第20話 帰り道と手の中の余韻


 


「あのヒューっと上がってバーンとなってジュワって落ちてくる花火が一番綺麗だったなぁ」

「お前、その語彙力は受験生としてどうなんだ」


 駅への道を歩きながら興奮気味に花火の話をする宗佐に、隣を歩きつつ思わず冷ややかな視線を送ってしまう。

 俺達の後ろでは珊瑚と月見が顔を見合わせ、月見は「綺麗だったね」と宗佐に同意し、対して珊瑚は「宗にぃは花火を見る余裕はあるの?」とシビアな一言を放っている。これぞまさに飴と鞭。

 宗佐は月見に対して同意を得られたと喜ぶも、その後は珊瑚の発言に対してグヌヌとおかしな呻き声をある。

 最後に乾いた笑いを浮かべて手にしていた飲み物を煽るように飲み干したのは、この飴と鞭に対してうまい返しが見つからなかったのだろう。あきらかな誤魔化しではあるが、どうやら女性陣にはその無様な姿が可愛くさえ見えるようで、珊瑚までもが愛でるような苦笑を浮かべている。

 その光景は相変わらずで、俺は溜息と共に肩を竦めた。


「でもごめんね、駅まで送ってもらっちゃって。遠回りになっちゃったよね」


 ふと会話が途切れたタイミングで月見が謝罪をしてくる。

 といっても声色には申し訳なさそうな色は無くむしろ明るい。「まだ一緒に居られるのが嬉しい」と表情が物語っており、思わず苦笑を漏らせば宗佐が当然だと言いたげに頷いた。


 確かに当然だ。

 祭りの帰りで人が多いとはいえ、遅い時間に月見を一人で帰らせるわけにはいかない。駅周辺はまだ明るく地元の駅からは親が迎えに来るらしいが、それまでは暗い道が続く。とりわけ着物姿の月見となれば、祭りで気分が浮かれた者や酔っ払いが放っておくわけがない。

 だからこそ全員で駅まで送ろうとこうやって歩いているのだ。夏の熱っぽい風が心地良く、それでいて男女に分かれて歩くこの並びがもどかしい。


 余所を見れば夏祭りで気分の盛り上がった男女がくっついて歩いており、その光景に羨ましさすら感じてしまう。きっと以前の俺だったらカップルに対して「よくまぁ暑い中でくっついていられるもんだ」と呆れすら感じただろうに、この心境の変化は我ながら驚きである。

