第18話 手の届く手を繋がない距離



 幸い珊瑚も機嫌を直したようで、彼女の歩幅に合わせて階段を昇る。

 聞こえてくる喧騒や音楽が遠ざかっていき、立ち止まって振り返れば祭りの明かりが眼下に見えた。

 もっとも、高い山を登ったわけでも無ければ遥か彼方というわけでもない。階段を昇った高さはせいぜい建物四階か五階程度で、距離に至ってはまだ境内の域を出ていない。

 それでも不思議なもので、ガラリと変わった周囲の空気からか、一歩離れただけでまるで別世界のように思える。


「なぁ、本当にこっちで……」


 こっちで合ってるのか、と、そう尋ねようと珊瑚の方へと向けば、彼女は数段下で足を止めていた。


「疲れました」


 しょんぼりと項垂れている。


「……体力なさすぎだろ」

「だって、ここ普通の階段と違って昇りづらいし、段差も少し高いし……。それに、どこぞのお子様の相手をしていて疲れちゃったんです」

「申し訳ございませんでした」


 先程の会話に続いてまたも平謝りである。今日はまったくもって分が悪い。


 だが確かに、子供の相手をすると通常の比ではない疲労を感じる。それが活発な小学生男児なら尚の事。

 普段から双子を相手にしている俺でさえ、こういった行楽の場でテンションの上がった奴等を相手にするのは骨が折れるのだ。片割れとはいえ、子守り慣れしてない珊瑚には相当疲労を招くものだったのだろう。

 だからこそ項垂れ疲労を訴える珊瑚に対し、俺は階段の先に灯りが点っているのを見つけて「あと少しだ!」と励ましてやった。


 出来ることなら背負ってしまいたいくらいだ。もちろんそんなこと出来るわけがないのだが……。

 いや、過去に一度、背負うどころか抱き上げたことはあるけれど。



 そうして疲労困憊といった珊瑚の訴えと俺の励ましが続き、一歩一歩と階段を登っていく。

 数段先に進んで振り返りゆっくりと昇ってくる珊瑚を励まし、彼女が追いつくとまた数段先へと昇る。俺からしてみればこの程度の階段ならば休むことなく、それどころか駆け上がっても苦では無いのだが、疲れている珊瑚にとっては長く険しい階段なのだろう。

「エスカレーターなら良いのに」とぼやいているが、その光景を想像したのかすぐさま「無いですね」と首を横に振った。

 確かに、人気のない神社の細道に突如エスカレーターが現れたら雰囲気が壊れるどころの話ではない。どこに連れていかれるのか怖くなりそうだ。



 そんな雑談交じりのため進みは遅いが、このさい動いてくれるだけでマシだ。

 そう考えて遅々とした進みながらに階段を昇っていると、珊瑚が小さく呟いた。


「昔は、宗にぃが手を繋いで引っ張ってくれたんです」


 懐かしむような口調に、数段先に進んでいた俺は足を止めた。

 彼女の瞳が階段の数歩先を見据える。……俺ではなく、かつてそこにいた宗佐を見つめるように。


「……そうか」

「私いつも階段の途中で疲れちゃって……。そうしたら、宗にぃは『仕方ないなぁ』って笑って、手を差し伸べてくれるんです」


 以前に宗佐から、夏祭りは家族と来ていたが、ここ数年は花火の時間帯は珊瑚と二人で過ごしていると聞いた。

 つまりこの階段を二人で昇ったのだ。いつまで手を繋いでいたのか分からないが、もしかしたら去年だって……。

 


 毎年一緒に過ごしていた夏祭り、手を繋いで昇った階段。

 それが今年は違う。

 ……いや、『今年は』ではなく、きっと『今年から』だ。



 その変化を受け入れ、それでも目の前をまるで宗佐が居るかのように見つめる珊瑚に、俺は一瞬ためらい……、


 手を差し伸べた。


 珊瑚が驚いたように目を丸くさせ、彼女の瞳がようやく俺を見つめる。



「行こう。上で宗佐が待ってる」

「え、でも……」

「今は、……今だけは、俺が宗佐の代わりに手を引いてやるから」


 だから、と促せば、珊瑚の表情に困惑の色が浮かぶ。


 彼女の中で宗佐は唯一の存在だ。その代わりになんてなれるわけがない。

 それは俺も分かっているし、そもそも『宗佐の代わり』なんてなる気はない。

 だけど今は別だ。珊瑚は疲れていて階段を昇るのは辛そうだし、その疲労の一端……いや、結構な割合の原因は敷島家にある。

 それに花火まであと僅か。急いで駆け上がる必要はないが、さりとてここで休憩している時間は無い。


 なにより、今珊瑚の目の前に宗佐は居なくとも、階段を昇った先で待っているのだ。

 だからこそ、今だけは『宗佐の代わり』として手を引こう。


 そう告げれば、珊瑚が困惑したままじっと俺と、そして差し伸べた俺の手を見つめた。


「でも……」


 と呟かれた声は弱々しい。


 仮にこれがまだ『兄の友達』と『友達の妹』でしかなかったら、きっと珊瑚は平然と俺の手を取っていただろう。

『それじゃ、おねがいしますね』と気軽な声をあげ、それどころか俺に手を引かれつつ『花火が始まっちゃう!』と急かしてきたかもしれない。それに対して俺も文句を言いながら手を引っ張り、階段を昇りきるや何事も無く手を放し、ここまで連れてきてやったことを宗佐に労われるのだ。


『兄の友達』と『友達の妹』だったなら、そんなやりとりもあっただろう。


 だけどもう違う。俺達は『兄の友達』とも『友達の妹』とも違う。

 だからこそ珊瑚は悩み、そして躊躇いながらゆっくりと手を伸ばし……、


 俺の手を、ではなく、シャツの裾をぎゅっと掴んだ。


「……ん?」


 ぐいとシャツを引っ張られ、俺は手を差し伸べたまま視線だけを下に落とした。

 珊瑚の手が俺のシャツを掴んでいる。それも割としっかりと。そのうえ俺が呆然とその光景を見つめていると引っ張ってきた。


「……連れていってください」

「ん? あ、あぁ、分かった。行くぞ」


 促されるまま階段を一段昇れば、珊瑚がそれに着いてくる。

 もちろんシャツを掴まれた程度で彼女を運ぶことは出来ない。せいぜいシャツが伸びきって終わりだ。つまり殆ど彼女が一人で階段を昇っているようなものである。

 それでも珊瑚は俺のシャツの裾を掴み続けている。


「健吾先輩と宗にぃとじゃ、身長が違いすぎます」

「身長? まぁ、確かに俺の方が見て分かるほどにでかいな」

「だから、手を繋いでも全然違います。……手を繋いでも、健吾先輩は宗にぃの代わりになりません」


 俯き足元に視線を落としながら珊瑚が話す。

 周囲の暗がりのせいでその表情までは見えないが、彼女の言葉はしっかりと俺に届き……、そしていまだシャツの裾を掴んでいる。


 宗佐の代わりにはなれない。だから手は繋がない。

 それでも、俺のシャツを掴んでくれている。


 この何とも言い難い距離はそれでも今の俺には嬉しく、緩みそうになる表情をなんとか堪え「そうだな」と返すと再び階段を昇り始めた。




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