第6話 俺が君を……

 



 ある程度の予定を立て、後ほど宗佐が月見を誘って日程を決めようと結論付けた。


「それじゃ、またね」


 あっさりとした別れの言葉を告げて桐生先輩が屋上の出入口へと向かえば、当然のように木戸が後を追う。

 ギシと音を立てて扉を開け、二人が屋内へと入っていく。

 ちなみにその際に交わされた、


「桐生先輩、校門までお見送りします」

「結構よ。……ところで、なんであんた私が高校に来ること分かってたの。さすがに門で待たれてた時は引いたわよ」

「いやぁ、それはあれです。あ、足元気を付けてくださいね」


 という会話は、まったくもって二人らしい。


「そ、それじゃ……。後で弥生ちゃんを誘っておくから。……さ、誘えたら連絡するから!」


 二人の後に続く宗佐がぎこちない言動をしているのは、言わずもがな月見を誘う事への緊張からである。

 下の名前で呼び合う仲になってしばらく経つが、まだ誘いの第一歩は緊張するようだ。――もちろん今回も人のいない場所で誰にも聞かれないように誘えと言っておいた――



 そんな面々を見届け、俺も屋内へ戻ろうかと考え……、

 ふと、珊瑚が一人立ち尽くし歩き出そうともしないことに気付いた。

 見つめているのは遊園地のチケット。男子生徒から譲り受けたものだ。二枚しか無いが、結果的には大人数で行くことになった。


「……どうした、妹?」

「なんでもありません。それに先輩の妹じゃありません」


 俺が声を掛ければ、珊瑚はツンと澄ましてそっぽを向いてしまった。


「結局大人数になったな。まぁ、大人数といってもいつものメンバーだけど」

「誰のせいですか。……でも、みんな別に気にしなくても良いのに」


 手にしていたチケットを見つめ小さく溜息を吐く珊瑚に、俺はなんと返すべきか悩みながら彼女を見た。

 困ったように眉尻を下げて、それでも苦笑を浮かべている。そこにはやはり男子生徒に対する怒りや不満はない。

 彼女が言う『気にしなくても良いのに』というのは、手にしているチケットと、そして大人数で行くことになるまでのやりとりだ。

 あの時、咄嗟に宗佐は珊瑚と行くことを提案し、それに俺が割って入り、桐生先輩と木戸が続いた。


 それを珊瑚は自分が傷ついているからと、慰めるために名乗りでてくれたと考えたのだろう。

 友人である東雲を誘いだすためのダシにされた自分を……。


「あんなの今に始まったことじゃありませんよ。いつもの事です」

「いつものって……」

「宗にぃの周りは特別可愛い女の子がいっぱいですからね。みんな高嶺の花ってやつです。でも男の子達はどうにかして近付こうとする。……その手段が、宗にぃにも宗にぃの周りにいる女の子にも近い私なだけですよ」


 珊瑚の口調はあっさりとしている。己の事ながら淡々と話し、そのうえ意地悪く笑うと「協力なんてしてあげませんけど」と冗談めかして言い切った。

 彼女が時折見せる、第三者のような態度。

 誰より宗佐の近くに居ながら、そして自分もまた宗佐を恋慕いながら、それでも一歩引いた態度を見せている。

 まるで『自分は違う』と周囲に訴えるように。……そして同時に、なにより、『自分だけは同じであってはならない』と己に言い聞かせているように。


 それは『慣れ』なのか、それとも『諦め』なのか。

 そんな珊瑚の様子を窺っていると、彼女は一度深く息を吐いた。


「……誰も私のことなんか見てないんです」


 覇気の無い、かといって悲痛そうな色も無い、落胆の色すら無い声。

 きっと今まで何度も他の女の子との仲介役を負わされていたのだろう。淡々と話し慣れたと言い切り、それどころか「協力なんてしてやらない」と冗談交じりに言い捨てるぐらいなのだから、その回数は俺の想像を超えるかもしれない。