 だがそんなこと言い出せるわけがなく、当たり障り無く普段通りの会話を盛り上げながら駅へと向かった。



◆◆◆



 そうして月見を駅まで送り、再び来た道を戻り新芝浦邸へと向かう。

 普段は旧芝浦邸に帰宅する珊瑚も今日は新芝浦邸へと帰るのだという。といっても二つの家は並んでおり、どちらも珊瑚の家である。新旧どちらに帰るのも彼女の自由だ。


「向こうのお風呂、壊れてるんです」

「あぁ、そうなのか」


 つまり新芝浦邸で風呂に入って、旧芝浦邸へ戻るということなのだろう。

 珊瑚の話になるほどと頷く。そういったイレギュラーが起きた際には、独立した二つの家が並んでいるのは大いに利点となるだろう。


「向こうのお風呂は古いから、そろそろ壊れるだろうなと思ってました。女子高生の身を清め続けたので風呂界の名誉ある殉職ですね。二階級特進です」

「家庭用風呂が二階級特進するとどうなるんだ?」

「露天風呂です! ……でも自宅のお風呂が露天風呂ってどうなんでしょう」


 以前に行った楠木旅館のような自然に囲まれた風情ある露天風呂ならまだしも、芝浦家は住宅街の中にある。そこに露天風呂など周りから覗いてくれと言っているようなものだ。

 ふむと真剣な顔付きで検討しだす珊瑚に、思わず笑いそうになってしまった。いったい何を馬鹿なことを。

 この話には宗佐も「家の風呂が露天風呂なのは困る」と笑っているが、せめて三階建てにして屋上に……と、なぜか具体的な案を出してきた。


 珊瑚の話に俺達も乗って笑う。

 極自然な、いつも通りのやりとりだ。何かを感じさせるような素振りも無ければ緊張感も無い。



 だけど俺の手には、小さく柔らかな手の感触が残っている。


 まるで俺の片手だけまだ花火の時間に残されているかのようだ。



 そんな不思議な感覚を覚えながら、それでも話を続けながら新芝浦邸へと着いた。

 実際に露天風呂に改装するかのように話を続ける珊瑚と宗佐に、俺も呆れ交じりに茶々を入れる。そうすれば二人は楽しそうにさらに話を盛り上げるのだ。まるで俺まで兄妹になったかのような気分になる。


「そうだ、風呂入る前に健吾のパジャマ持ってくる。俺のシャツと中学の頃のジャージで良いよな」


 家に入るなり、宗佐が靴を脱ぎ棄てるようにして自室へと走っていった。

 廊下からは「おかえりー」とおばさんの声がして、次いで風呂の準備が出来ている事を教えてくれる。

 それに対して珊瑚が返事をし……、


 次いで、静まった廊下に何とも言えない空気が漂った。

 先程まで楽しそうに話していた珊瑚が途端に俯いてしまう。ちらと横目で俺を見上げてはすぐに逸らしてしまう視線は物言いたげで、それでいて何も言わないでくれと願っているかのようにも見える。

 一瞬にして変わってしまった空気に、俺の片手に残っていた感覚がより強く蘇った。


 あの時間も手に残るこの感覚も嘘ではなかった。

 花火が終わる瞬間まで、最後の大掛かりな花火が夜空を覆いつくしそれが闇夜に消えていくまで、俺の手はずっと彼女の手を握っていた。珊瑚は手を振り払わずにいてくれたのだ。

 それは紛れもない事実で、だからこそ二人きりになるや珊瑚は視線を逸らしている。


「あー、えっと……」

「わ、私、お風呂一番に入ります!」


 沈黙に耐え切れなくなったのか、珊瑚が声をあげると同時にパタパタと廊下を走っていった。

 ちょうど階段から降りてきた宗佐に対しても「私いちばん!」とやたらと声をあげて告げる。それに対して宗佐が「えぇ!?」と不満の声をあげた。

 夏の夜特有のじんわりと掻いた汗、抜けきれない熱気とベタつきは誰もが不快に思うもので、今すぐにでも風呂に入りたいのは皆同じだ。……もっとも、珊瑚が一番を名乗りあげて浴室へと向かっていったのは、早く風呂に入りたかったからだけではないのは分かっている。

 

「やられた……。珊瑚は宣言したら勝ちだと思ってるんだ」


 ずるいよなぁ、と宗佐が手にしていたシャツとジャージを俺に渡しながらぼやく。

 その態度はまさに『妹に出し抜かれた兄』といったもので、同時に『妹に強く出られない兄』でもある。兄妹らしいと思わず笑い、出し抜かれた二人でリビングへと向かう。

 それと同時に風呂場の方からシャワーの軽快な音が聞こえてくるのだから、俺と宗佐が顔を見合わせて肩を竦めた。


 そうしてリビングへと入った次の瞬間、勃発したじゃんけんが白熱したのは言うまでもない。

 もちろん順番決めである。珊瑚には譲ってやるが、宗佐相手だとそうはいかない。俺だってさっさとシャワーを浴びてさっぱりしたい。



 そんな互いの快適さを掛けた真剣な勝負じゃんけんの結果、宗佐がうんざりとした表情で、


「そうか、健吾は一分一秒でも長く俺が汗でベタついていることを望むんだな」


 と恨めしそうに言って寄越すのは、言わずもがなじゃんけんの結果で俺が二番目に風呂に入ることになったからだ。

 それにしたって気持ちの悪い恨み言ではないか。これには深く言及せず、「俺、長湯だから」と追撃を放つだけに止めておいた。



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