第7話 芝浦家の通り穴
「なぁ健吾、この格好で良いと思うか?」
鏡の前で真剣な表情を浮かべて尋ねてくる宗佐に、俺は「キャー芝浦君かっこいー!」と高い声で返してやった。視線は手元のゲーム機に落としたまま。
それに対して宗佐が「本気で悩んでるんだ!」と怒ってくるが、それに対して俺は顔こそ上げるが「はいはい似合ってるよ」とこれまた適当に返した。その瞬間クッションが一つ飛んでくるのでキャッチしておく。
あの後おばさんの期待に応えるべく勉強を進め、夕刻前になると宗佐の自室にてファッションショー……もとい、服選びが始まった。
ショーの観客は俺一人であり、ゲーム機片手とはいえ付き合ってやっているだけ感謝してほしい。
部屋のあちこちに服が投げられ、ああでもないこうでもないと組み合わせを考えてはまた一枚放り投げる。鞄、靴下も同様。随分と散らかったものだと部屋を見回していると、扉がノックされた。
おばさんがお茶とお菓子を持ってきてくれた……のだが、部屋の惨状を見るなり呆れたと言いたげに肩を竦めた。
「こんなに散らかして……。健吾君ごめんね、せっかく遊びに来てくれたのにつまらないでしょ」
「いえ、そんな、大丈夫です」
おばさんに謝られ、慌てて首を横に振る。
正直な話、確かに宗佐のファッションショーはつまらない。
何が悲しくて男が着替え悩む様を延々と見させられなくてはならないのか。これがただ俺と遊びに行くだけだったならさっさと切り上げさせただろう。――俺と遊びに行くだけならそもそも宗佐も悩まないだろうけれど――
だが今回は別だ。悩む宗佐の気持ちはおおいに分かる。
俺だって、出来るならば今すぐにでも家に帰って洋服ダンスをひっくり返してあれこれ悩みたい。むしろ宗佐と連れ立って服を買いに行ってしまおうかと何度思った事か……。
なにせ珊瑚も一緒に夏祭りに行くのだ。
この件に関して宗佐は「言ってなかったかぁ」とのんびりとした声で話すうえ、事後承諾すら取ってこない。以前旅行に行った際に木戸を同行させて俺に連絡し忘れた事と言い、宗佐の中での俺の扱いは杜撰すぎる。……お互い様な気もするが。
だが何にせよ、珊瑚が同行することは大歓迎だ。
出来れば事前に言ってほしかったが。そうなれば、きっと俺の部屋も洋服で取っ散らかっていただろう。
「よし、これで問題無いな。どうだ健吾、これが一番良い感じだよな」
「そうだな。首元から商品タグがなければその組み合わせが一番良いな」
「嘘!? 待ってこれ何度か着たことあるけど!!」
「凄いな、頑丈な商品タグだ」
慌てて背中に手を回す宗佐に呆れつつ、共に部屋を出て再びリビングへと向かう。
おばさんが苦笑しながら「良いじゃない」と宗佐を褒めるが、商品タグの話を聞くと「やだ、この間もそれ着て買い物に行ってたじゃない!」と悲痛な声をあげた。宗佐の抜けた性格は間違いなく母親譲りだ。
そんな二人のやりとりを眺めながら、俺はそれとなく周囲を窺った。
「それで……妹は?」
さり気なく――多分さり気なく言えていたと思う――珊瑚の姿を探せば、宗佐が「着替えてるんじゃないか」と窓へと視線を向けた。
庭へと通じる窓。青々とした生垣を挟んで旧芝浦邸が見える。
両家の境目にある生垣は垣根というには低く、大人が立って胸下程度の高さしかない。これでは互いの顔どころか両家のリビングまで覗けてしまうが、宗佐曰く、自分達が越してきた際に低く剪定したのだという。
それ以前はもっと高く、珊瑚と祖母が住む芝浦家と、そして宗佐達が越してくる前の隣家とのプライバシーを守る壁になっていたのだろう。
そんな垣根には一カ所だけ穴が空いている。屈んで進めば通れるであろうその穴は、まさに抜け穴。
遊びに来るたびに気にはなっていたが、きっと旧芝浦邸で飼っている猫が行き来するためのものだろうと考えていた。
今もそう勝手に判断し、猫が姿を見せないかと生垣の穴を眺めていると……。
モゾ……
と、穴から珊瑚が顔を出した。
