第5話 夏祭りの準備
梅雨の雨に何度も振られ、それが空けて本格的に暑くなると共に夏休みに入った。
高校生最後の夏。そして受験生にとっては貴重な夏。塾に通い勉強漬けの生徒も多いだろう。
だが敷島家は受験勉強についてしつこく言う事はなく、強制することも無い。かといって無頓着なわけでもなく、それとなく進捗を聞いてくるし、夜に勉強をしていると夜食を作ってくれる。
芝浦家への泊りも二つ返事で了承してくれた。
そういうわけで、夏休みに入って最初に迎える週末。俺は新芝浦家を訪れていた。
何度も遊びに来たことのある家なだけに今更緊張することもなく、出迎えてくれたおばさんに挨拶をして中へと進む。
祭り自体は午前から始まっているが、俺達は夕食を兼ねて夕方から行くことした。それまではゲームでもして遊ぶ予定……なのだが、おばさんが控えめながら「あのね、少しだけ宗佐の勉強を見てほしいの……」と頼んできた。
切羽まったその表情に、今更だが三年生になったのだと実感する。
俺もこうなることを察して勉強道具を持ってきたと告げれば、おばさんの表情が一瞬にして明るくなった。
「あれ、でも肝心の宗佐はどこですか?」
おばさんに案内されるまま芝浦邸のリビングへと向かうも、そこに宗佐の姿はない。
普段ならば玄関口で出迎えてくれるか、もしくは途中で自室から出て来たりリビングで寝転がっていたりするのに。
いったいどうしたのかとリビングの一角に荷物を置きながら問えば、おばさんが苦笑と共に肩を竦めた。先程の切なげな表情から一転して、愛でるような、それでいてどこかいたずらっぽく楽しそうな笑みである。
「洋服を選ぶって、朝からずっと部屋から出てこないの」
「あぁ、なるほど。そりゃ大変だ」
これには俺も思わず笑ってしまう。
あの学校での一件で、宗佐はうまく月見を誘う事に成功した。今夜は夏祭り会場で月見と合流する予定である。
ちなみにその話を聞いた際、俺は辞退を申し出た。少しばかり意地の悪い笑みになりつつも「せっかくだから二人で行ったらどうだ?」と提案したのだ。
だがそれに対して宗佐は勢い良く首を横に振った。「まだ二人きりは!!」という訴えは随分と必死だった。
つまり今日の俺は緩衝材である。意識し合うあまりぎこちなくなってしまう二人の間に挟まれ仲を取り持つ、さながら仲人。
何が悲しくて絶賛片思い中の身で両片思いの緩衝材なんてやらなきゃならんのか、という不満もあるが、先日の旅行の礼と考えよう。
そういうわけで、きっと今頃宗佐は自分の部屋で洋服を引っ張り出して悩んでいるのだろう。
なにせ『好きな子との夏祭り』だ。これに気合を入れない男はおらず、男だって服選びに悩んで当然。
あれこれ引っ張り出しては組み合わせを確認し、これでもないあれでもないと放り投げて……と、必死な姿を想像すれば思わず笑みが零れる。
これはしばらく掛かるだろうと考え、俺はひとまずリビングのソファへと近付き……、
そこで丸まって眠る珊瑚の姿に硬直した。
「な、妹……なんでっ」
思わず声が漏れ、慌てて己の手で口を塞ぐ。入室時にはソファの背もたれが陰になって気付かなかったのだが、これはあまりに不意打ちすぎる。
もっとも、ここに珊瑚が居ることも寝ていることも別段おかしな話ではない。
旧芝浦邸をメインに生活しているとはいえ、こちらの新芝浦邸だって彼女の家だ。休みの日にリビングのソファで転寝……など、誰だって一度や二度と言わず日常的にやっていること。
だからこそ、タオルケットに包まれて丸くなる珊瑚の姿は芝浦家において当然であり、おかしなことなど一つもない光景である。
それは分かる。……分かる、のだが。
まずい、不意打ちすぎる。
いくら当然の光景だろうと、俺の心拍数を上げるには十分すぎる展開である。
なにせ今回の泊まりは宗佐と遊ぶだけの予定で、珊瑚とは一言二言交わせれば良いな程度の感覚でいた。下手をすれば一度も顔を会わせられないかもしれない、そんな覚悟すら抱いていた程なのだ。
