第22話 旅の終わりとここからの始まり


 朝食を食べて各々の時間を過ごす。

 二十分あれば準備も出来ると余裕を見せる俺達は、一時間前から「それじゃあ準備をしようかしら」と立ち上がる桐生先輩や月見に驚いてしまった。準備に関して女性は男の倍時間が掛かると聞いたことがあるが、まさかこれほどまでとは思わなかった。


 そんな驚きを抱きながら誰もが準備を終え、フロントで宗佐がチェックアウトの手続きを済ませる。

 全ての客に挨拶をしているのだろう、女将さんは帰り支度中の旅行客と会話を交わし「またお待ちしております」と美しい佇まいで頭を下げて見送った。

 その仕草は柔らかでいて美しく、格調高くそれでいて親しみのある旅館の女将と言った印象を受ける。

 

 次いでこちらに気付くと、にこやかな表情のまま近付いてきた。


「もう出るのね。ゆっくりできた? 忘れ物は無い?」


 女将さんの声色や口調は宿泊客を見送ると言うよりは、自分の孫に接するかのような砕け具合である。

 だがそちらの方が俺達にとっては居心地よく、各々礼を言うと頭を下げた。そうして最後に女将さんが視線を向けたのはもちろん珊瑚だ。

 彼女は肩から下げていた鞄の裾を握りしめ、それでも祖母からの視線に気付くとおずおずと近寄るように歩み出た。それと同時にチェックアウトを終えた宗佐が足早に近寄ってくるのは偶然か、それとも珊瑚を案じてか。


「珊瑚ちゃん、また遊びに来てね。その……いつでも良いのよ、部屋はいつも予備があるから」

「うん……」


 どことなく緊張を含んだ会話は、祖母と孫が交わすものにしてはやはりぎこちない。

 それでも珊瑚は何か話しかけようと、「あの」とか「その」といった言葉にならない言葉を続けていた。女将さんも察したのか、先を急かすでもなく口角をやんわりと上げて珊瑚の顔を覗き込む。

 まるで幼い子供に接するようなその仕草に安堵したのか、珊瑚が意を決するように鞄の裾を握る手に力を入れた。見守るしかない俺の視界で、桜色のバッグチャームが揺れる。


「あ、あの……ここらへんで、何か美味しい物って……その、お店とか」

「お店?」

「うん。お昼を食べてから帰ろうかなって。他のお店も見てみたいし……。今までどこも見てなかったから」


 だから、と珊瑚が小さく呟く。それを聞き、女将さんが僅かに目を丸くさせたのち嬉しそうに目を細めた。

 次いですぐさま「ちょっと待ってて」と一言告げて受付からパンフレットを持ってきて、二つ三つお店を説明し始めた。その声色は弾んでおり、そして同時に無理に押し付けるまいと落ち着きを取り繕おうとしているのが分かる。

 そうして別れの挨拶を告げて旅館を後にすれば、女将さんはその役職らしく一度深々と頭を下げ、次いで顔を上げると祖母らしい穏やかな微笑みで見送ってくれた。

 

 この時の俺は、珊瑚がバッグチャームを着けてくれたことの嬉しさと照れ臭さと、そして彼女がこの土地に興味を抱いているという変化に意識をとられていた。

 ……だからこそ「お店を見る!?」「買物!」と瞳を輝かせる月見と桐生先輩、そして買物行脚二日目を察して瞳を濁らせる木戸の変化には気付かずにいた。



◆◆◆



 旅館を出て、買物の合間に昼食を取りまた買物……と、なんとも観光地らしい行脚を一部は楽しみ帰路に着く。

もちろん買物を楽しんだ一部というのが珊瑚を含んだ女性陣であることは言うまでも無く、俺と木戸は早々に買物に飽きた宗佐を連れて喫茶店で雑談をしていた。

 考えようによっては、俺達も喫茶店巡りをしていたことになるのかもしれない。洒落た旅行だ。


 そんな買物行脚もさすがに途中で切り上げ、遅くなる前にと電車に乗ってまた数時間かけて地元へと戻る。

 行きは心ここにあらずで終始黙っていた珊瑚も帰りの電車では俺達の会話に加わり、祖母に手紙と制服姿の写真を送るために土産屋で便箋を買ったと話していた。

 そんな珊瑚の変化を見守る宗佐もどこか晴れ晴れとしている。時間にすればたった一日とはいえ二人の変化は見て分かるものだ。


 そして珊瑚の鞄には、旅館を出てから今もなお桜色のバッグチャームが揺れている。

 それを見ると俺は何とも言えない照れ臭さを感じ、同時に僅かな安堵感と、そしてここからだという意欲が沸き上がっていた。

 


