第4話 誘いたいのは……

 



 片や苗字を、片や下の名前を。

 ばらばらの呼び方をしてはいるが、二人が揃えたように挙げたのは一人の女子生徒だ。


 東雲実稲。

 蒼坂高校の二年生、珊瑚の友人。


 いったいどうして今この場にいない東雲の名前を、と考えた瞬間、俺の胸が一瞬にしてざわついた。

 いや、でも、まさかそんなこと……。

 そう俺が心の中で困惑の声をあげるのとほぼ同時に、珊瑚がもう一度確認するかのように、それでいて何がとまでは問わず、「実稲ちゃん?」と尋ねた。

 問われた男子生徒が気恥ずかしそうに頭を掻く。はは、と誤魔化すような乾いた笑いに、俺の胸中がより一層のざわつきを覚えた。荒いブラシで心臓を撫で上げられたような、どうしようもない不快感がこみ上げる。


 駄目だ、それ以上先を言うな。この会話に東雲は関係無いだろ。

 いや、東雲の名前が出ること自体は良い。珊瑚は東雲と仲が良いのだから『誰か仲の良い友達を誘って』と提案され、東雲の名前を挙げること自体はおかしな話ではない。仮に共通の友人であったなら猶更だ。

 珊瑚に片思いをしている俺からしてみればけして気分の良い話ではないが、それでも『もしかして』と浮かぶ最悪な事態よりはマシだ。


 だけど……。


 不快感を胸に抱きながら待つ俺の耳に、男子生徒が少し照れ臭そうに笑う声が聞こえた。

 次いで「そうなんだよ」というあっけらかんとした声。


「俺、東雲さんの事が好きでさ。東雲さんって誰が誘っても断るって言われてるから、どうしようか考えてたんだ。でも芝浦さんとはいつも仲良くしてるから、芝浦さんから誘って皆で……って事にしたら来てくれるかなって思って」

