幕間
先日の旅行が終わり、半月もしないうちに連休に入った。
テレビでは観光地の特集やオープンしたばかりの店が取り上げられ、空港の映像に変わると海外へと向かう旅行客がインタビューを受ける。
だが受験を控えた高校三年生はそこまで浮かれるわけにもいかず、中には朝から晩まで塾で勉強漬け、学校の方がまだ休む時間があるという者もいる。
そんな連休は俺としては有難く、それでいてもどかしいものでもあった。
なにせあの旅行から今日まで、珊瑚とは一度として二人きりになっていない。
なれていない、とも言うべきか。
宗佐を交えて話をすることは多々あったが、宗佐が場を離れようとすると珊瑚もそれとなく去ってしまう。
かといって露骨に俺を避けているわけでもない。他にも第三者が居れば普通に話を続け、いつものように生意気な態度を取ってくる。「妹」と呼べば「先輩の妹じゃありません」とツンと澄まして返してくるし、月見や他の男子生徒達が割って入ってややこしくなれば俺と一緒に溜息を吐く。
だが二人きりになりそうになると、「次の授業が」だの「友達が呼んでるから」だのと理由を付けて去ってしまう。その背中は今の俺には逃げているようにしか見えない。
そうして気付けば連休に入ってしまったのだ。
告白し返事は待つとは言ったが、かといって「はいそうですか」と以前のように戻れないのは分かっている。
そして同時に、このままではいけないのも分かっている。
「……よし、行くか!」
そう呟き、俺は寝転がっていたベッドから勢いよく起き上がった。
時刻は既に夜になりかけ、外に出れば日が落ちて空も暗い。見上げれば点々と星が見える。
この時間帯に家を出ても小言一つ言われないのは大所帯ゆえだろうか。それどころか自転車に跨った瞬間、勢いよく窓が空いて「牛乳買ってきて!」と母さんの声が飛んできた。
連休だろうと敷島家は相変わらずである。もはや今更過ぎて呆れることもなく、了解とだけ返して自転車を走らせた。
◆◆◆
芝浦家は俺の家からさして遠くない距離にある。歩いて行き来できる距離だ。
だが小学校と中学校は別で、両家の中間あたりに学区の境目がある。高校一年の春、知り合ったばかりの宗佐とあまりの家の近さに驚いたのは記憶に残っている。
そんな距離なのだ、自転車に乗ればあっという間である。
何度も遊びに来ているだけあり道を迷う事もなく、それどころか表札を確認する必要もない。
見慣れた芝浦家。だが今日だけは見なれたその前を通り過ぎ、隣の家の玄関先で自転車を止めた。
宗佐と母親が住む新芝浦邸、珊瑚と祖母が住む旧芝浦邸。
どちらも『芝浦』という表札が掛かっており、低い生垣こそあるが庭は繋がっている。
新芝浦邸には何度も遊びに行ったが、
窓からは明かりが漏れて人がいるのが分かり、それが珊瑚かもしれないと考えると緊張してくる。
「ここまで来て怖気づいてどうする」
唸るように呟き、鞄に入れておいた携帯電話を取り出す。
手早く珊瑚へと電話を掛ければ、数秒のコール音の後、ふつりと一瞬音が途切れた。
『……健吾先輩?』
窺うように聞こえてきたのは珊瑚の声。少しばかり緊張の色が窺えるが状況を考えれば当然だろう。
その声を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねあがった。ここまで勢いで来て、そのうえ勢いのままに電話を掛けてしまったが、なんと言うべきか考えていなかった。
「突然悪いな、今いいか?」
『今ですか? 大丈夫ですけど……』
「そうか。それならちょっと出てきてくれないか? いま家の前に居るんだ」
『家の? ……家ってまさかうちですか!?』
珊瑚が電話口で声を荒らげる。それを聞き、今更になって突然過ぎたと自覚してしまう。事前に一言連絡を入れるべきだった……。
だが悔やんだところでどうにかなるわけでも無い。一言「あぁ」と肯定して返せば、電話口でなにやら動く音が聞こえた。
次いで家の二階にある窓がカラと小さな音を立て、珊瑚が顔を出す。玄関先の俺を見つけると目を丸くさせた。
『今行きます。あ、でも、ちょっと待っててもらっても……』
「あぁ、大丈夫だ。でも宗佐には言わないでくれ。あいつが出てくると煩くなるだろ」
だから、と告げれば、珊瑚が小さく「……はい」と返した。
このやりとりで自分にだけ用事があると、そして宗佐には聞かれたくない話だと分かったのだろう。驚きの色を強めていた声に緊張の色合いが戻ってくる。
そうして『ちょっと待っててください』と一言残して電話が切れた。
途端に周囲の静けさが気になる。といっても芝浦家は住宅街にあり、この時間帯はあちこちの家から家族団らんの声が漏れている。だがそういった声は一つとして今の俺の耳には届いてこない。
携帯電話をズボンのポケットにしまい、落ち着けと己に言い聞かせる。
ここまで来たんだから後はもう覚悟を決めるだけだ。