彼女の自室が旧芝浦邸にあるから尚の事。とりわけ俺は珊瑚に告白しているのだから、今回は素直に『宗佐の客』で居ようと考えていた。
そんな状態だからこそ、俺は思いっきり油断していた。
まさか宗佐より先に珊瑚に会うとは……。しかも寝ている姿。
身を丸めてタオルケットに包まれる姿はまるで猫が寝ているようで、柔らかく閉じられた瞳と小さく開いた唇に目が離せなくなる。
「あら、珊瑚ちゃん寝ちゃったのね。さっきまで洗濯物を畳むの手伝ってくれてたんだけど」
あらあら、といかにもおっとりとした声色で珊瑚を愛でるおばさんに、俺はどう返事をして良いのか分からず頷いて返した。
その会話で気付いたのか丸まっていた珊瑚がモゾリと動き、閉じていた目を緩やかにそっと開かせた。寝起き特有のゆっくりとした緩慢な動きで身を起こし、ぼんやりとした表情で俺を見上げてくる。
「……けんご、せんぱい?」
とろんとした声色で不思議そうに俺を呼ぶ。
その声と表情に俺の心臓が跳ねあがるのだが、なんとか取り繕って「よぉ」と片手を上げた。
声が少し上擦ってしまったのは仕方ない。幸い気付かれなかったようで、寝ぼけているのかウトウトと微睡みながら目を擦っている。
次いで彼女は一度大きく欠伸をし、腕と体をぐっと伸ばした。猫のようなその仕草は堪らなく可愛い。
「そういえば泊まりに来るって言ってましたね」
「あぁ、よろしくな」
「どうぞ、いらっしゃいませ」
タオルケットを掴んだままペコリと珊瑚が頭を下げる。
そうして「宗にぃを呼んできますね」とリビングを出て行ってしまった。トントンと階段を上がる音と「宗にぃー、健吾先輩来てるよー」という彼女の声が廊下から聞こえ、芝浦家に来たのだと実感させる。
それを聞きつつ、俺はソファに座り、自分を落ち着かせるために深く息を吐いた。
つい数分前まで服選びに必死になる宗佐を想像して心の中で笑っていたのに、いざ自分の事になるとこのざまだ。
そんな俺の胸中など知る由もなく、廊下から宗佐が暢気に現れた。
「お待たせ」なんて片手をあげて平静を取り繕っているが、随分と服選びに苦戦していたのであろうことが一目で分かる。
なにせ、
「お前、せめてズボン履いてこいよ」
そう、パンツなのだ。
上は水色のポロシャツという夏らしい格好なのだが、いかんせん下に至ってはパンツ一丁という夏を通りこした出で立ち。上が爽やかさを感じさせるだけに無様なことこのうえない。
直視し難い姿に思わず眉根を寄せれば、廊下から「宗にぃ!」という怒声と共にカーキ色のズボンが飛んできた。珊瑚が投げ入れたのだろう、相変わらず出来た妹である。
それを拾ってそそくさと履く宗佐の情けない事と言ったら無い。
「いやぁ悪いな、ちょっと部屋で考え事しててさ」
「なるほど、それで服は決まったのか? 月見は浴衣着てくるって言ってたぞ」
「ぐっ……俺はいっそスーツでも着ていこうか」
月見が浴衣姿だと聞き再び悩みだす宗佐を眺め、おばさんが淹れてくれた麦茶を一口飲む。
ズボンを履きおえた宗佐も、まるで仕切り直しだと言いたげに「さて」と白々しく呟いてソファへと腰を下ろした。
どうやらまだ服装は決まっていないようで、自分の服を見下ろしている。意外とこの組み合わせも良いか……などと考えているのだろう。
そんな宗佐へと視線を向け、俺はニヤリと笑みを浮かべた。
「それで、本当に俺は一緒について行っていいのか?」
「なんだよ……」
「いや、せっかく月見が居るんだから二人で行った方が良いかと思って。花火も上がるし、お前、とっておきの場所があるって言ってたし。俺が居たら邪魔になるだろ」
俺の話に、宗佐の頬が赤くなっていく。
その分かりやすさに思わず吹きだせばジロリと鋭く睨まれた。それだけでは足りずに腕を叩いてくる。
だが一撃見舞ってきたかと思えば、次いで途端に真剣な顔付きになった。
「……健吾」
「おう、なんだ」
「今夜はサポートよろしくお願いします」
深々と宗佐が頭を下げてくる。
「お前、いっそ潔いな……」
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