんな事を考えていると、ふと木戸が俺の手元に視線を向けてきた。
次いでニヤリを嫌な笑みを浮かべる。
そのうえさも今気付きましたと言わんばかりに「おっと」とわざとらしい声をあげた。
「悪い、大事な話をしてたところに割って入ったみたいだな。続けてくれ」
片手をあげて白々しい仕草を見せてくる木戸を、思わず睨みつけてしまう。
内心では「せっかくうまいこと話題を変えられたのに」と文句をぼやいていたのだが、当然だが声に出せるわけがない。
木戸が教室に逃げ込んでくるまで、俺達は何の話をしていたか……。
それを思い出し、宗佐が「そうだ!」と声をあげた。
「健吾、それでお前誰に投票するんだ?」
「くそ、覚えていたか。宗佐のことだからてっきり忘れてるかと思ったのに……」
「さすがに俺でもそれだけの記憶力は持ってるからな」
宗佐が恨めしそうに俺を睨み、改めて「で、誰なんだ?」と詰め寄ってきた。どうやら軽口でも誤魔化されてはくれないようだ。
さて、どうするか……。
さっきは場の空気に当てられ『宗佐の目の前で珊瑚の名前を書こうか』なんて自棄になったような事も考えたが、さすがに今は落ち着いた。
……落ち着きはしたが、それでもという考えもある。
「なぁ宗佐。もしも、仮にもしもの話、俺がこの用紙に……」
『芝浦珊瑚』と名前を書いたら、お前はどう思う?
そんな問いを口にしかけ……、「なんでもない」と首を横に振って誤魔化した。
もしも俺が珊瑚の事が好きなんだと打ち明ければ、宗佐は真剣に聞くだろう。――その際にはきちんと「恋愛感情として」と伝えないと、また妹として欲しいだ何だと勘違いしそうだが――
宗佐は馬鹿で鈍感だが真面目で真摯な男だ。他人のことを自分のこと以上に大事にする。
妹溺愛ゆえに直ぐには受け入れ難く悩むかもしれないが、それでも俺の気持ちが本物だと分かれば、蔑ろにも否定もせず、きちんと受け入れてくれるはずだ。
そして珊瑚の幸せを考える。
目の前の友人は珊瑚を幸せに出来るのか、彼女を一番に幸せに出来るのは誰か、どんな男が適しているか……。
……だがけして、宗佐がどれだけ考えようとも、珊瑚と生涯を添い遂げ彼女を幸せにする相手候補に『芝浦宗佐』の名前は挙がらない。
それは分かっている。当然だ。そこまでは兄の役割ではないし、そこまで兄が出張るのはもはや家族仲とは言えない。
宗佐はあくまで『珊瑚の兄』でしかないのだ。……宗佐の中では。
だが珊瑚は違う。
違うからこそ、想い人である宗佐が『自分以外の誰が珊瑚の恋人に適しているか』を考えれば、彼女が傷つかないわけがない。
だから、と俺は出かけた言葉を飲み込んで、白紙の用紙を生徒手帳に挟むと雑に鞄にしまい「誰でも良いだろ」とあっさりと言い切った。
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