己を諭し深呼吸をすれば早鐘だった心臓もいくらか落ち着きを取り戻し、自転車を走らせたことで乱れた髪を整える余裕も生まれる。次第に周囲の音も耳に届き始めてきた。
これならば落ち着いて珊瑚と話が出来そうだ。
そう考えた瞬間、ガチャリと背後で音がして、
「……あの、お待たせしました」
と、控えめな声と共に珊瑚がゆっくりと顔を覗かせた。
落ち着かせたはずの俺の心臓が再び跳ねあがったのは言うまでもない。
部屋着なのだろう、珊瑚が着ているのは胸元に猫のイラストが描かれたロングワンピース。それに薄手の茶色いカーディガンを羽織っている。
制服とも出掛ける際の私服とも違う。さすがにパジャマではないだろうが、ラフな格好は普段とはまた違った雰囲気を纏わせ、夜の暗がりと合わさってドキリとしてしまう。
「こんな夜に……って程の時間じゃないか。さすがに寝てはいなかったよな」
「まだ寝ませんよ。部屋で宿題してました」
「そうか。少しは宗佐も見習ったら良いのにな」
はは、と緊張を悟られまいと笑い……、次いで口元を押さえた。
珊瑚が不思議そうに「健吾先輩?」と名前を呼んでくる。
「悪い、今のは聞かなかったことしてくれ。宗佐抜きの話をしたいのに、俺が名前を出しちゃ意味ないよな」
しまった、と雑に頭を掻く。
宗佐を羨んで、宗佐を仲介した関係をもどかしいと思って、宗佐ではなく俺が、と考えていたのに、いざ話題に困ると宗佐の名前を出してしまう。
平時ならばまだしも今だけはと考えを改めれば、珊瑚が困ったように俺を見つめてきた。
「宗にぃ抜きって……」
「あぁ、この間の話の続きをしたい」
はっきりと告げれば珊瑚の表情が強張り、窓から明かりを漏らす新芝浦邸へと視線を向けた。
そこに宗佐の姿を見ているのか。それを考えると切なくもあるが、今更そんな感情で二の足を踏んでいる場合ではない。
「このあいだ言ったこと、返事を聞かせてくれ。……なんて言わない」
「え?」
「言ったろ。待つから。それに俺としても返事は急いで出してほしくない。むしろ当分は返事を保留にしてほしい」
そう俺から先延ばしを申し出れば、珊瑚が不思議そうに俺を見つめてきた。
小首を傾げることで尋ねてくる仕草が可愛らしい。
「どれだけお前が宗佐を好きか、俺は……俺だけは分かってる。だから今すぐに返事なんて急かせば、間違いなく振られるだろ」
話す俺の脳裏に、以前に聞いた珊瑚の声が蘇る。
『誰より先に宗にぃと出会って、誰より先に好きになって、誰より一緒に居るのに……』
そう涙ながらに訴えるぐらいには珊瑚は長く宗佐を想い慕っていた。少なくとも、俺が出会うよりずっと前から……。
それを考えればつい先日告白をして「今すぐに返事をくれ」なんて無謀も良いところだ。急かした先の返事なんて分かりきっている。
彼女の気持ちを知っているからこそ、「俺にしろ」なんて身勝手な事は言えない。
だから返事は先送りにする。
珊瑚が宗佐への想いに片を付ける時、同時に俺の名前が思い浮かんでいるように。
諦めでも妥協でもなく、彼女が選ぶ最善の選択肢が俺と歩む未来であるように……。
「だからさ、当分は今まで通り『妹』で居てくれよ」
「……はい」
俺の言葉に、珊瑚は僅かに躊躇い、それでも表情を和らげた。
照れ臭さと困惑と安堵を綯交ぜにはにかむ彼女の表情は俺の胸の内を擽る。その表情の可愛らしさに当てられつつも、俺は一歩彼女に近づいた。
返事は待つ。だけど、
「その間に、俺を好きになって貰うように頑張るから」
そう告げれば、珊瑚がパチンと一度瞬きをした。
言われたことが理解できないのか、じっと俺を見上げ……、次第に、ゆっくりと、息を吸うと共に頬を赤くさせていった。
「な、なんですかそれ……!」
「だってそうだろ。急かしても振られるけど、かといって今のまま待ってても選択肢の一つになんてなれない。だから待ってる間、俺は俺を選んでもらうように頑張る」
「でも……それは『待つ』とは言わないんじゃ」
「返事は待つさ。返事は、だけど」
あえて裏を含んだ言い回しをすれば、珊瑚がムグと言葉を詰まらせた。
何か物言いたげに俺を睨んでくるが、そこにあるのは困惑であって嫌悪の色ではない。頬はいまだ赤く、睨んでくるその表情さえも今の俺には愛おしい。
「そういうわけだから、これからもよろしくな、『妹』」
ひとまず言いたい事は言えたと話を終いにすれば、真っ赤になったままの珊瑚が小さく唸り声をあげ……、
「そもそも、先輩の妹じゃありません!」
と、自棄になったかのように声をあげた。
幕間:了
次話から六章、夏のお話です。ようやく現実の季節に追いついた……!
変わっていく二人の関係、次章から恋愛要素も濃くなりますので、今後もお付き合い頂けると幸いです。
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