第8話 夏らしい装い

 


「病院で健吾先輩に会った後、帰って直ぐに宗にぃにも伝えたんです。そうしたら宗にぃ泣いちゃって」

「そりゃなんとも頼りない兄貴だな」

「その夜は自分が夕飯を作るって言い出して、家事も全部やってお母さんを布団に押し込めようとして大変だったんですよ」

「頼りないうえにやかましくて迷惑な兄貴ときたか」


 楽しげそうに話す珊瑚に、俺も頷いて返す。

 といっても、俺は口では『頼りない』なんて言っていたが、内心では宗佐に対して感心していた。それ程までに喜んで、母親とこれから生まれてくる弟妹を守ろうと必死になっているのだ。誰より頼りがいのある兄と言えるだろう。

 だがそれを素直に認めるのは気恥ずかしく、いまだ「もし具合が悪くなったら」と粘る宗佐を眺める。おばさんは苦笑交じりに返事をし、俺達の視線に気付くと困ったと言いたげに肩を竦めた。


「宗佐、心配してくれるのは分かったから、そろそろ行ってきなさい」

「でもなにかあったら……。そうだ、もし俺と珊瑚に連絡が着かなかった時のために健吾の電話番号も……」

「月見さんを待たせるつもり? 時間にルーズな男は嫌われるわよ」

「ぐぅ……行ってきます」


 さすが母親、的確に息子の急所を突く。

 月見の名前を出されては宗佐も引くしかなく、最後に一度「何かあったら電話して」と念を押すと渋々と俺達の方へと歩いてきた。

 そうしてパッと表情を変えて何事も無かったかのように「おまたせ」と取り繕う。


「宗佐、丸聞こえだったから誤魔化すのはきついぞ」

「ぐぬぬ……」


 おかしな呻き声を出して宗佐が表情を渋くさせる。

 次いで強引に話題を変えると「さぁ行くぞ!」と大股で歩き出してしまった。

 白々しいその誤魔化しに俺と珊瑚は顔を見合わせて肩を竦めると、それでも誤魔化しにのってやろうと歩き出した。



 ◆◆◆



 会場の出入り口に着けば、そこには既に月見の姿があった。

 時刻は待ち合わせの十分前。そわそわと落ち着きなく周囲を見回ししきりに腕時計を眺めているあたり、きっと想いが先走って早く着いてしまったのだろう。

 その気持ちは分かる。なんとも月見らしく、彼女の気持ちを想像すれば微笑ましくさえ思える。


 ……だが俺としては、出来るならば時間通りに来てほしかった。


 なにせ月見なのだ。

 それも浴衣姿……。


 白地に赤い金魚と水の波紋が描かれた浴衣は夏らしく、夏祭りの会場と夜の暗がりによく映える。月見が佇んでいるその一角はまるで映画のワンシーンのようだ。

 だがそれが問題だ。元よりアイドル顔負けの可愛らしさなうえ、そのうえ浴衣も目を引くとなれば、当然よその男が黙っていない。

 現に月見の周囲には不自然に男が集まり、チラチラと月見に視線を向けている。時計を見たり周囲を見たりと誤魔化しているようだが、ナンパ目的でタイミングを測っているのはバレバレだ。


 このお祭りは地元主催のほのぼのとしたもので、殆どの客が地元から来ているため強引なナンパは行われない。せいぜい軽く声を掛け、気が合えば……という程度だ。

 極まれにしつこい男もいるようだが、地元愛の強い警備係のおっさん達がすっ飛んできてどこかに連れていくらしい。

 だからこそ今この瞬間まで月見も無事でいられたのだ。きっと彼女は自分の周りに男達が群がっているなど露程も思わず、会場入り口だから混んでいるとでも考えているに違いない。


 そんな彼女はふとこちらを向くと、一瞬にして表情を明るくさせ、


「芝浦君!」


 と、宗佐を呼んだ。

 もちろんその後には俺達のことも呼んでくれるのだが、その分かりやすといったらなく、月見を知らぬ者達だって察することが出来るだろう。

 現に彼女の動向を窺っていた男達が残念そうに去っていく。


「月見さん、待たせちゃってごめんね」

「ううん、大丈夫。私も今来たとこだし」

「そっか……えっと、それで……ゆ、浴衣なんだね」


 しどろもどろになりながら、それどころか直視も出来ないのか宗佐が月見から視線をそらす。対して月見も顔を上げるのが恥ずかしいのか、頬を赤くさせて自分の姿を見下ろしながら小さく「そうなの」と答えた。

 見ているこちらが恥ずかしくなってしまう光景に、それでも俺は心の中で宗佐を応援していた。もっとも、他でもなく宗佐なのだから俺が応援しなくたって月見を誉めるだろう。

 それでも普段の宗佐らしくなくモゴモゴと言い淀むのは、相手が他でもない月見だからである。これが他の女子であれば平然と誉めていただろう。宗佐もまた不器用と言えるのかも知れない。