「そっか……。いつも実稲ちゃんに声掛けてるもんね。事務所のファンクラブにも入ってるんだよね」

「そこまで知ってたの? いやぁ、なんか恥ずかしいなぁ」


 気恥ずかしそうに笑って男子生徒が頭を掻く。

 それに対して珊瑚は困ったように笑うだけだ。手渡されていたチケットに視線を落とすが、横顔からはどんな感情を抱いているのかは伺えない。


 俺の心臓が締め付けられるように痛む。

 この場を覗いてしまった事への罪悪感と、それ以上の怒り。

 二人の間に割って入って、男子生徒を殴りつけてやりたい。


 今すぐに『違う』って言え。さっきの発言を撤回しろ。

『本当は芝浦さんを誘いたいんだ』と、『東雲さんでも誰でも良いから』と。なんだったら『本当は芝浦さんと二人で行きたいんだけど』と……。

 それは俺にとっては好ましくない発言だが、それでも珊瑚の気持ちを考えれば望んでしまう。


 だがそんな俺の願いが届くわけがなく、珊瑚はあっさりと「残念だけど」と男子生徒に告げた。


「実稲ちゃん、しばらく忙しいから無理だと思うよ」

「え、そうなの?」

「ファンクラブに入ってるなら知ってると思うけど、ドラマの仕事が決まったでしょ? あれの撮影がずっとあって、ドラマの宣伝でテレビとかイベントもあるんだって」

「あー、そうなんだ……」

「今回のドラマ、良い役で出番が多いらしいの。だから予定の無い日も役作りとか練習したいって言ってたから、遊びには行けないと思う」


 そう告げて、珊瑚が手にしていたチケットを男子生徒に返す。

「友達と行きなよ」という言葉はあっさりとしており、そこには悲観する色も無ければ、嘆く色も、ましてやダシにされたと怒る色も無い。


 ……まるで慣れたと言いたげな、元より期待などしていなかったような声色。


 彼女が手にするチケットが風に揺れる。

 さすがにそれは受け取れないと考えたのか、男子生徒は所在なさげに頭を掻き「あげるよ」と告げた。


「貰ったのは本当なんだ。家にもまだ何枚かあるし。だから、その、変なこと頼もうとしたお詫びってことで」

「別に、私は気にしてないけど」

「いや、本当にごめん! ……それで、この話なんだけど」

「大丈夫、誰にも言わないよ」


 言われずとも分かっている、と言いたげな珊瑚の言葉に、男子生徒が露骨に安堵の表情を浮かべた。

 珊瑚をダシに東雲を誘おうとし、それが失敗に終わり、そうして周囲にこの事が知られたらと案じたのだろう。


 蒼坂高校には見目の良い女子生徒が多く、彼女達を慕う男達は殆どが徒党を組み、抜け駆け禁止を鉄則としている。公的なファンクラブに入っているのなら尚更、規律を破るリスクは大きいのだろう。

 それを抜きにしたって、女子生徒内でこの話を言い触らされたら己の評価が落ちるのは火を見るよりも明らか。


 それを危惧するのは自分勝手が過ぎる。

 だがその態度にさえ珊瑚は憤る様子もなく、それどころか再びチケットに視線を落として「ありがとう」なんてお礼を言っている。


「そういう事なら、口止め料って事で貰うね」

「あぁ、そうしてくれ」


 これで解決と考えたのか、男子生徒が声色を明るくさせる。

 そうして「それじゃあ」と話をしまいにすると、屋上を去るべくこちらへと向かって歩き出した。

 慌てて宗佐と共に身を引っ込めれば、幸い気付かなかったのか、男子生徒はギィと軋んだ扉を開け、そこを潜ると屋内へと戻っていった。


 残された珊瑚はそれを見届け……、


 一瞬なにかを見つけたかのように目を丸くさせ、次の瞬間には表情を険しくさせてこちらへと歩いてきた。

 眉間に寄った皺、鋭い眼光、大股で荒い歩み。彼女の怒り具合が一目で分かる。

 先程ダシにされた時でさえ怒る素振り一つ見せなかったのに、途端に怒りのオーラを全身に纏いだした。その変わりようはまさに『一転』という表現がよく似合う。


 それほどまでに、いったい何に怒っているのか……。

 言わずもがな、壁に身を寄せて覗き見をする二人組である。……つまり俺達だ。


「やばいぞ宗佐」

「あぁ、これは気付かれたな」


 逃げよう、とほぼ同時に退路を探そうとする。

 もっともすぐさま、


「宗にぃ! 健吾先輩!」


 という叱咤の声に、逃げるのは無理かと大人しく珊瑚の前に姿を出した。



◆◆◆



「なんですか、覗き見なんて失礼な!!」


 お怒りな珊瑚を前に、俺と宗佐は先程同様、並んで叱られていた。

 屋上で好きに過ごしていた生徒達もさすがに怪訝そうにこちらを見てくる。……視線が痛い。


「でも珊瑚、いくら学校内とはいえ、可愛い妹が男に声を掛けられたら兄として心配するのは当然で」

「宗にぃは黙って!!」

「だけどな妹、屋上なんて人の少ない場所なんだ、そこに誘われるのを見過ごせるわけが」

「健吾先輩も黙ってください!!」

「それにあの男、珊瑚を利用して東雲さんを誘い出そうとしてたじゃないか。あんなの珊瑚に失礼だろ」

「だから宗にぃは黙ってて!」

「宗佐の言う通りだ。いくら東雲が応じてくれそうにないからって、妹を経由するなんて卑怯だろ」

「だから健吾先輩も……、もう! 片方が怒られたら片方が許されるわけじゃないのに、変な連携を見せないでください!!」


 憤慨する珊瑚に怒鳴られ、俺も宗佐も思わず「「はい」」と揃えて弱々しい返事をした。

 それでも珊瑚の腹の虫は治まらないようで、眼光鋭く俺達を睨みつけ、更にはまったくと言いたげに怒り冷めやらぬ大きな溜息を吐いた。

 次いで彼女の視線がふいに逸れる。向かう先は俺達……より少しずれている。


「まったく、覗き見なんて……。桐生先輩と木戸先輩まで」

「「え?」」


 俺と宗佐が同時に間の抜けた声をあげ、珊瑚の視線を追うように振り返った。


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