第8話 平和な学校の逃亡者

 


 この慌ただしさはいったい何事か。

 それを問おうとするも、木戸は俺と宗佐がいる机の合間に座り込み、覗き込もうとする俺達に対して「見るな!」と手で払う仕草をしてきた。


 まさに『追われて身を隠している』といった様子だ。


 だが蒼坂高校は平和な学校で、喧嘩や物騒な事件は滅多な事では起こらない。

 ……ちなみに、宗佐絡みの騒動は許容範囲内なのでノーカウントとする。これらを物騒な事件としてカウントしてしまうと蒼坂高校は修羅の学校だ。


「突然どうした、何かあったのか?」


 こっちを見るなと言われたので顔だけは宗佐に向けつつ、横目で木戸に視線を落として問う。

 だが木戸が返事をするより先に再びバタバタと足音が聞こえ、男子生徒が数名、教室内に入ってきた。


「今誰か逃げ込んでこなかったか!?」


 教室内に響く声に、残っていた生徒達が何事かと視線を向ける。

 どうやら誰かを……というか、さきほど教室前を通り過ぎていった数人と木戸を追いかけているのだろう。よっぽどの事らしく、一人が「俺が見て回る」と仲間に告げて教室内に入ってきた。告げられた男子生徒達は一人に託し、他を探すために去っていく。


 彼等のやりとりはまるで刑事ドラマでも見ているかのようだ。

 机の間に隠れていた木戸が表情を渋め、「誤魔化せ」と小声で命じてきた。


 だが何一つ分からないのにどう誤魔化せというのか。

 さてどうしたものか、と俺が悩んでいると、宗佐が何かを思いついたのか「木戸君なら見たよ」と声を掛けた。


「本当か? どこにいる?」

「ここには居ないよ。ついさっき見かけたんだ……、なぁ健吾」


 ぎこちないながらも宗佐が俺に同意を求めてきた。

 なるほど、あえて木戸の名前を出したうえで、ここには居ないと嘘を吐く作戦か。下手に知らぬ存ぜぬを貫いて教室内を探し回られるより良い。

 宗佐にしては珍しく頭が回る、そう心の中で褒め――俺の中では褒めた部類である――、視線を向けてくる宗佐に頷いて返し、二人揃えて教室前でじっと見つめてくる男子生徒へと視線を向けた。


「宗佐の言う通り、木戸なら見た。足音がするから誰かと思って教室を見てたんだ、そうしたら……」


 途中まで説明し、宗佐と一度チラと目配せをした。

 互いの意思は通じ合っている。一年生の春からほぼ毎日のように顔を突き合わせて共に過ごしているのだ。今更打ち合わせも言葉も不要。

 そう考え、俺と宗佐は同時に口を開き……、


「木戸が廊下を走ってきて、教室に入らずに通り過ぎていった」

「木戸君が教室に入ってきて、ベランダに出て他の教室に行ったよ」


 ……。

 …………。


 思わず顔を見合わせてしまう。


 しまった、真逆の事を言ってしまった。

 これは訂正せねばと、改めて二人揃えて教室前の男子生徒に向き直る。


「悪い、勘違いしてた。木戸は教室に入ってきて、ベランダに出て他の教室に行ったんだ」

「ごめん、間違えた。木戸君は廊下を走ってきて、教室に入らずに通り過ぎて行ったよ」


 ……。

 …………。


 またも宗佐と顔を見合わせる。

 どうにも意思が合わないとお互い眉根を寄せ、もう一回チャレンジ……しようとしたところで廊下から声が聞こえてきた。

「こっちに居るぞ!」という応援を呼ぶ声。どうやら彼等が追っている他の男子生徒が見つかったようだ。

 その声に俺達を訝し気に見ていた一人も応じ、「邪魔したな」と告げてそちらへと去っていった。最後まで刑事ドラマのようではないか。


 だがなんにせよ、この場はやり過ごせたようだ。

 宗佐と同時に安堵すれば、俺達の机の合間に身を隠していた木戸がゆっくりと立ち上がった。


「お前達、なんだよあの息の合った息の合わなさは……」


 呆れた声で告げる木戸に、俺と宗佐が再び顔を見合わせる。

 なんだよ、と言われても……。


「所詮は高校からの仲だし、こんなもんだろ。なぁ宗佐」

「あぁ、腐れ縁って言おうにも腐る程の期間でもないしな」

「それを息の合ったやりとりで言われても……。まぁ良いか、助かったのは事実だし。ありがとうな」


 命拾いした、と物騒なことを話して木戸が空いていた一脚に腰を下ろす。


「そもそもなんで逃げてたんだ?」

「文化祭だ」

「文化祭? なんで文化祭で逃げ回ることになるんだよ」

「去年俺達のクラスが何をやったか覚えてるか?」


 説明を求めたというのに逆に問われ、それでも促されるまま去年の文化祭を思い出し……、思わず眉間に皺を寄せた。

 俺の記憶に、去年の木戸のクラスの出し物『女装喫茶』の光景が蘇ってしまったのだ。あまりに陰惨な絵面すぎて記憶の奥底にしまい込んでいたのに……。

 どうやら宗佐も思い出してしまったようで、眉間に皺を寄せて苦虫を噛み潰したような顔をしている。見た目はまさに爽やか好青年で人当たりの良い宗佐にしては珍しい露骨な表情だが、こうなってしまうのも仕方ない。それほどの惨状だったのだ。


 そんな俺達の表情から思い出したと察したか、木戸が一人納得したかのように頷きだした。

 落ち着き払った表情だが、どうしてあれほどの醜態をさらして堂々としていられるのだろうか。不思議でならない。


「あの女装喫茶が売上良かったのは知ってるよな。終日大盛況、客入りは飲食店部門で一番かもしれないとまで言われていた」

「不思議でならないが、確かに常に満席だったらしいな。地獄絵図のくせに」


 思い返せば、俺と桐生先輩が店に行った時も満席状態で、それどころか店を出る時には廊下で待っている客もいた。

 そのあと俺は体育館に移動し騒動に巻き込まれて代理王子……と木戸のクラスを気に掛けている場合ではなかったが、後日聞いたところ、あの後も店は大盛況だったという。


 まったく理解できない、と断言すれば、話を聞いていた宗佐や他のクラスメイトも頷いてきた。

 宗佐達は店にこそ行っていないが後日写真を見たらしく、うちのクラスの男子生徒はこぞって「俺達の教室の隣にこんな魔境が……」と呟いていた。――対して女子生徒は楽しそうに写真を見て、行けばよかったとまで言っていた。これは男女の差だろうか――


 だがそんな去年の話をどうして今……と考えた瞬間、嫌な予感がした。


「まさか、お前達のクラス……」

「あぁ、今年も女装喫茶だ。せっかく客入りが良かったんだから、下手に趣向を変えず、むしろ極めようということになった」

「どうしてそうなる……!」


 あの惨劇が再びと考え、思わず額を押さえた。



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