第9話 夏の夜の花柄レジャーシート



 レストランや居酒屋が店を出しているだけあり料理はどれも美味しく、とりわけバーや居酒屋といった高校生では立ち寄れない店のメニューは興味をそそられる。大人にとっては代わり映えのない居酒屋定番メニューだとしても、俺達からしてみれば未知の領域なのだ。

 あと数年すれば俺だって酒を……と、社会人らしき女性二人が美味しそうに酒を飲んでいる姿を眺める。鮮やかな色合いだったり果物が入っていたりとまるでジュースのような見た目の酒は、解禁まであと数年の高校生にはやたらと魅力的に映るのだ。 


 いけないと分かっているからこそ飲みたくなる。

 この夏の熱気と浮かれた空気の中では尚更。


「健吾先輩、まだ駄目ですよ」


 お酒は二十歳になってから、と定番のフレーズと共に珊瑚が笑う。彼女の手にある鮮やかな色合い飲み物はもちろん酒ではなくジュースである。メロンソーダにするかオレンジジュースにするか悩んでいたが、色合いを見るにメロンソーダにしたのだろう。

 それに対して俺は「あと数年だ」と答えて手元の飲み物を煽った。もちろんこれもまたジュースであり、冷えた炭酸飲料特有の冷たい刺激が喉を伝う。


 美味しい。

 けれどやはり味気ない。早く大人になりたい。


 だがそれを訴えたところでどうなるわけでもなく、酒のメニューを見上げどれにしようかと話す大人を横目に次の店に向かうべく歩き出した。

 前を歩く宗佐と月見は随分と盛り上がっているようだ。宗佐が身振り手振りで何かを伝えれば、月見が楽しそうに笑う。普段と違う環境が話を弾ませるのか、それとも夏祭りで気分が高揚しているのか、並んで歩く距離も普段より近い。

 生憎と周囲のざわつきが邪魔をして話の内容は聞こえてこないが、二人の様子はまさに仲睦まじいの一言に尽きる。

 盛り上がるあまり、俺達のこともあまり気にしていないようだ。 

 

 なのでそれを良いことに、


「二十歳になったら一緒に酒を飲もうな」


 そう隣を歩く珊瑚に告げる。

 彼女はストローを咥えたまま一瞬ポカンとした表情を浮かべたのち、まるで歯痒いとでも言いたげに俺を睨んできた。


「……な、何なんですか、今日はさっきから。待ってくれるんじゃないんですか……」


 不満そうに訴えるのは照れ隠しの虚勢か、それとも追撃させるまいという必死の防衛か。


 その反応が面白くて思わず小さく笑えば、それすらも憎いと言いたげに珊瑚がより強く睨みつけてきた。

 もっとも、頬を赤くさせて睨んだところで迫力などあるわけがない。だがこれ以上は怒らせるまいと俺は誤魔化すように前を歩く二人に話しかけた。


「公園の方でライブやってるらしいから、適当に食べるもの買ってそっち行ってみようぜ」


 俺の提案に宗佐と月見が同時に頷く。

 夏祭りの会場はそう広いわけでもないが、それでも混雑する中を縫うように歩き続ければ疲れてくる。

 いくら食べ歩きが醍醐味の一つと言えども、腰を下ろして落ち着いて食事が出来るならそれに越したことはない。とりわけ月見は浴衣なのだ、定期的に休息も必要だろうし食事も普段通りにはいかないはずだ。

 チラと横目で珊瑚を見れば、はぐらかされたことを察したのか不満そうに唇を尖らせているが、俺の後を着いてきたところを見ると、移動には賛成なのだろう。少しばかり足取りは荒いが。



◆◆◆



 屋台の並ぶ境内を一回りしてあれこれと買い漁る。

 途中から注がれ始める珊瑚と月見の「そんなに食べるの……?」という視線が若干痛かったが、彼女達が買ったのは軽食一つとデザートだけ、むしろ俺達からしてみれば「それで足りるの?」という気持ちだ。


 そんな男女の燃費の違いを話しながら境内を出て公園へと移れば、聞こえてきた音楽がより鮮明になった。

 公園にはこの日のために大掛かりなステージが設けられ、昼頃からジャズの演奏やバンドのライブ、果てには近所のサークルが歌や演奏の発表と、絶え間なくパフォーマンスが行われている。テーマも統一感も無く、とにかく音楽ならば何でも良しと言ったラインナップだ。