 それを思うと、もっと早く出会えていればと胸が痛む。


 ……痛む、のだが。


「お前……、それをよりにもよって俺の前で言うかぁ!?」


 と思わず本音の方が先に出てしまう。


 仕方ないだろう、なにせ俺は珊瑚に告白したのだ。

 過去に色々とありその果てに達観しているのだとしても、告白してきた相手を前にして「誰も自分を見ていない」は無いだろう。

 他の誰でもなく、目の前にいる俺こそが珊瑚しか見えていないというのに。


 思わず唸るように訴えれば、予想外だったのか珊瑚はきょとんと眼を丸くさせて俺を見上げてきた。――この反応も俺に失礼だ――


「そ、そんな事言われても……。これは今までの数年間の積み重ねなんです……」

「そうか、それなら今の言葉はあれで最後だな。これからは俺が見てる」


 はっきりと告げれば、珊瑚は何かを言いかけ……言葉が見つからないのか俯いてしまった。

 その頬が徐々に赤くなっていく。先程までは自分の事すら冷静に話していたというのに、途端に感情を隠しきれず、視線が俯くだけでは足らないと泳ぐ。


 そうして最後に「……もう言いません」と呟くと、次にはパッと顔を上げ「この話はお終いです!」と無理やりに話を終いにしてしまった。

 照れ隠しなのだろう。チケットを雑にスカートのポケットに戻す仕草も些か荒い。


「そもそも、せっかく宗にぃと二人で遊園地だったのに、健吾先輩が割って入ってきたから大人数になっちゃったんですよ」

「そう、それだ」

「……それ?」

「俺は別に宗佐が『兄妹仲良く遊園地に』って言い出した時点では構わなかった。お前達兄妹が仲が良いのなんて今更なことだろ」

「そうですけど……」

「だけどその後だ、その後の妹の発言が問題だ」

「……私の発言?」


 自分の発言を思い出そうとしているのか、珊瑚が首を傾げる。


 あの時、まず宗佐は『兄妹仲良く二人で遊園地だ!』と言っていた。それ自体は俺も構わないと、むしろ相変わらずの妹溺愛だと眺めていた。

 ……だけど問題はその後だ。

 珊瑚は宗佐の提案を受け、桐生先輩に対して牽制しだした。

 その際に言ったのだ。


『二人仲良く遊園地。これはまるでデート!』


 そう、はっきりと。

 だろう? と俺が同意を求めれば、珊瑚は首を傾げたままそれでも同意を返してきた。


「確かに、そう言いましたけど……」

「言ったよな。だから俺は割って入ったんだ。『兄妹仲良く遊園地』なら良いけど、目の前で『遊園地デート』なんて宣言されて見過ごすわけにはいかないだろ」


 はっきりと言い切れば珊瑚はまたも目を丸くさせた。

 次いではっと息を呑むと小さく肩を震わせ、胸元に両手をやったかと思えばそわそわと当てもなく動かしだした。

 明らかに落ち着きを失ったと分かる動作である。動揺がこれでもかと見て取れる。


「デートって……別に、ただ桐生先輩相手に言っただけですよ。宗にぃだって『兄妹デート』って言ってたし、誰も本気になんて取ってないじゃないですか」

「俺は本気だと思った」


 珊瑚の言葉にはっきりと返してやる。

 桐生先輩に言った言葉は、いつもの『ブラコンの妹』として振る舞うための言葉だ。桐生先輩はもちろん宗佐だってそう思っている。

 だが珊瑚の真意は違う。一人の女の子として、芝浦宗佐という一人の男に恋をしているのだ。


 俺だけはそれを知っている。


 ……知っている、が、それはそれとして、俺は芝浦珊瑚という一人の女の子を一人の男として恋しているのだ。

 だからこそ、あの瞬間、珊瑚が「デート」と口にした途端に堪らず割って入った。


「宗佐への気持ちが本物だって知ってるけど、俺だって本気なんだ」


 そう告げれば、珊瑚が言葉を詰まらせた。

 彼女の頬が再びみるみるうちに赤くなっていく。


「そ、そんなこと言われても……。だから、そういうのは『待つ』って言わないんです。健吾先輩は一度、辞書で『待つ』って言葉を調べるべきです!」

「残念だが、俺の辞書では『待つ』と書いて『返事は待つがそれはそれとして俺は譲らない』と読むんだ」

「『待つ』の二文字にそこまでのポテンシャルはありません!」


 俺の言葉に珊瑚が喚いて返す。

 もっとも喚いてはいるものの相変わらず頬は赤く、そのうえ、俺がじっと見つめて返すとついにはふいと他所を向いてしまった。

 拗ねるような表情も反応も、俺にとっては可愛らしく見える。

 もっとも、


「その余裕の態度が腹立たしいので、さっき貸した古典の教科書返してください」


 催促するように手を出されれば、これにはさすがに謝るしかない。

 だが謝っても聞く耳持たずで、それどころか「ん!」と手を揺らして催促してくる。

 随分とご機嫌を損ねてしまったようだ。まずいと慌てて謝罪を繰り返し、この話は終わりにしようと歩き出す。


「ほら、次の授業が始まるから行くぞ、妹」

「……先輩の妹じゃありません」


 珊瑚の視線はじっとりと恨みがましく、声色も渋い。いつもの応酬では誤魔化されないと言いたいのだろう。

 俺はそれに気付かない振りをして、「置いていくぞ」と告げて屋内への扉を潜った。

 ご機嫌斜めな珊瑚がそれでも俺の後を追ってくるのが足音で分かる。そのうえ「待ってくださいよ」とまで言って来るのだ。

 あれこれ言いながらも着いてくる彼女が可愛く、思わずにやけそうになるが、さすがにこれは堪えておいた。



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