第15話 手を繋いで(side珊瑚)
※珊瑚視点です。
「芝浦兄ちゃんの妹なんだな」
「私のこと知ってるの?」
「うちに来た時に芝浦兄ちゃんが『男兄弟も良いけど、やっぱり妹だな。妹こそが兄を癒す存在だ』ってずっと言ってて、世界一の妹がいるんだって自慢してた」
「忘れて、その話は今すぐに忘れて」
宗にぃってば……! と思わず唸ると、浩司君が楽しそうに笑った。
預り所を離れ、浩司君と手を繋いで公園の入り口を目指す。
そこで健吾先輩と、そして浩司君のお母さんと合流する予定だ。これで一安心……なのだが、どうにも困ったことに浩司君は真っすぐ目的地に向かってくれない。
あっちにふらふらこっちにふらふら――速さを表すなら『ふらふら』なんて温い表現ではないが――、なにかあるたびに進路を変えようとする。手を繋いでいるのも、そして彼の反対の手に大判焼きがあるのも、どちらも逃亡防止策である。
それでも食べたい店や気になる玩具を見つけると手を擦り抜けて走り出そうとしてしまうのだから、以前に聞いた『世の小学生男子は総じて忍者だ』という健吾先輩の訴え思い出してしまう。なるほどこれは確かに忍者の素早さ……と、心の中で頷く。
そんなことを考えている今も浩司君は落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回し、何か見つけたのかさっそく繋いだ手を擦り抜けようとしてくるのだ。
油断ならないと強めに繋ぎ直す。
「浩司君、ちゃんと手を繋いでないとはぐれちゃうよ」
「でもさぁ、女子と手繋いでるとこクラスの奴に見つかったら恥ずかしいし」
「迷子になってること自体が恥ずかしいと思うけど。それに……」
小さく呟いて言葉を詰まらせれば、いったいどうしたのかと浩司君が見上げてくる。
幼い瞳はそれでもどこか健吾先輩を彷彿とさせ、話をしても良いのかと思えてくるから不思議だ。
胸の内にずっと、それこそ誰にも言えず何年も秘めていた想いを、不思議と健吾先輩は言及するわけでもなく聞き出してくれる。包容力というものだろうか、そんな色が健吾先輩の瞳にはある。
「……私も、昔は宗にぃと手を繋いでお祭りを回ってたんだよ」
心配性な宗にぃは「俺の可愛い妹が迷子にならないように!」とずっと手を繋いでいてくれた。
家から手を繋いで、家に帰るまで。離れないよう離さないよう、優しくそれでいてしっかりと固く。
たった一度手を離してはぐれてしまったことがあったが、あれ以降さらに心配性が悪化し、互いの手に汗が溜まりそうなほど強く握るようになった。
家に帰ってようやく手を離すと、手が痺れていて、手の中に汗が溜まっていて、それが嬉しかった。
だけどそれもいつまでだったろうか。次第に手を繋ぐ時間は減り、雑踏の中を縫って歩く時だけになり、いつしかどんな人混みだろうと繋がなくなった。
年齢を考えればそれは当然で、むしろ高校生になってまで兄妹二人で夏祭りを過ごすほうが珍しいだろう。
それが分かっていても手を繋ぎたいと思ってしまう。いや、きっと手を差し出せばいつだって繋いでくれるに違いない。
懐かしいとか、子供の時みたいだとか、そんな話をしながら……。
そこに一切の恋愛感情はなく、ただひとえに愛しい妹のために。
そうしていずれ宗にぃは、私と繋いでいてくれた手で、私ではない別の女の子の手を恋愛感情を持って握るのだ。
きっとそう遠くないうちに……。
もしかしたら、今も……。
「……どうして、私じゃないんだろう」
掠れるような小さな声で、いや、ほとんど声にすらせず口の中で呟く。
もちろんこんなことを浩司君を相手に話せるわけがなく、じっと見つめてくる彼には「宗にぃは私と手を繋いでいなかったら毎年迷子になっていた」と冗談交じりに誤魔化しておいた。
浩司君が屈託なく笑う。「情けない兄ちゃんで大変だな」と幼いゆえに容赦の無い彼の言葉に、私も作り笑いで返す。
本音なんて言えるわけがない。
兄を恋い慕っているなどと、血が繋がっていないことを唯一の拠り所にしているなどと、とうてい他人に話せることではない。そんなこと私が誰より分かっている。
否定されるか、冗談だと決めつけられるか、馬鹿な話だと切り捨てられるか……。それを恐れて誰にも言えずに胸の内に押し隠してきた。
……彼が気付いてくれるまで。
『俺は忘れない。誰にも知らせず、宗佐にも伝えることなく終わっても、俺だけはお前の気持ちが兄弟仲じゃなくて恋だったって覚えてるから』
そう告げてくれた健吾先輩の言葉が脳裏によぎる。
それと同時に記憶に蘇るのが、彼が告げてくれた、私に対するあの時の……。
◆◆◆
「ねぇちゃん、珊瑚ねぇちゃん!」
しきりに名前を呼ばれ、はたと我に返る。
顔を上げれば、少しばかり前に進んだ浩司君が腕を引っ張りながら不思議そうに見つめてくる。
いつの間にか考え込んで歩みが遅くなっていたようで、次から次へと客達が追い越していく。慌てて謝罪し足を進めるも、呆然としていた余韻か、足が上手く動かない。人の流れにうまく乗れない。後ろから追い越そうとする客に腕がぶつかり、謝ろうと振り返れば足がもつれる。
それに痺れを切らしたのか、浩司君がもどかしいと言いたげに繋いだ手を数度振ってきた。擦り抜けようとしているのだろう、そうはさせまいと握り直す。
「浩司君、駄目だよ、お母さんに会うまでは私と手を」
「あ、母さん!」
人混みの中で母の姿を見つけたようで、駄目だといった矢先に浩司君が走りだす。
繋いでいたはずの手が、咄嗟に動き出した彼の素早さに着いていけずするりと滑った。手が離れ、あ、と声をあげる間もなく浩司君の姿が人の波に消えようとする。
人混みを掻き分けて浩司君を追うが、右手を伸ばすも寸でのところで服の裾を掠めるだけで、僅かな距離だというのに前を行く彼を引き留められない。
あと少しなのに縮められないこの距離が、どうしようもなくもどかしい。
追い求めて伸ばした自分の右手が何度も虚しく宙を掻く。そのたびにここが限界だと思い知らされ、もう距離を詰められないと、嘲笑うかのように他人が間に入っては邪魔をする。
浩司君を追いかけていると分かっているのに、まるで宗にぃに手を伸ばしているかのようで、指先がなにも触れず空を掻くたびに言いようのない焦燥感が胸に沸く。
縮められない距離、振り返らずに進んでいく背中。
その先に居るのは……、
「なんで、どうして。ちゃんと……」
ちゃんと手を繋いでいて。
そう言いかけた瞬間、左手がグイと掴まれた。
固く、離すまいと痛みすら感じかねないほどに強く。熱い手の感触が伝う。
驚いて振り返れば、そこには息を切らせる見慣れた姿……。
「ようやく追いついた」
じっと見つめてくる瞳、強く握ってくる熱い手。
「……健吾先輩」
掠れた声で彼を呼ぶ。
その声に、花火の打ち上げ時刻を知らせるアナウンスが被さった。
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