 演目が自由ならば客も自由で、酒を片手に演奏に聞き入る者も居れば、酒が進みすぎて合いの手を入れだす酔っ払い、かと思えば音楽も聞かずに会話を続ける集団……と好き放題である。


「私、シート持ってきたよ」


 月見が鞄からレジャーシートを取り出す。

 目新しさを見るに今日の為に買っておいてくれたのか。ピンクを基調に花で溢れた可愛らしいデザインはなんとも月見らしい。……のだが、その華やかさゆえ座るのが恥ずかしくなってしまう。

 だがもちろん持ち主である月見は気にしていないようで、同様に珊瑚も食べものを中央に置いてちょこんと腰を下ろした。浴衣の不自由さに戸惑っている月見に手を貸し、座るのを手伝う気遣いも見せている。


「……な、なんか恥ずかしいな」

「あぁ……」


 とは、両手に飲み物と食べ物を持った俺と宗佐。

 どうやら宗佐も俺と同じ気持ちらしく、なんとも言えない表情を浮かべている。


 たかがレジャーシート、されどもレジャーシート。

 衣服の汚れも気にせず階段や適当な段差に腰を下ろすのが常の男子高校生からしてみれば、花柄のレジャーシートはハードルが高すぎる。

 立ち尽くしたままいっこうに座らない俺達に、月見が「どうしたの?」と首を傾げる。対して珊瑚は俺達の胸中を察したようで、「さ、どうぞ!」とやたらと大きく派手な花の部分をポンポンと叩いている。先ほどの仕返しだろうか、楽しげな表情が憎らしい。

 それを恨めしげに睨み返し、仕方ないと宗佐と共に覚悟を決めてレジャーシートに腰を下ろした。


 ピンクの花柄シートに、中央に食べ物を置いて四人で座る。

 俺の隣には珊瑚が座り、その隣に月見、そして宗佐の順だ。


「午前中にお昼ご飯を買いに、お母さんとおばあちゃんと一緒に来てたんです。おばあちゃんは昔このお祭りの運営委員会をやっていたんですよ。……っと、すみません、健吾先輩」

「い、いや、平気だ。大丈夫、問題ない」

「昼食がお祭りのご飯かぁ、良いなぁ。私の家の近くでもお祭りがあれば良いんだけど。あ、ごめんね芝浦君、ぶつかっちゃった?」

「いや! だ、大丈夫だよ!」


 珊瑚と月見が楽しそうに話しながら食事を進める。そんな二人に対して、俺と宗佐はいまだ落ち着かずにいた。

 話している最中に動いたり座り直して体が触れてしまうのは仕方のない事だ。レジャーシートを敷いているとはいえ座っているのは地面で、じっとしていると足や腰を痛めてしまう。時折は動いた方が良い。

 それを意識しなくとも、シートの上に食べ物や飲み物を置いているのだから取るためには必然的に動くことになり、そして体が触れる。


 それは分かる。

 ……分かるが、いかんせんレジャーシートは狭すぎる。

 いや、レジャーシート自体は四人で座って過ごすに十分なサイズなのだが、男子高校生が好きな女の子と一緒に過ごすには狭すぎるのだ。


 珊瑚が食べ物を取ろうと身を寄せるたび体が触れて俺は落ち着きをなくすし、月見が座り心地を直し浴衣の裾が捲れるたびに宗佐が不自然に視線を逸らす。

 彼女達は祭りの雰囲気と食べ物に意識を向けていて気付いていないようだが、今の俺達はさぞや滑稽な事になっているだろう。想像したくもない。昔の俺が第三者としてこの光景を見たら、きっと露骨に呆れの表情を浮かべたはずだ。

 だがたとえばこれが適当な椅子に座っていたり、どこかの階段に腰を下ろして、というような状況だったなら、俺達もここまで緊張しなかったはず。

 この『いかにも』と言わんばかりの花柄ピンクのレジャーシートが妙に気持ちを浮つかせるのだ。


 考えてもみてほしい。

 好きな女の子と花柄ピンクのレジャーシートに座って過ごす……。これに悶えない男は居ない。

 そのうえ、まるでタイミングを計ったかのようにジャズの生演奏が始まるのだから、冷静さなど取り戻せるわけがない。

 つい先程まで奏でられていた近隣おばさんサークルの悲鳴に似たゴスペルとは打って変わって、落ち着いた音色が夏の夜の独特な熱気と合わさって妙なムードを感じさせるのだ。


 おばさん集団、どうか戻ってきてください。

 甲高いあの悲鳴なのか音楽なのか分からない、コウモリが落っこちてきそうな歌声をもう一度……。



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