「その……す、凄く似合ってるね……。柄とか、珍しくて」

「このあいだ、お母さんと買いに行ったの。珍しいから目立って良いかなって……。金魚も可愛いし……」

「そ、そうなんだ。うん、夏らしくて凄く良いね。か、可愛いと思うよ。金魚も、だけど……その、つ、月見さんが、凄く……可愛いくて……!」


 言葉を詰まらせながら、それでも宗佐が月見を「可愛い」と誉める。


 それを聞いた瞬間の月見の反応と言ったらなく、元より赤くなっていた顔を更に染め、次の瞬間には嬉しそうに瞳を細めて「ありがとう」と宗佐に返した。嬉しそうな、夜の暗がりの中でも輝いてみえる眩しい笑顔。

 今日のために、いや、宗佐のために浴衣を選んだのだ。そうして得た「可愛い」という言葉は、彼女にとってこれ以上のものはないはず。

 だからこそ心から嬉しいと言わんばかりにはにかんて返す月見に、宗佐もまた顔をより赤くさせる。


 宗佐は偽ることも誤魔化すこともなく素直な言葉で相手を誉める。

 元々それは宗佐の美点だと――それ故にモテるのだから恨めしいとも――思っていたが、月見に対しても必死になって賛辞を送るこの姿勢は、今の俺には格好良いとさえ思えていた。

 遅ればせながらようやく初恋というものを迎えた身には、見習うどころの話ではない。


 ちなみにそんな俺の想い人はと言えば、宗佐と月見のやりとりを直視するまいと首を痛めかねない程にそっぽを向いていた。


「わぁ今年はケバブもある」


 まったく心のこもっていない棒読みでケバブ特有の回る肉を眺めているあたり、現実逃避の度合いが窺える。少しふてくされているように見えるが、それ程までにこの展開が不満なのだろう。

 珊瑚だって浴衣を着てくればいいのに、と、そう思いながら彼女の横顔を眺める。金魚柄の浴衣だって、花柄だって、シンプルな無地だって、きっと可愛くて似合っていただろう。


 そう思えども口にしないのは、『珊瑚が浴衣を着ない理由』が分かってしまうからだ。


 四人で祭りを見て回れば月見と並ぶ場面も出てくるだろう。それどころか二人きりになることだってあるかもしれない。

 浴衣の月見と二人。それは見比べてくれと言っているようなものだ。

 元より自分を冷静に客観視している珊瑚がそんな状況を望むわけがない。


 そう考え、俺は目の前の宗佐へと視線を向けた。

 一度「可愛い」と口にしたことで吹っ切れたのか、真っ赤になったままそれでも月見の浴衣姿を誉めている。それを聞く月見も嬉しそうで、見兼ねてストップを掛けたくなるほど、まさに二人の世界というものだ。


 いい加減に店を回りたい。だから止めなくては。


 ……でもその前に。俺だって。


「夏らしくて可愛いな」


 呟くように褒め言葉を口にすれば、ケバブ屋の回る肉を眺めていた珊瑚が俺を見上げてきた。

 次いで月見へと視線を向け「そうですね」と返す。


「金魚柄の浴衣なんてはじめて見ました、確かに夏らしくて素敵ですね」

「そうじゃない」


 珊瑚の言葉を途中で遮れば、彼女はきょとんと眼を丸くさせた。いったい何がだと言いたげに俺を見つめてくる。

 対して俺は視線を返してやることが出来ず、ただ真っ直ぐに宗佐と月見に視線を向けていた。それでも勇気を出してチラと横目で珊瑚を見れば、ばっちりと視線がかち合ってしまった。

 不思議そうな上目遣いに見つめられ、自分の頬が熱を持つのが分かる。声が上擦りそうだ、喉が渇く。


 それでも、と俺は己を鼓舞し、珊瑚の方へと顔を向けるともう一度先程の言葉を口にした。



「夏らしくて、可愛いな」



 これが誰に向けられた言葉なのか、さすがに珊瑚も理解したのだろう、小さく息を呑む音が聞こえる。俯くように視線を落とすのは今纏っている服を確認するためか。


 夏らしいワンピース。

 頭上に掲げられた提灯の明かりを受け、白いワンピースがほのかに光っているように見える。夏らしくて可愛い。

 だが今の俺の気恥ずかしさは既に限界を迎えており、これ以上彼女のことを見ていられず、慌てて「そろそろ行こう」と宗佐達の元へと向かった。

 珊瑚が俺の後を着いてくる。


 小さく呟かれた「ありがとうございます」という言葉は、人の話し声や音楽が止まぬ中、しっかりと俺の耳に届いた。




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