◆◆◆



 そうして夕方暗くなる前に駅に着き、迎えが来る者やバスに乗る者とそれぞれの方向へと進む。

 月見と木戸とは休みが明ければ学校で会えるので惜しむ必要はなく、桐生先輩も湿っぽい別れになるのを嫌って「また学校に遊びに行くから」と告げるやあっさりと去っていってしまった。なんとも彼女らしい対応に、俺達は苦笑を浮かべて「また」と返して見送る。

 ――どうやら桐生先輩はバスで帰るらしいのだが、さり気なく木戸が桐生先輩に連れ添うように同じバスに乗っていった。確かあいつは別のバスのはずじゃ……と、そんなことを思ったが口に出すまい。今更だ――


 俺はと言えば、宗佐達を迎えに来ていたおばさんが一緒に乗せてくれるというのでそれに甘えることにした。

 運転席にはおばさん、助手席には珊瑚、そして後部座席に俺と宗佐が座る。会話は他愛もない旅行の感想で、風呂がどうの買物がどうのと話は自然と弾む。珊瑚が嬉しそうにお土産を買ってきたことを告げれば、それを聞くおばさんが僅かに安堵したような表情を浮かべた。

 義理の娘が亡き産みの母の実家に向かうとなれば、おばさんもきっと複雑な胸中なのだろう。それでも「楽しかったなら良かったわ」と宗佐と珊瑚に返す。


 しばらくはそんな旅行の話に花を咲かせ、俺の家の玄関前で車が止まった。おばさんに礼を言いながら車を降り、宗佐には適当な別れの挨拶を告げておく。どうせ休み明けにまた顔を合わせるのだ。

 そうして最後に珊瑚へと視線を向ける。

 助手席の窓を開けていた彼女は俺の視線に気付くとほんの少し頬を赤くさせた。表情が僅かに強張っているのが分かる。


「えっと……、それじゃあ、またな。妹」

「は、はい。それと、あの、せ、先輩の妹じゃありません……」


 視線を他所に向け、珊瑚が随分とぎこちなくだが普段通りのやりとりを返してくれる。

 多少無理をしているようにも感じるが、今の俺にとってはこのやりとりを続けてくれること自体が嬉しい。それに……と車内に視線をやれば、彼女の膝の上に置かれた鞄では桜色のバッグチャームが飾られている。


 だからこそ俺は「またな」とだけ告げ、最後にもう一度運転席のおばさんにお礼を告げると、走り出す車を見送った。



◆◆◆



 芝浦家の車が道の角を曲がっていくのを見届け、自宅の玄関扉を開ける。

 和を意識した威厳溢れる老舗旅館から一転、そこに広がるのは見慣れた家。その光景は「帰ってきた」と改めて自覚させ、同時に一気に疲労が押し寄せてきた。


 たった一泊、されど一泊。

 俺にとっては随分と長く感じられる旅行だった。


 それでも俺は自分の気持ちを再確認することができ、そして返事は先延ばしにしたものの気持ちを伝えることが出来た。

 その先がどうなるかは分からないが大きな一歩と言えるだろう。長旅の疲労もあるが、それでも気分は晴れ晴れとしている。

 ……のだが、


「兄ちゃんおかえり、お土産は!」

「ねぇ健吾君、旅館どうだった? やっぱり豪華だった? 私ちょっとインターネットで調べたのよ。凄く綺麗な旅館なのね。露天風呂で桜なんて素敵だわぁ」

「健吾、頼んでたのこの袋? 開けていい?」


 家に帰るなりこれである。

 忘れていたわけではないが、やはり俺の家は『落ち着き』だの『静けさ』だのといった言葉からは遠く懸け離れている。あの旅館の静けさと風情ある景色が急激に懐かしくなってしまう。

 そんな家族達に鞄丸ごと放って渡し、俺は「少し寝る」とだけ告げて自室へと戻った。

「飯の時には起こすから」という弟の言葉がなんとも有り難い。さすが兄弟だけあり、疲労よりも食欲が勝ってしまう燃費の悪さを良く分かっている。

 もっとも、既に菓子の箱を開けながらなので弟もやはり敷島家の男である。


 そうして俺は自室へと戻り、ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋め……、


「……っ!!!」


 と、声にならない訴えを枕相手に叫んだ。


 

 どれだけ叫びたいもどかしさを我慢していたことか……。

 自宅まで我慢していたのを褒めて欲しいくらいだ。





 ……第五章:了……




第五章、これにて完結です。お読みいただきありがとうございました!

閑話を挟んで第六章夏のお話に続きます。

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