第19話 夏の花火

 


 階段を昇りきれば開けた場所に出た。といっても境内や下にある公園とは比べられるものではなく、一角だけ整備されているといった程度だ。

 普段から人の出入りが少ないのか端々では草木が茂り、中央には古めの小屋が建っている。和風の家屋のような造りの小屋だ。


 この小屋は以前は町内会の集まりをはじめ頻繁に使われていたらしいが、境内近くに新しい小屋を設けてからは使用されていないという。平時は閉鎖し、夏祭りや催事の時のみ開放しているらしい。

 だが使わなくなったとはいえ手入れはされているようで、古めかしさこそあるもののボロ小屋というわけではない。

 そのなんとも言えない雰囲気は、たとえばこれが肝試しであればなかなか恐怖を誘うものだが、対して今夜のような夏祭の夜では風流な趣を感じさせる。


 そんな小屋の一角、縁側にあたる場所に宗佐達の姿を見つけた。

 のんびりと座っていた二人がこちらに気付き、楽しそうに笑って手を振ってくる。

 それを見てシャツを掴んでいた珊瑚がそっと手を離した。彼女の手が放れていくのは寂しくもあるが、今はそれを気にするまいと自分に言い聞かせ、軽く手を上げて宗佐達のもとへと向かう。


「よぉ健吾、おつかれさん。迷子は見つかったか?」

「敷島君、大丈夫だった?」


 二人並んで座り、片や軽く笑い、片や労いの声を掛けてくる。

 それに対して俺は「捕獲は完了した」と冗談を交えながら粗方の事情を説明し、縁側の一角に腰掛けた。珊瑚も俺に続くように月見の隣に座り「あれは確かに捕獲という表現でした」と楽しそうに話しだす。

 甥っ子の活発さを話されるのは恥ずかしいが、下手に止めれば話題が預り所の件に変わりかねない。それだけは避けなければ。



 そうして縁側に一列に並んで座り、祭りのことや夏休みのことを話す。

 奥に宗佐が座り、その隣に月見、珊瑚、俺と順で並ぶ。先程のレジャーシートと同じ並びだ。縁側には他の客も座っており、俺達同様に初めて案内されたのだろう、こんなところがあったのかと話している声が聞こえる。

 それにつられ、俺も周囲を見回した。


 さすが宗佐が『とっておきの場所』とまで言うだけあり人は少なく、店が並ぶ境内や公園とは違って落ち着いた空気が漂っている。

 きっとここを知っている人は誰もが穴場と考え、むやみに触れ回ることはせず招きたいと思った人だけを連れてきているのだろう。


「ここらへんはてっきり立ち入り禁止かと思ってた。なぁ、月見」

「うん、私も宗佐君・・・が階段昇り始めたときビックリしちゃって、何度も大丈夫なのか聞いちゃった」


 苦笑しながら月見が話せば、宗佐もまた二人でここに来たことを思い出しているのだろう「そういえば」と楽しそうに話に乗る。


弥生・・・ちゃんが虫を見て悲鳴をあげてさ、俺は虫じゃなくてその悲鳴に驚いたよ」


 笑いながら話す宗佐に、月見は途端に恥ずかしそうに俯き「だって急に飛んでくるから……」と弱々しく訴えた。

 それは他愛もない雑談で、花火開始を知らせる音楽とアナウンスが流れた途端に誰もが話を止めてしまう程度のものだ。

 アナウンスが終わっても話の続きをすることもなく、ただ夜空に花火が上がる瞬間を待ち構える。


『宗佐君』

『弥生ちゃん』


 と、二人の呼び方の変化に俺は気付いていても何も言えず、ただ夜空を見上げるふりをして横目で珊瑚の表情を窺った。


 彼女の瞳は何も語らず暗い夜空をじっと見つめ、そして花火が打ちあがると、色とりどりの光を瞳に写しだした。

 その横顔は綺麗で、そしてどこか物悲しい。

 他でもない珊瑚が宗佐と月見の変化に気付いていないわけがなく、だからこそ夜空に灯る花火だけを見つめているのだ。気付いてもなお何も言えず、むしろ何も言うなと自分を律しているかのように。

 それでも月見から「綺麗だね」と話しかけられれば楽しそうに笑って返し、ひときわ大きな花火が上がると周囲と揃えたように「わぁ」と小さく声を漏らす。


 ただ時折ふっと視線を泳がせて何もない空を見上げるのは、胸の内の感情を抑えきれずにいるからだろうか。

 細められた目、ほんの一瞬だけ見せるその横顔は今にも泣きだしそうで、俺はせめて彼女の意識を逸らさせてやれるようなことを……と話しかけようとし、グイと反対隣から押された。


 隣に座っているカップルがこちら側に寄りたがっているらしい。

 花火が見えにくいのだろうか、軽くとはいえ押してしまったことを謝ってくるカップルに対し、少しだが詰めてやろうと珊瑚達の方へと寄り……。



 俺の手が、珊瑚の手に重なった。



「……っ!」


 思わず派手に息を呑んでしまう。隣に座っていた珊瑚の肩が小さく震えたのが視界の端に見えた。

 だが手は硬直したかのようにそのままで、ピッタリと珊瑚の手に重なり合ったままだ。小さくて柔らかく、そして少しだけ熱い彼女の手の感触に、俺の心臓が跳ねあがる。


 放さなければ。

「悪い」って謝って、今すぐに手をどけなければ。


 夏の熱気と歩き回ったことで手に汗をかいているかもしれないし、多分いまの俺の手は緊張で熱くなっているはず。それに俺と珊瑚の間には飲み物が置かれているため、俺が彼女の手を放さなければお互い飲み物が取れない。宗佐と月見に見られる可能性だってある。

 なにより、珊瑚は宗佐のことが好きで、告白したからといって俺がこうやって触れて良いわけがない。宗佐の代わりにはなれないと言われ手ではなくシャツを掴まれたばかりではないか。


 だけど、


 放したくない。



 そう心の中で呟いて、俺は重ねていた手を……そっと握った。

 隣で小さく息を呑むのが聞こえ、俺の手の中で細い指がピクリと跳ねるのが伝わってくる。

 だけどそれに対して気遣ってやれる余裕はなく、ただ「逃げないでくれ」と心の中で願いながら手が震えそうになるのをぐっと堪えた。


 花火の音がどこか遠くに聞こえる。

 目の前では鮮やかな花火が、それこそまさに眼前と言えるほどの大きさで打ち上げられているというのに、頭の中には一切入ってこない。

 かといって珊瑚の様子を窺えることなど今の俺に出来るわけがなく、熱気に当てられじわりと首筋に伝う汗を拭うこともせず、ただじっと、まるで見惚れているかのように夜空とそこに浮かぶ花火を見上げていた。



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