猫ではなく、珊瑚である。
そのまま身を屈めて進み、穴を通ってこちらに移動してくる。
そうして出てくるとおもむろに立ち上がり、なにも無かったかのようにパタパタとワンピースを叩いて服についた葉を落としだした。
「噂をすればってやつだな」
平然と宗佐が話し、次いで窓辺へと近付くと鍵と窓を開けた。おばさんも珊瑚の姿を見て「ちょうど良かったわね」と話すだけだ。
どうやら芝浦家において、あの垣根の穴は疑問に思うものではないようだ。通路の一つとして認識されているのだろうか。
そして当の珊瑚はと言えば、自分を追いかけて穴を抜けてきた猫に何やら話しかけている。こちらに来はするものの、ゆったりとした猫の歩みに合わせているからか随分と足取りは遅い。
彼女が着ているのは白地のワンピース。肩口には
夏らしいその格好はとても可愛らしい。……のだが、いかんせん登場の仕方が気になって見惚れきれないのが悔しいところだ。
「宗にぃ、おばあちゃんが虫除けかけていきなって」
窓辺に着いた珊瑚が声をかけながらこちらに顔を出す。
カシャカシャと小気味いい音をたてながら虫除けスプレーを振る姿は生活感を感じさせ、それどころか自分にかけようとして方向を誤り顔に噴射し咽せている様は間抜けとすら思える。
だが
促されるままに腕を差し出せば、ブシュッと勢いよく噴射されてヒンヤリとした涼しさが伝った。それどころか腕だけでは足りないと全身に噴きかけてくる。
「あ、でも健吾先輩だけ虫除けスプレーをかけなければ……私は無事に過ごせる……?」
「俺を生け贄にする気か」
不穏な考えを口にする珊瑚に、何を言ってるんだと不満を訴える。
悪戯っぽく笑って「冗談ですよ」と返してくるその表情はやはり可愛く、虫よけスプレーを奪ってやろうかと手を伸ばせばクスクスと笑いながらスルリと避けられた。
そうして次は宗佐のもとへと向かう彼女を見送り、俺は気付かれないようホッと胸を撫で下ろした。
良かった、普通に話せた。
不意打ちの夏祭り、更にあんなに可愛いワンピース姿。
普通に見ていたら見惚れるか緊張してしどろもどろになっていたかもしれない。生垣の穴と虫除けスプレー様々だ。
そんなことを考えながら出発の準備をし、少し早めに芝浦家を出る。
だがいざ出発となった際、玄関口で交わされた宗佐とおばさんの、
「それじゃあ母さん、何かあったら直ぐに電話して」
「はいはい分かってるわよ」
「鍵持ってくから、先に寝てて良いよ」
「分かったから早く行きなさい」
「あ、戸締まり。戸締まりちゃんとして」
という会話には思わず目を丸くしてしまった。
宗佐が家族想いなのは知っている。
荒れた父親から母を守り、その果てに母子家庭になり、そのうえ再婚後も多忙な父親に代わり男手を担っている。普段は情けなく抜けたところのある奴だが、家族のことになると途端に顔つきが変わるのだ。
隠しもせず堂々と家族愛を語る宗佐に、芝浦家の事情を知らない者はマザコンだの親離れ出来ないだのと笑う事もある。
だが俺は決してそうは思わない。むしろ笑うやつの方が幼稚で恥ずかしく思える。
かくいう俺も、子守りをしている姿を友人に見られて笑われたことは数え切れないほどある。赤ん坊を片手にスーパーで米を買うのだ、高校生らしからぬ光景で下世話な奴は笑いたくなるのだろう。
だが家族の手伝いをして何が悪いのか。
そういう意味でも、俺と宗佐は気が合うのかもしれない。
だがさすがに今のやりとりは過剰すぎる。それどころかいまだに宗佐はおばさんに施錠やら緊急事の事を話しているのだ。
俺が不思議そうに眺めていると、隣に立つ珊瑚がクスクスと笑いだした。
「お母さんが妊娠してるって知って、それからずっとあの調子なんです」
「……あぁ、そうか」
そういうことか、と合点がいって思わず俺も笑みをこぼした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます